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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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今話題のアニメ映画「君の名は。」
わたしはまだ見ていませんが、
主人公の二人は互いの夢の中で入れ替わっているんだとか。

峯子も栄もよくお互いの夢を見ていました。
 恥ずかしい初夢の話
峯子は寝る前に、夢で栄に会うために(?)化粧したことも。

===一部引用===
峯子  17年4月13日
昨夜また夢でお目もじいたしました。
休みます前に髪をといて・・・・
クリームを肌にすり込んで軽くパフで粉白粉をはたいてみました。
「寝化粧などして峯子ったら誰に見せ様と言うのかしら」と、
一抹の哀愁にそそられながら、
鏡の中の美しく化粧した顔に笑いかけて休みましたの・・・・
峯子のやるせない思いが届きましたのでございましょうかしら。
一弘を真ん中にして、三人で寝ていましたの。
お顔もありありと拝見いたしましたのに、
一言も何にもおっしゃっては下さいませんでした。
でも今日一日思い出してはとても楽しみでございました。

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たくさんヒットします。
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早春賦という歌に、
♪ 春は名のみの風の寒さや ♪
という歌詞がありますが、
そんな立春の朝。
栄も峯子も、我が人生の冬の時期をじっと耐え
冬来たりなば春遠からじ
大好きな春を待ちかねていました。

庭の紅梅が咲きはじめました。
春は確実に近づいてきていますね。
17年の秋、満洲の北方警備に就く栄の元へ、
峯子は長男一弘を連れて、
家族宿舎のある海城へ旅発ちます。
割引証は、10月のものだったようですが、
17年の11月からは、新しい生活が始まった事でしょう。
待ち焦がれた、親子水入らずの生活・・・・・
と思っていたのですが、そういう訳ではなかったようで、
栄達将校は軍の施設に居て、家族官舎とは別に暮らしていたようです。
当番兵が、手紙や身の回りの品など伝令として行き来もしていたようです。
が、演習で不在をしたり、風呂の修理も間に合わなかったりと
不便を感じた暮らしぶりです。
時折、数日間の旅行のように鉄道を利用して、
警備(?)で遠方にいる栄の元に会いに行ったようです。

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峯子 18年5月か6月

四日間も楽しく御一緒に暮らしながら・・・・・
お別れいたして参る迄のこの淋しさは!
鉄路にきしむわだちの響の一つ一つに
胸の思いの恋しさは募るばかりでございました。
まだ海城へ着きまして三日ばかりにしかなりませんのに、
もうとても長い間お別れしている

以下続き不明
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18年になっても書かれた手紙があることで、
陸続きの近くにありながらも、
時には1カ月以上も会えない事もあったようです。


秋10月は、栄と峯子の中でも話題の豊富な月です。

12年の10月10日は、二人の別離の日として峯子の記念日になっています。
また、手紙の中に何度も繰り返し書かれている
秋祭り三谷祭の思い出や、小学校の運動会
月の夜空を見上げて互いを懐かしむ話題など、数々あります。
17年の10月は、渡満の準備で、忙しく過ごした峯子の手紙から、
満洲で一緒に過ごせる嬉しさにソワソワして落ち着かぬ峯子の様子が分かります。
二人の思い出の祭り、峯子のまち三谷の三谷祭
2013年は来週19日(土)20日(日)の開催です。
三谷祭り公式ページ







峯子は俳句が好きで、句会に籍を置き、沢山投稿もしたようです。
その中に、雑誌に残っているものに
春眠に 兵舎の記憶 夢に見し
とあります。

兵舎の記憶というのは、
豊橋の十八連隊ではなく、きっと
一緒に暮らした海城の兵舎だったと思います。
峯子の夢に出てきたのは、
不安を胸に一弘を連れての渡満で、初めて目にした時の事だったのか?
短かったが日々雑事の書ける平凡な暮らしだったのでしょうか?
それとも、近くには居ても思うような生活で無かったもどかしさでしょうか?
それとも、栄の南方へ出立に間に合わなかった無念の気持ち?
峯子の周りは、妹にも栄の姉にも女の子の誕生が続き
雛祭りの話題が出てきます。
===一部引用===
峯子  15年3月2日
福尾家の七夜で、昨日お祝いの御馳走を頂きましたので、
母が牧山まで届けて下さいました。
今年は文子さんの初雛で、
どんなにか奇麗な雛飾りが出来ますことでしょうと存じます。
私達はどんなお雛様を買ってあげようかと、
今から楽しんでいますが、
忙しいのでまあ春休みになってから、
一弘ちゃんと豊橋まで出て行こうと存じています。

=====
【注】 福尾家:峯子の妹の嫁ぎ先
    文子さん:峯子の姪
峯子は周りで女の子が誕生する中、
一弘君の疑問(どうしてうちにはあかちゃんがいないの?)にかこつけ
栄への手紙にも次の子どもが欲しい気持ちをそっと伝えます。
峯子の職場の学校は、ちょうど年度末にも当たり、
これからの二十日間は
大多忙を極める事でしょうと書いています。


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峯子の寂しさ

 今日2月23日は、「富士山の日」だそうです。
ごろ合わせですね~ww。
峯子の手紙にも、富士山は何度か出てきます。
本宮山から見た富士山や、弟の富士登山。
===一部引用===
峯子 13年8月1日
益ちゃんはお友達と同行三名で、自転車で昨日富士登山に出かけ、
一弘も出発を見ていましたので
「お兄ちゃんどうしたね」って聞きますと
「お兄ちゃんチリン乗ってアッチ行った」って指示しいたします。
段々利巧になって行くのを見て、
二人して育てられたらどんなに楽しかろうと存じます。
一弘も峯子もお父様のそして
夫の愛撫を一日千秋の思いでお待ちしています。

====
益ちゃんというのは、峯子の弟の益夫です。
自転車で??
かなり距離ありますが。
夏休みの冒険小旅行でしょうか。
清水(現静岡県静岡市)に親戚がいるので、
富士登山の拠点として行ったようですが、
雨降りが続いて、なかなか進めないと
次の手紙(8月5日出)で書いています。
2年後の手紙にも、弟と妹が富士登山に出掛けたとも。
それにしても、峯子は
子どもの成長にかこつけ、
栄不在の寂しい心情を吐露しています。




今朝はしとしと春の雨になりました。
昨日が節分、今日が立春ですが、
花の蕾がこの雨で膨らんで、春の開花がぐっと近くなるでしょうか?
自宅の庭の紅梅もちらほら咲きだしています。

栄も峯子も、大好きな春を待ち侘びていました。
峯子は、季節は春になっても、我が世の春(栄の帰還)はいつ?と
何度も何度も書いていました。



  2012年も大晦日になりました。
昨年は震災で揺れ、今年はその余波で揺れました。
しかし、この夏、もう一つの“戦火のラブレター”として
明日からは百姓になります」の出版で、
まだまだ戦争体験者との貴重な出会いもあった年でした。
今でこそ、今だからこその平和への願いを強くした年でもあったのですが、
来年はどんな年になるでしょうか?

峯子と栄のカレンダーは、
謎かけゲームの
めくっていく(逢う日までが近づく)楽しさと、
またスタートからやり直しの失望とが
混ざった大晦日を何度味わったことでしょう。


新しい年が、夢と希望に溢れますように・・・・



寒い北風の季節、
栄は峯子や長男の防寒具の心配もします。
峯子は、外出着に自分で仕立てたコートを愛用しています。

===一部引用===
峯子  17年12月23日

峯子は、安物ですけれど、
生地を求めてスワガーコートを作りましたので、
秋も冬も春も、外出にはこれで行きます。
少し冬に着るには生地が薄い恨みはございますが、
皆様は「とてもスタイルが良い」とおっしゃって下さいます。
みさをさんにもきりちゃんにも、
もう良い生地が入手出来ないと困ると思って、
昨冬一緒に仕立てて、クリスマスプレゼントいたしました。
お母様が大変喜んで下さいました。


=====

(注)みさを・きり : 栄の妹たち
当時はミシンで洋裁をする女性は少なかったかも?
おしゃれな峯子は、
皆に褒められてうれしそうです。
一着を大切にしていますね。




栄と峯子の時代には、戦争中で、
ゆっくり旅行などしていられなかったでしょう。
特に、事情があって、結婚式も挙げていなかった二人にとって
旅行と言えるのは、
16年の夏、
1カ月ほどの栄の一時帰国から隊に帰る時の見送りに、
峯子は本州の果てまで付いて行っています。
(栄は連絡船で門司、門司から朝鮮半島、満州鉄道で任務地中支に行く)
その時のことを、5か月経った12月に回想しています。

===一部引用===
峯子  16年12月17日

下関でお別れいたしまして、早五ヶ月近くになります。
新婚旅行らしい旅行もしなかった私達の
初めての旅行でございましたのに、
お別れ! ばかりを思って淋しい気持だった汽車の旅でした。
今にして思えば、みんな懐かしいことばかりでございます。


======

栄の一時帰国の際、名古屋まで出迎えた7月7日は、
二人の記念日になっていて何度も記述されていますが、
送って行った日付はハッキリしていません。
しかし、峯子の8月13日の手紙がありますので、
途中下車を考えても、8月10日前後がお別れの日でしょうか?
そのお手紙には、門司までって書いてあるんです。
下関まで?門司まで?
それもハッキリしません。m(_ _)m

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峯子の寂しさ




昨夜遅くからでしたが、半影月食ということで、
地球の影が月に映ったようですが、
あいにく雲が陰って良く見えませんでした。
「月」の話題は、
栄の手紙にもにも峯子のにもちょくちょく出てきて、
日本海を挟んで共通の話題になっていました。





今夜は、ペルセウス流星群のピークに当たるというニュースを聞き、
夜空をしばらく眺めていました。
なかなか見えませんでしたが・・・・
流れ星が消えるまでに、願い事を言うと叶えられる?
かどうかは分かりませんが、
峯子のように、
いつもいつも栄に会いたいと念じていたら
きっと流れ星のあっという間にも
願い事が言えたかもしれませんね。


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峯子の寂しさ



6月のジューンブライドといって、
欧米では古くから6 月に結婚すると
生涯幸せな結婚生活ができるという言い伝えがるそうです。
身内の話で恐縮ですが、
先日甥っ子がハワイで結婚式をしたんですね。
息子ばかりの妹にとって、
新しい娘ができたと大喜びで、
年上だとか離婚歴があるなんてことは
気にしてないようですね。
いまどきの結婚は、当人同士の気持ちが優先ですから。

でも、栄と峯子の時代には、
「常識的な結婚」でないと、
なかなか周りからは祝福されなかったようです。
式もあげずに峯子がタクシーで行った押し掛け結婚だった(?)
栄は、「君さえよければ、俺の所に来い」と言っていますが、
正式な結婚届けは、長男が生まれてからになっていますので
二人の結婚については、大人の事情もあったのでしょう。




ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか?

峯子と栄のお手紙時代には、
みどりの日は国民の休日ではなかったので、
飛び石の連休だった訳ですが。
子どもの日は、男の子の成長の節目として
戦時中でもお祝いされていたことと思いますが、
でも、長男一弘君の初節句は、
父不在のため延期されてしまいました。
おそらく、ほどなく帰国と思っていたからなのでしょうが、
ほかにも、
結婚式もきちんとあげられていなかったこともあり
理由があったかもしれませんね。
現在では、
どうということのない事情なのですが・・・・・
峯子は、皆の祝福をうけた妹の結婚に際して
祝う気持ちと同時に、羨ましくもあったと思います。








今朝は激しい雨になりました。

栄に召集礼状が届いた日も、
きっとこんな雨だったのでしょう。
雨の日は
15年10月10日、になって
3年前のあの日、二人の別れ始まりを思い出し、
雨は嫌い、と
峯子は言っています。








今年は、寒い冬のせいか
桜の開花が遅れています。
ちょうど入学式の頃が見ごろになるかしら??
峯子は、思い出深い五号の桜についても、
こんなことを言っています。

===一部引用===
峯子 14年3月29日
五号の桜は主不在でも、
今年の春も美しく八重に咲く事でしょう。
峯子も一弘もまだ一度も
花盛りを見た事はございません。


====
よほど桜に嫌われていたと、
言うほど我が家の春を待ち侘びるのです。
峯子は、春の好きな栄
郷土の香りがしませんか?と
桜の押し花桜茶を送っています。




峯子が、栄の電報を受け取って
海城についた19年2月23日、
官舎の方たちから留守の間の様子を聞き
白々と夜が明けるまで悲しみに暮れます。

===一部引用===
峯子最後の手紙より

官舎の皆々様から留守中の御話を伺い、
申しわけ無さにさぞお淋しかったでしょうにと
一晩中泣き明かしました。
ペーチカの火も消えて、
ヒシヒシと身を刺す満州の厳寒の余りの冷たさに、
夜の白む頃やっと気を取り戻し、
子どもの為強くなろうと故郷の氏神様にお誓い致しました。


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峯子の寂しさ







まだまだ厳しい寒さが続きます。
日本列島は、冷蔵庫・冷凍庫の寒さです。

そんな冬の日も、春を待つのです。

===一部引用===
峯子 15年1月31日

「冬来りなば春遠からじ」
木枯の吹き荒ぶ荒野の草も山の木も、
芽ぐむ春を無言で待っております。
あれから二年有余、
ジッと我が世の春を待ち続けております坊やを、
峯子を、
春の女神はまだ見出して下さらないのかしら。


======

春の女神が峯子たちに微笑むのは、
まだまだ先になります。















17年の1月はドラマが続きます。
峯子が恥ずかしい初夢を見た年です。
1月18日の新聞記事誤報で、
栄の負傷が判明しました。
しかし、戦地からの便りは届かず、
傷の具合も重傷なのかはっきりしません。
峯子の心は不安でいっぱいです。

===一部引用===
峯子 17年1月21日

静かな夜半、ふと目覚めて、
明け方までまどろみも出来ず、思いを遠く、
貴方様の上に通わせて思い案じて、
もう三日ばかり落着かない日のみを過しています。
でも、峯子は覚悟はもうとっくに出来ておりますから、
決して驚かない筈でございます。

=====

知人が戦傷や戦死の報を聞くたび、
峯子も心痛み
覚悟をしていたのでしょう。



この時の手紙に、
峯子の心を詠んだ俳句が書かれています。



















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HN:
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性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
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