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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
答礼人形のことは、以前にも紹介しましたが、
今年の夏は、ミス愛知のお里帰りで、
愛知県内各地で展示会が開かれる予定です。

【青い目の人形と答礼人形「ミス愛知」の展示会】
■開催期間及び場所
2017年7月19日(水)~30日(日)豊川市桜ケ丘ミュージアム
2017年8月2日(水)~13日(日)岡崎信用金庫資料館
2017年8月17日(木)~25日(金)一宮市スポーツ文化センター
2017年8月30日(水)~9月10日(日) 名古屋市博物館

この展示会に当たっては、
クラウドファンディングで資金を集めたようですね。
市民が支える平和のメッセージです。
この日米親善大使としての人形も、
もともとは、日米の市民の交流で生まれました。
ぜひともお近くの町で、人形たちに会いに行きましょう。

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昭和2年、アメリカから日本の小学校へ送られた
たくさんの青い目の人形のお話はご存知でしょうか?
栄さんの赴任先でもあった御津南小学校にも、ヘレンがいます。

そのお礼にと返礼された50体の日本人形のひとつ「ミス愛知」
こちらのブログでも以前紹介しましたが、
今年の夏にミス愛知の里帰りが予定されています。
親善大使としての答礼人形の里帰りを実現させる会の
シンポジウムの報告ページのご紹介(昨年12月に開催)。


夏が楽しみですね。


今年もあと数日。
新しいカレンダーをかけ替えながら、
栄と峯子がやりとりしたなぞかけを思い出しました。
戦地で毎日1枚ずつ減っていく栄の日めくりの1枚に、
赤字で残りの数字を書き込んで
「わかるかい?」と峯子に送った謎かけです。

2016年は、自衛隊の海外での活動が平和維持の範疇を超えてしまうという
大きな動きのあった年。
平和憲法の解釈次第で、兵器も使える「軍隊」であることが
明らかになった歴史的な年でした。
新しい年は、
命が大切にされる国になってほしいと思います。


8月15日放送のNHKテレビ「ふたりの贖罪」は、
とても感動を呼ぶストーリーだった。
日米二人の元軍人が、それまで相手国に対する敵意識:憎しみを
聖書の言葉に感銘し回心、キリスト教の神父となって
それぞれの「敵国」を伝道して回ったというドキュメンタリー。
二人の間には共通の意識
聖書の中の言葉「汝の敵を愛せよ」があり、
伝道中にも多くの人々の憎しみの心を溶かし癒してきた。
天国では二人は「兄弟」としてであっているかもしれない。

思い出されたのは、
戦後30年くらいのビデオにあった、大場栄さんがサイパンでの慰霊祭に参加したとき。
サイパンで生き残った元日本兵らと、タッポーチョの著者ドンジョーンズとが「戦友」として
隠れてゲリラ戦を続けていた山道を仲良く歩くシーンや
元敵将が来日して栄さんと当時を語り合う交流の記事。

同じ空気を吸うあちら側とこちら側にいても
理解し合うことで「無知」から「理知」に代わる。変えられる。

聖書の中の言葉から(無知は無理解を生み、無理解は憎悪を生む)
無知から生まれる憎しみの連鎖を断ち切ることこそ
「ノーモア パールハーバー」であると番組は締めくくる。

武器では国は守れない。

冒頭紹介の番組の最後、淵田さんの娘さんが米国人と結婚
(反対する家族の中でただ一人の理解者は父だったそうだ)し
アメリカで暮らしているが、国を超えて親戚になれば
「日本人」とか「米国人」でなく
「そうすればただ『人間』になるね。」と彼女の夫の発言。

番組は再放送されるかもしれませんね。
オンデマンド再放送リクエスト





豊川には、海軍工廠という当時国内はおろかアジアでも(?)最大の軍事工場がありました。
アメリカ軍の標的となって、昭和20年8月7日、大空襲となりました。
6日と8日の間です。
昨年は、70周年ということで、
豊川市では空襲疑似体験イベントが開催されましたが、
今年はどうでしょう?
豊橋市は、平和宣言都市として、サイレンを鳴らすそうですが、
各地の平和宣言都市では、戦争の愚かさ、悲惨さを忘れないように
どんなことをしているのでしょう?

参議院議員選挙や東京都知事選挙で、
新防衛庁長官が「核武装」を否定せず「新型ミサイル導入」などの発言があったり、
東京核ミサイル配備」構想の新都知事が当選したりと
日本はどんどん武装・軍事化されていく方向が見え、
とても心配です。
武器を持てば、攻撃目標になるのです。
武器で安全は作れません。
昭和の始めに、アメリカから青い目の人形が12、000体も
日本全国の小学校に贈られた 話は、以前にも書きましたね。
この近くでは、栄が若い頃赴任して峯子とデートもした
現在の豊川市御津南小学校に残っているそうです。
(戦争の時代に失われたり捨てられたりして
全国では300体ちょっとしか残っておらず
愛知には三河に9体残存しているのみですが。)
そのお礼に日本人形を答礼として全国各県から
合計58体の人形が親善大使としてアメリカ各地に届けられたそうです。

ここ何年かで、静岡、三重、岐阜などに、人形のお里帰りが実現しています。
もう90年近く前の事で、傷んだりしたものを修復して展示したり
平和のこころを伝える民間親善外交として活動している団体によって、
愛知県のミス愛知は来年の夏に企画されているそうです。
ミス愛知展示
当時としても品質の高い、とても精巧で品のよさが香る美しい振り袖の日本人形は、
アメリカの少女だけでなく大人にも感動を呼び起こしたのでしょう。
アメリカの図書館や美術館に展示されていました。
失われたものもいくつかあるようですが
歴史を見てきた民間の平和親善大使です。
愛知に里帰りしたらぜひとも見たいですね。
5月3日は憲法記念日
憲法記念日は
1946年(昭和21年) 11月3日 - 日本国憲法公布され、
1947年(昭和22年) 5月3日 に施行された日本国憲法を記念し
翌1948年にできました。

現在の日本国憲法は、第2次世界大戦が終わり、
日本の再建の基礎となったものです。
下手をすれば
敗戦国として戦勝国の植民地となれば「国語が英語」になったかもしれなかったのでした。
しかし当時の英知を集め、
日本が二度と戦争をしない、巻き込まれない平和を希求し
女性参政権をはじめとする
人間の基本的人権や自由の尊重が
大きな柱になった日本国憲法ができます。
平和憲法とも言われる第9条は、
アメリカの押しつけと言われていましたが、
そうではなく、当時の内閣総理大臣幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう)氏がマッカーサ氏に提案(病床にて熟考)したと
いう事実が明らかになっています。
ただ、見掛け上、GHQが作ったものと言わしめた
(晩年の本人にインタビューした平野文書より)といわれています。

また、日本以外にも
平和的条項を持つ国々は沢山あります。

大場栄をはじめ、当時の日本の兵士たちは、
軍部の命令のままに戦争に赴いていったのです。
戦時中は、言論も生活も統制され、
国の意向に反しては思うように振舞うことはできませんでした。

栄も手紙の中で
ポロっと軍人には似合わない心根を吐露してもいます。
運よく戦争から生きて帰れた戦争犠牲者は皆、
戦後に育った若者ももちろん、
今を生きている私達と同じ思い
二度と戦争をしないと誓ったこの憲法を誇りに思い、
恒久の平和を願っています。
ことしも平和を願う8月がきます。
国会では、戦争法案が審議中です。
憲法に戦争放棄を謳い、70年の間平和だった日本ですが
今後どうなってしまうのか大変心配しています。
戦争を仕掛けるだけでなく、「敵」になれば
巻き込まれてしまうのですから。

また8月(秋以降に延期)に
大場栄さん関連のTV放映がある模様。
取材が決まりましたら、詳細はまたお知らせします。
大場栄さんの学区の小学校の学芸会で
「戦争が伝えたこと  大場栄 真実の物語」
という劇を6年生が演じるというので観に行きました。



晩年の栄が回想という形でエピソードが展開し、
それぞれに戦争をとらえて、
当時生きた人の気持ちなどを代弁して
とても良い劇だったと思います。
指導された先生方の、「伝える」気持ちに感謝します。
大場栄さんは1914年生まれですので、
今年2014年3月21日は、生誕100年に当たります。
激動の時代、数奇な人生を送られた大場栄さんですが、
サイパンでの活躍が米兵の目にとまり
タッポ-チョ~敵ながら天晴~大場隊の勇戦512日」という本になったり、
また、それを題材に
映画「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」ができ無ければ
手紙の存在も知られず、ひっそりとしたお彼岸になったことでしょう。

日本では、約70年間、平和が続き、世界の中では珍しく治安のよい国になっていますが、
現在でも戦闘状態にある国や地域が存在し
銃弾の飛び交う中で暮らしている人々、怪我で苦しむ人々、
家族と離れ離れになって悲しい想いをしている人たちがいます。
一人でも、戦争で辛い思いをすることがない世の中にするために
いろんな努力をしている方々に敬意をもっています。
また、こうした活動を通して、平和を大切にしたいと思います。

参考
ウィキペディア 「大場栄
大場栄の人柄・好みカテゴリー


日本国憲法は、「戦争放棄」を明言した世界でも珍しいものです。
平和の基本となる戦争をしない国という憲法を
世界遺産に登録しようという本があるようですね。
憲法九条を世界遺産に
太田 光  中沢新一 集英社新書

また、その憲法を持つ私達日本国民を世界遺産に登録しようという動きもあるとか。
政府で無く、日本国民というところに主権在民の意志が反映されていますね。
実際の登録は難しいとは思いますが、しかし
そのくらいの価値はあるのではないかと思う今日この頃です。
「永遠のゼロ」観てきました。
過酷な運命を選択する青年の葛藤。
宮部久蔵が、指導する部下に
「どんなにつらくても、生き延びる努力をせよ」というセリフが
大場栄のサイパン戦場で遭遇した赤子に「生きろ!」
と言うシーンと重なって思えました。
命が物のように扱われた悲しい時代の反省を
私達はしなくてはいけません。
希望の薄れた現代でも、
未来の時代を作っていく若者たちのために。
新しい年が、平和で美しい自然とともにありますように。

2013年 大晦日
前回の記事に書いた話題です。
ゼロ戦乗りの祖父の素性がだんだん明らかになっていく・・・
特攻で死んだおじいちゃんの取材で、
明らかになっていく宮部久蔵という人物
百田尚樹氏の小説を原作とした映画が
2013年12月21日より全国東宝系にて公開
永遠のゼロ

大場栄小笠原久雄同時代を生きた当時の若者宮部久蔵という人物にも、
共通部分がありそうです。
ちょうど書店店頭で、動画のコマーシャルを見かけました。
太平洋戦争末期、
特攻隊の兵士の生きざまを描いた、話題の小説の映画化です。
永遠のゼロ
21日から一斉公開。観たい映画の一つです。













戦争の悲惨さは、
戦場でも、残された家族にもありますが、
その中にあって感じられる優しさや一途さが
涙を誘います。






名古屋の劇団「劇座」の朗読劇を見てきました。
「凛として」

戦争中のお手紙、特攻に行かれた方の遺書や家族の手紙です。
どのお手紙も、
自分を見つめ、残された愛する家族への優しさがあふれるお手紙ばかり。
「おかあさ~ん」
「泣ないで、誇りに思って」
「わたしに会いたければ、空を見なさい」
など、胸を打つフレーズが心に残ります。
その時代に生まれた人たちは、
受け入れがたい運命をも受け入れ、
精いっぱい生きた証拠として
特攻の兵士も前を向いて飛び立って行った・・・・・
前途ある若者に、悲しい決断を二度とさせないような
世の中にしなくては、との思いを強くしました。







アニメ「風立ちぬ」 宮崎駿監督のジブリ最新作は、実在の人物がモデルということで異色と言われています。
 予告編
「かつて、日本で戦争があった。
大正から昭和へ、1920年代の日本は、
不景気と貧乏、病気、そして大震災と、
まことに生きるのに辛い時代だった。
そして日本は戦争へ突入していった。
当時の若者たちは、そんな時代を
どう生きたのか?
イタリアのカプローニへの
時空を超えた尊敬と友情、
後に神話と化した零戦の誕生、
薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ。
この映画は、実在の人物、
堀越二郎の半生を描く。」
  とあります。
背景に戦争を描きつつも、
尊大なヒロイズムでも極端な糾弾でもない。
激動の時代を懸命に生きた若者の純粋な夢と愛をテーマにした作品。
監督は、「堀越は、軍の要求に対抗してきた人間。
戦争の時代を一生懸命に生きた人」
と表現しています。






映画「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」の原作となった
タッポーチョ  敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」の冒頭に
アメリカ海軍将校が来訪する記述があります。
本文中はルイスになっていますが、
著者のドン・ジョーンズを投影したものです。
ドンだけでなく、敵として戦った当時米将校たちは、
戦後何度か大場栄宅を訪れ
「戦友」として友好関係を築いています。
サイパンでの闘いで「敵ながら天晴」と
ヒーローだった栄の姿が浮かび上がります。
大場家を訪れた米将校の新聞記事(朝日昭和48年10/22)

峯子はこうした時のことを俳句にも詠んでいます。
「サイパンでの 敵将来訪 終戦忌 (米友人)」
「再開の 握手に涙 遠がすみ (米友人)」



豊橋空襲犠牲者を追悼し平和を誓うつどい
2013年6月20日(木)
 午後6時45分~ つどい
 午後7時40分~ 灯篭流し
豊橋市 湊町公園

1945年6月19日~20日未明にかけての豊橋空襲を忘れないよう
「悲惨な戦争・空襲体験を語り継ぐことにより
二度とふたたび戦争の参加を繰り返さないと誓う」という
決意を込めたつどいです。
主催 豊橋空襲を語り継ぐ会

似島(ニノニマ)は、広島宇品港から南を臨むと、
対岸正面に見える稜線の美しい安芸小富士と呼ばれる島です。

宇品は軍都広島の要所、軍艦や船舶のひしめいていたであろう所で
外国へ行くにはここから出て行きました。
大場栄さんが、中支に向かった昭和12年も、この宇品港から出港したのでしたし、
19年2月にサイパン(当初はグアムだったらしい)へ向かう
運命の崎戸丸に乗ったのも、宇品からでした。

似島には、当時、日清戦争時代からの捕虜収容所と
検疫所がありました。
ですから、外国からの船はすべて、
伝染病の検査などで、兵隊も軍馬もここで留め置きになりました。
暁部隊の本部は、もう一つ南の対岸に見える江田島にありましたが、
訓練は、似島の浜でも行われ、
常時マルレのボートを密かに収納した洞窟(?)もあったようです。
第一級の軍事機密で憲兵なども配置していたといいます。
小笠原さんもここで訓練ししていたのでしょう。
手紙の住所にあった大黄地区には、
将校の宿舎などがあったようです。

近くの浜で、猛特訓をしたのでしょう。
当時のことを知る物はほとんど残されておらず
軍が使った桟橋の石組みが残っているくらいです。
資料(似島自然臨界少年自然の家HPより)
原爆の20年8月6日朝、軍のみならず一般市民など多くの犠牲者を
爆心地から船で運んだり救護に当たったのは、
小笠原さんの所属した陸軍船舶暁部隊だったそうです。
(小笠原さんは、8月6日は福山に居て助かった)
島には、救護の甲斐なく亡くなられた多くの方々を
埋葬した千人塚が残されています。
似島に建立された慰霊碑には
今でも、お花が絶えません。


現在の似島は、広島市似島臨界少年自然の家があり、
圏内外から訪れる青少年の野外活動や平和教育の場として利用されています。
地元の研究家M氏、少年自然の家には、
暁部隊の資料をいただき、島内案内もしていただき、大変お世話になりました。


広島見聞記(1)









.
平和宣言都市広島に行ってきました。

戦争の深い傷跡を残す広島に、平和を願う人たちが訪れています。

この日も、桜の満開の時期で平和記念公園を訪れる方が多く、
若い方、外国のお客様もよく見かけました。

ちょうど、慰霊碑前を通りかかって、福島の高校生たちが地元の高校生と
交流セレモニーの場面にも居合わせました。
平和記念資料館で、ボランティアの方から、説明を聞き、
大変勉強になりました。
資料館の企画展で、似島(ニノシマ)のことも紹介されていました。
原爆で負傷した方の治療のために使われた検疫所のあった所ですが、
対岸の爆心地から輸送されても、治療かなわず亡くなられた方々のあまりに多さに、
悲惨極まりない状況だったとのことです。

合掌

太平洋戦争末期の19年になってから編成された
陸軍船舶練習部第十教育隊(通称暁部隊)のマルレ作戦は、軍部の中でも極秘で、
活動期間も短く、機密保持されたためあまり知られていません。

この広島研修旅行は、
海の特攻マルレ作戦の陸軍船舶隊に従軍し
福山で終戦を迎えた小笠原久雄さんの手紙から
その所縁の地を訪ねたいというのが主目的です。
彼の手紙集「明日からは百姓になります」にある地名を
尋ねていきます。
翌日は、訓練をしたという似島にフェリーで渡ります。
広島見聞記(2)




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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

「大場書簡を読み解く会」
senkanoloveletter@live.jp
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