忍者ブログ
日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「戦火のラブレター」として新聞各紙に報道されました。

東日 2010.8.23
戦火のラブレター出版目指す

東日新聞
膨大な往復書簡を調べる水谷さん
 太平洋戦争末期に玉砕したサイパン島で、最後まで抵抗して米軍にフォックスと恐れられた日本兵士が妻との間で交わした膨大な往復書簡が今春、発見された。検閲済みの軍事郵便として出された手紙は妻や子への愛情にあふれ、妻からは家族の近況を知らせる内容で、豊橋市柱3番町の出版社「これから出版」の水谷真理代表(60)が世話人を務める「戦火のラブレターを読み解く会」(会員約10人)が、当時の夫婦のあり方や戦争の悲惨さを知ってもらおうと、来春の出版を目指している。

 この兵士は蒲郡市豊岡町出身の大場栄さんで、教師上がりの陸軍少尉として1937年に日中戦争に出征。妻の峰子さんとの総数1200通以上もの往復書簡は37年から41年にかけて交わされ、丹念に互いの近況や心境をつづった。

 大場さんは、日本の敗戦が決定的となった44年にサイパン島に転進したが、まもなく物量ともに勝る連合国軍に囲まれ、日本軍は玉砕した。

 大尉に昇進して中隊を率いていた大場さんは、部下46人とともに巧みな戦術を駆使して最後まで生き延び、同島のタッポーチョ山を拠点にゲリラ戦を展開。約3カ月半も終戦を知らずに戦い続けた末に投降した。

 大場隊の勇敢な戦いぶりは米軍兵士をも感動させ、海兵隊員だった故ドン・ジョーンズさんが戦後、手記「タッポーチョ『敵ながら天晴(あっぱれ)大場隊の勇戦512日』を発表。82年に邦訳「タッポーチョ」が出版され、評判となった。

 戦後、蒲郡市に戻った大場さんは家業の繊維業を継ぎ、市議会議員を3期務め、92年に79歳で亡くなった。同年に亡くなった峰子さんの実兄の孫に当たる平野啓一郎さんは「日蝕」で芥川賞を受賞。文才のDNAを感じさせる。

 今春、邦訳を原作とする映画「太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男」(竹野内豊主演、来春公開)の撮影が始まったのがきっかけで遺族が自宅で発見。夫妻の三男の久充さんと友人だった水谷さんに託された。

 往復書簡を「戦火のラブレター」と名づけた水谷さんは、読み解く会の会員を募るため、27日午後1時30分から蒲郡市神明町の勤労福祉会館で経過報告会を開く。

 
PR
Comment
Name
Title
Mail(非公開)
URL
Color
Emoji Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Comment
Pass   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
Trackback
トラックバックURL:
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

「大場書簡を読み解く会」
senkanoloveletter@live.jp
最新コメント
[08/30 大場書簡を読み解く会]
[08/06 大場書簡を読み解く会]
[08/06 kazoz]
[05/28 大場書簡を読み解く会]
[05/24 ファン]
最新トラックバック
お問い合わせメール
メールはこちら
ブログ内検索
バーコード
アクセス解析
カウンター
Copyright ©  -- 大場栄と峯子の「戦火のラブレター」 --  All Rights Reserved
Designed by CriCri Material by 妙の宴
powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]