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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
同じ時代に生き、苦労を分かち合った思い出を共有する「戦友」は、
立場が違っても、成り立つものなんですね。
昨日の記事に、敵だった米兵が「戦友」と書きましたけれども、
日米の互いに「敵」として戦った相手を
畏敬の念をいだいて「敵ながら天晴!」と
タッポーチョでの戦いぶりを書いたドンジョーンズさんも
フェアな精神をお持ちだったと感心します。
(↑タッポーチョあとがきにその意が見て取れます。2011.8/4記事)
多くの兵隊は、上官の命令のままに従っただけで
個人としては憎しみをもっていたわけでなく、
その時代を一生懸命に生きてきたから、
お互いが理解しあえるのでしょう。
栄の誠実さももちろん、要因のひとつでしょうが。

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栄の人柄・好み
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栄の手紙は、年月が不明のものが多く、
内容で判断できるものもありました。
この手紙は、天長節とか
子どもが「もう歩くだろうね」とあったことから、
13年春のものと分かりました。

===一部引用===
栄 13年4月29日
一弘の写真、額に入れて、将校室に掲げてある。
目下のところ、将校室に俺一人だから、
○○に来てから呑気にくらしている。
もっとも状況はなかなか急ですから、警戒は厳重しています。
あまり弾の下を走って生死の間を往復したり、
お前達の事を考えると神経衰弱になりそうです。
人間は、運命だと思ってなる様にしかならないと、
なるべく呑気に過ごそうと思います。

====

【注】文中の○○は、伏せ字
手紙は検閲され、
居場所が特定されないよう、機密扱いになっていたらしい。

栄はたびたび子どもの写真を送れと催促しています。
この手紙では、呑気に過ごそうと記述されていますが、
この手紙を書いた直前まで、40余日間の討伐で
もうダメだ!と感じた時もあったが、
家族の「写真を見て朗らかに」なったと書かれています。
家族愛は勇気を奮い立たせるようです。

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栄の人柄・好み

映画「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男~」の大場栄大尉と
「大場栄と峯子の 戦火のラブレター」の手紙文面に見る大場栄とは、
かなりギャップがありますね。
もちろん、戦場という場所も違うし、戦う相手も違うわけですが。
映画の大場大尉からは、まるで想像できない
人間「大場栄」が、日中戦争時代の手紙には表われていますね。
父親として、夫として、恋人時代の思い出や、妻への思いやり、子煩悩だったり、峯子への気持ちなど
とてもロマンチストで、時にはポロっと寂しい気持ちがこぼれたりします。
しかも、郷里を離れて、9年間の別離。
今の時代には、想像できないふるさとへの強い想いがあったでしょう。

日本中が、戦争一色の時代に書かれた
妻へのラブレターは、
兵士であっても、一人の人間であること、
支え続けた妻との愛情の絆の強さを
改めて感じ取ることができます。

何度読み返しても、
また感動の生まれるお手紙です。
大場栄と峯子の戦火のラブレター


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栄の人柄・好み
栄は、16年11月に中隊長に就任し、
17年春~夏ごろは、教導隊で先生をしています。
1月に目覚ましい活躍で戦傷(人違いの報道)していますので、
前線から一歩退いていたのでしょうか。
内地で小学校の先生の経験があったからでしょうか?
進軍中と違い、隊の本部に将校(当時は中尉)の部屋もあったようで、
部屋の模様替えなどしています。

===一部引用===
栄  17(?)年4月ごろ
今日は部屋を掃除して大変綺麗になりました。
答案用紙の廃物を利用して、黒い壁を糊り、
竹で天井を編んで箱の様な部屋になりました。
大変心持が良いです。

====

他にも、栄は慣れない針仕事で敷布で浴衣のような寝巻を作って
部下から「小隊長は何でもやりますね」と言われています。(13年10月の手紙)
手仕事も工夫しながらするのが
上手かったようですね。




13年3月、峯子は、父の勤める三谷町役場の臨時雇いに
ひと月ほど従事することになります。
年度末の業務でしょうか。
そのことについて、栄は次のように書いています。
===一部引用===
栄  13年2月22日
峯子が役場の臨時雇いとなっている件、確に承知しました。
誠にお前にまで苦労をかけて済まないが、それもよかろう。
仕事を一生懸命やったら何も忘れて楽しみも出よう。
また社会学の一面も触れる事が出来よう。
然し、峯子は何処までも子供の母であり、妻である。
しとやかさを忘れては困る。それさえ峯子が自覚していれば、
僕に文句はない。

=====

栄の女性観が表れていますね。
でも、女性教師は、あまりよくは思っていなかったらしい??


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栄の人柄・好み
栄がまだ予備役のころ、
峯子との結婚を決意したことが
11年新春の手紙に書かれています。

===一部引用===
栄 11年1月7日
で、俺もこう心に決めた以上、
なるべく早く結婚した方が良策かと思う。
よい日時を遷延して。
(中略)
両方納得さえいけば、
ついでにこちらに来て貰ってもさしつかえないかと思うが、
よく相談してみて下さい。
では右お願いまで。


====

この手紙には、
二人の結婚について
あれやこれやと差しさわりがあって
親戚からも反対があるような書き方がされています。
でも、「そのくらい、何でもない」と
栄の芯の強さ、峯子への熱い愛情が感じられます。
順風満帆といえなかっただけに
二人の想いは強く惹きあい、
長く続く別離も超えて
お互いを支えあったのでしょうね。






最近、定期的にハガキを出しています。
内容は近況報告といったところですが、
ハガキを出すことによる、
郵便屋さんの配達(ご苦労様です)で、
宛先までの道が消えてしまわないようにするための
活動支援です。
手紙にはそんな効果もあったのか・・・と
再認識。
最近は、早くて便利な通信手段がありますから、
ふつうなら年賀状くらいしか書かない??

でも栄と峯子の時代には、
当時の郵便事情でなかなか届かないお手紙が
とても「大切なもの」だったのです。
情報を伝えるだけでなく、
頻度にも気持ちが込められていますね。
先日紹介した栄の手紙の文末に
栄の優しさが表れていました。

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栄の人柄・好み

このブログを書き始めてから2年半、
もうすぐ3度目のお正月を迎えます。(峯子の気持ちが分かるなあ・・・)
記事もたまってきましたので、
ブログの読み方も参考にしてください。




ロンドンオリンピックでは、日本選手の活躍が
毎日のように報道されてスポーツ熱に沸いています。
日本のお家芸(?)柔道も、国際的なスポーツになった現在、
なかなかメダルも難しいようですね。

栄は学生時代柔道をしていたようです。
陸軍では、剣術競技会などをして
腕を競っていたようですが、
栄はこちらは苦手だったようで、
柔道ばかりしていたのを後悔していると
手紙に書いています。


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栄の人柄・好み









昭和17年の1月、
栄は足をやられて、病院のベッドの上です。
峯子の編んだセーターの温かさに身を包みながらも、
戦闘に出られない焦りが文面に表れています。

===一部引用===
栄 17年1月29日

心配するな。
こんな事で心配していたら神経衰弱になってしまう。
戦死者に対して相済まん。
俺が、上陸以来
俺の身代変りになって貰った者より、
今度の方が多いが、戦闘ならやむを得ん。
殊に対英来戦が開始せられた以上、
その一翼たる我が隊も一層猛烈に敵をやっつけねばならん。


======

と、もどかしい気持ちを
戦傷位で騒いでいては東亜戦争は片付かん。」と、
平癒祈願はうるさくてかなわんから、
郷里でも騒がないように、クギをさしています。








兵士のスキルアップに、
剣術競技会が開かれています。
部隊ごとに競い合うものらしく、
栄の隊はあまり良い成績ではなかったようです。
(下から4番目)
栄は、剣術は苦手?
指揮軍刀術というのもあるとか?
学生当時柔道ばかりしたのを後悔していて、
「一弘は剣術を仕込むつもり。
君の考えはどう?」と、
峯子に意見を求めています。

栄は、当時の男性としては珍しく(?)、
峯子にもフィフティフィフティの立場
意見を求めたり、任せたりしています。







4度目の秋から冬を迎えようという頃、
戦地で栄は
思い出の多い秋から厳しい冬に立ち向かう決意を込めて書きます。

===一部引用===
栄  15年10月30日

 “人生は 重き荷を負うて
    遠き坂道を行くがごとし”
 違うかも知れないが、
こんな格言があった様な気がする。
うまい名言だと思う。急ぐべからず。
とかく俺等は物事を急いでいけない。
落ちついて天運にまかせる主義でいきたい。
人を相争いせず、吾天を相手とする。
然り天を相手とせん。


=====


天を相手にすればこそ
過酷な戦場
何度もかすめる命の危機
辛い試練も乗り越えられたのでしょうか。




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栄の人柄・好み














栄が中国大陸に渡り戦地を転々としながら
10月を迎えようとする頃
大陸の雨は冷たそうです。

===一部引用===
栄 15年秋
 
雨! 続いて雨 そして曇!
毎日天候が一様で無い。
外套に身を包んで受ける教育も、並大抵では無い。
大陸の自然 夏から秋へ! 秋へと移っている。
四度廻わる大陸の秋、そして冬。
間も無く君達を故国を残してから満三ヶ年が来る。
御国の為! 唯 国の為だ!


======

栄は激動の3年間を振り返ります。
机も無い土間で手紙を書きながら、
それでも文面の最後には、
いろいろ考える事も夢かもしれないが
夢のあるうちが楽しみだと
至極将来に向けて前向きです。
こうした姿勢が、
窮地に陥っても希望を捨てず
サイパンでも
最後まで生き抜いてきた栄らしさが
表われているかと感じられます。


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栄の人柄・好み















栄は、釣りが好きで、
秋のハゼ釣りの事を
戦地の空を見て故郷の秋を思い出しています。

===一部引用===
栄 秋

そろそろハゼ釣りの好期、
釣りざおをかついで
豊川の流れを漂流した昔が思い出される。
夕陽を斜に受けながらする
太公望たまらなく懐かしい。
夕食の美味だったのを忘れられない。
最近腹がヘって困る。


======

釣りの思い出も
五号竹島での事など
何度か書かれています。
栄は峯子からの手紙を何より楽しみにしています。
なかなか届かないと、イライラしながらも
郷里のこと、留守中の家の事などなど
知りたい事を箇条書きにして
峯子に書き送れと言っています。(15年夏の手紙)

・繫栄国策方面(知り合いの所に子どもが生まれたか)
・産業方面(景気の動向)
・子どもに関して
・兄弟の事
特に、子どもについては、
一、 一弘はもう走るだろうな
二、 毎日履物はどんなものを履いている?革靴はあるか
三、 着物は和服か洋服がどんなものを着るか
などと
20項目以上を挙げています。
子煩悩な父親としての栄像が垣間見えます。


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栄の人柄・好み
15年の夏です。
峯子の手紙に、
牧山の手伝いに行ったと書かれていたのでしょう。

===一部引用===

牧山の手伝い、御苦労だったね。
本当をいえばそんな事さしたくないんだがね。
それ以上色が黒くなっては御免だからね。
女房は、
いつまでも綺麗でいた方がいいんだからね。解る?

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色白の綺麗な女房がいいって、
この書き方がとっても
茶目っ気が感じられるんですけど・・・・
===一部引用===
栄 13年8月

十日程前から本部へ手紙及び慰門袋を、
当番のと一緒にまとめて送る様に再三依頼しておいたら、
やっと今日の連絡自動車で送って来た。
七月十五、二十二、二十九日の三通。
四、五、六、七、八月と
少くとも十通位はあると無理にやかましく言っておいたのが、
たった三通でがっかりしました。
慰門袋は一つも無かったが、
今ここで貰わなければ価値が半減します。


====

本部と離れた部隊にいる栄は、
手紙や慰問袋を心待ちにし大切にしています。
何が欲しいと言って、峯子の手紙さえあればいいんだから、
という栄です。
自分には届かなかったが、
部下にふたつも慰問袋があったりした時には、
ちょっとご立腹

13年の夏頃というのは、
徐州作戦の後移動して
漢口・応山あたりにいたのでしょうか?
自動車の通る道路があったようですが、
きっと前線は不便なところだったのでしょう。



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栄の人柄・好み
栄は軍人を武士にたとえて、
その妻たるものの資格を問うています。

===一部引用===
栄 15~16年ごろ 


たびたび、男性の横暴云々の言葉を聞くが、あながち男のみの横暴では無い。
男は昔から横暴の者と相場は定っている。
それを操縦出来ないのは、女の足らなさなのである。
つまらぬ女だったなら、軍人の妻としての価値が無いのであるから、
命令でなくても自然そうなるであろう。
然らされば、自ら職を退くより外に道は無いから。
結婚には身元が厳しく厳選され許可無くては成立しない。
学力は女学校卒業以上たる事。
家庭厳格にして武人の妻たるに適する者でなくしては合格しない。
勿論玄人では許可されない。
下士官以下については、学力の点は此の限りで無いと思うが、
その他は同様である。
従って、いかなる事情か知らないが、
君の友人にも何か欠点があった事と思う。
あながち安っぽい涙を流すには早過ぎる。
我々には所詮、昔の武士である。武士は町人とは異なる。
妻たるべき者また町人の妻と同じであってはならない。


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栄の人柄・好み

初めての方には、
このブログの読み方
栄は汗かきで、
暑い支那の夏は難儀をしています。
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栄 13年夏
愈々暑くなって来ました。
生れつき汗の多い僕には、毎日ユデダコの様です。
汗で毛布がびっしょり。
暑いのに何故毛布をかむるかって、
目下カヤが無いので、
その代用に毛布で蚊の襲撃を防いでいます。


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蚊は、マラリヤの媒体なので、
刺されないよう注意しています。

そんな栄を、峯子は何時も気遣い
「暑いなどと言っては、申し訳ないので、
 言わないようにしている」などと書いています。


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栄の人柄・好み
栄は朝の早起きは苦手だった?
9時間以上寝る癖の付いている僕は
7時間や8時間では足りないとか。

===一部引用===
栄 年月不明5月ごろ?

夜毎蛙の鳴き声賑し、
御里の蛙とその音何等変り無し。
不思議ならずや?
蛙の鳴く頃、親の死目にも遭えぬ程眠いとか
古人は言っているが、相変わらず眠い。
朝寝して、寝床の中で先ず一服して起きるのが
何より楽しみですが
(昔と何等変り無し。
起すのに一苦労するが楽しみならずや。
一弘戦術は御免こうむる)
なかなかそうした暇がない。

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一弘戦術というのは、
きっと坊やが起こしに来たのでしょう。
なにか、微笑ましい光景ですね。

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栄は、愛知県実業教員養成所卒業後、
1933年(昭和8)、御津町立実業学校の地理教諭となります。
翌年徴兵を受けて大日本帝国陸軍に入営し
歩兵第18連隊に配属されます。
将校を目指し甲種幹部候補生となりますが、
1936年(昭和11)、豊橋市立吉田方尋常小学校に
教諭として帰ってきます。

吉田方に勤めていた頃は、
思い出の五号に住んでいます。
栄の真面目優しい性格ですから
近所の住民には、
先生・先生と親しみ敬われていたのでしょう。
獲れたての海産物なども貰っていたようです。

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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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