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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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比較的穏やかで、日差しもこころなしか春が感じられる立春。
栄も峯子も、
季節の春は巡ってきても、
親子水入らずで暮らせる「我が家の春」を心待ちにし、
その日がいつ来るのかと思いつつ
何度も空振りの春をむかえています。
「我が家の春」でキーワード検索してみると、
あれこれヒットします。

桜の春
桜の開花
春の雨
好きな色
立春
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東京アイスクリーム協会(日本アイスクリーム協会の前身)では、
アイスクリームの一層の消費拡大を願って、
東京オリンピック開催年の昭和39年(1964年)に、
アイスクリームのシーズンインとなる連休明けの5月9日に記念事業を開催し、
あわせて諸施設へのアイスクリームのプレゼントをしました。

以降、毎年5月9日を「アイスクリームの日」として、
この日を中心に各地区で各種イべントと
施設へのアイスクリームのプレゼントを実施しています。

アイスで思い出されるのは、
峯子が子どもにせがまれるままアイスキャンデーを
溺愛から2本も食べさせてしまったというエピソード。
兄からもきつく叱られたようですが、、、
子どもはアイスが好きですね~~。

====部引用===
峯子 13年6月15日

先日、一弘にアイスキャンデーを二本食べさせてお腹をこわし、
38度8分も高熱を出した時には、本当に心配いたしました。
両手で頭ばかりかかえて、痛い痛いって泣き呼ぶのを見ていて、
脳膜炎にでもなったら、何て申し訳をいたしましょうと存じましたけれど、
三日ばかりで熱も降り、今は元通り元気で遊ぶようになりました。
まだ少し痩せていますけれど、子どもの事ですから、
もう二三日したらクルクル太る事と存じます。
誰にも原因は申しませんが、兄にだけ解って、目の出る程叱られました。


======

栄の返信にも、甘やかすなと書いていますが、
冷たいものの食べすぎにはご注意ください。

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子どものエピソード






2月は、チョコレートの一番売れる時期ですね。
本来は、女性から愛の告白のできる日とか?
いえ、2月14日でなくても、いつでもできる現代ですが、
昭和の10年代には、珍らしかったでしょう。
(どちらかというと?)峯子の方が積極的だったかもしれませんが、
栄が結婚を決意したのは、昭和11年の初夏のころ。

===一部引用====
栄  昭和11年
峯子さんのこと、
年上なる上に従弟同士だから、誰が考えても不釣り合いの事と思うが、
(中略)
俺さえ峯子さんと結婚する気になれば、
それも一番円満な解決法かと思い、
(中略)
年上位なんでも無いと、あえて躊躇することはない。
で、俺もこう心に決めた以上、なるべく早く結婚した方が良策かと思い(中略)。
家も今、蚕で一杯だから、
もちろん結婚式何か挙げられやしない。
両方納得さえ行けば、
ついでにこちらに来て貰ってもさしつかえないと思うが
よく相談してみてください。

======

とあり、結婚式も挙げず・届けも後々にして、
峯子がタクシーで五号に行くことになったという訳。
物の無い時代でも、嫁入り道具を支度していた妹の結婚を横目で羨ましく思っていた事情も
理解できると思います。




東三河地方は花火が盛んで、祭りには花火が付き物です。
特に手筒花火という、火薬を詰めた花火の筒を持ってあげるものがあり
蒲郡の町内のそれぞれの祭りに手筒花火が上がります。
サイズは片手で持てるものから抱え込むものまで
まちまちですが、広く浸透しています。

右の花火の火柱のシルエットに浮かび上がった人の姿で
その大きさを感じてください。

峯子の町の祭りでも手筒を上げています。

===一部引用====

峯子 16年10月24日

牧山のお祭りも、一昨日すみました。
忙しさに取り紛れ、八柱神社へお詣りに行きましたのは、九時頃でございました。
お母様と御一緒に、お詣りいたしました。
幼い頃こんな歌を唄った事を思い起しながら、暗い田舎道を黙々と歩きました。
   笛や太鼓に誘われて
     山の祭に来て見れば
   日暮れはいや    里恋し
     風吹きや木の葉の音ばかり
でも、峯子には里恋しではなく、君恋しでございました。
久し振りで手筒花火を見ました。
御神前御奉納に、数本ではございましたが、本当に見事に存じました。
「手筒花火は度胸だめし」何処かの音頭にこんな歌詞があったかと存じます。


中略
秋の夕暮れは、また峯子を感傷に浸らせてしまいました。
ごめんなさいね 淋しいわ!


======






昨夜はいい月が出ていました。
と思ったら、今日が中秋の名月だそうです。

中国大陸と郷里の蒲郡に離れて暮らす二人は、
共通の話題として、空を見上げて月を見ています。

===一部引用===
峯子  14年 1月8日
月に祈っている峯子の姿が、支那では月の表に映っておりませんかしら。
=====     

特に秋の手紙にはロマンチックな想い出の月の話題はちょくちょく出てきます。
月のウサギの話(栄)や、
===一部引用===
栄 14年10月ごろ
今夜も壕の片隅でコオロギが秋を物語っています。
晩月がほの白く戦場を含んで、淡い、
それでいて淋しい秋だなあ、という感じを深めます。
どうかすると秋の月が、コオロギの鳴く音が、
遥か峯子達の傍に帰してくれます。 

===一部引用===
峯子 15年9月23日
お天白様の祭礼も、新の十六日にすみました。
事変下の事とて余興も夜迄はございませんでしたけれど、
丁度十五夜でございましたので、中空に輝いた月の美しかった事・・・・・
戦地でもきっと御覧下さいました事と存じます。
======
また、秋の思い出の三日月(栄)、

歌に出てくる離れてみる月も話題に上ります。
人妻椿の月の話(栄)、
人妻椿の歌詞(峯子)、
と、ロマンチストのお二人です。






海の特攻・マルレ 小笠原久雄の手紙
明日からは百姓になります」から
久雄は、太平洋戦争終戦間際の昭和20年8月10日に、
福山から静岡の友人に託して郷里の最愛の妻へ手紙を出しています。

====一部引用====
取急ぎ失礼致します。
また、もう新聞等にてご承知の事と思いますが、
一昨日(八日)ここで空襲を受けました。
被害に就いては申されませんが、豊橋あたりと同様です。
お蔭様にて私も災禍から幸にして無事免れました。
何卒御安心下さい。自分の所持品も、大方焼失せず済みました。
身体も相変わらず頑健にて微傷一つ受けず、
自己の職場も敢闘しております。
これも神佛の加護、いとしの君等の祈念の賜に存じます。

===

久雄は、大変な状況の中、一刻も早く自身の無事を知らせたく
「取り急ぎ」筆をとっています。
郵便も、届くか分からないと思いながらも、
郷里の事も心配で居ても立ってもいられない
彼の心境が手に取るように分かります。
豊橋の空襲と言うのは、6月19~20日の時のことでしょうか?



この週末は、春の嵐ですが、
今晩も風雨が酷くなってきました。
16年の4月、峯子の手紙にも夜半の嵐とあります。
===一部引用===
峯子 16年4月10日
春の空と女心は何とやらと、諺にも申します毎く、
午後からの雨が風に変るらしく、
外は雨の音に風をまじえています。
満開の桜の花も夜半の嵐に散り始める事でしょうと存じます。
また今年も、馬場の花も岡崎の夜桜も見ないでしまいそうです。

====

秋だけじゃなく、春の空も移り変わるのが急なのね。

例年ですと4月の第1週に桜まつりが開かれるところが多いのですが、
この風では、みな散ってしまいそうですね。
岡崎は、岡崎城でしょう。
この地方では桜の名所として名高いです。
夜桜は、この頃からもあったのですね。
馬場はどちらでしょうか? 分かりませんが。

このお手紙は、本に収録していますが、
この部分はカットしたので、本には載っていません。
お手紙は、とても分量が多く、
編集して全体の一部を本にしましたので、
未収録も多く残っていますので
まだまだ「チョットだけよ」がございます。

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手紙内容チョットだけよ






栄と峯子の長男一弘君は、昭和12年3月16日生まれ。
1歳(かぞえでは2歳)のお誕生を前に出征した栄は、
長男の誕生日にプレゼントを、と手紙に書き記します。

===一部引用===
栄  昭和13年2月22日
一弘はどんなにか可愛好くなった事だろう。
もう「失敬」や「今日は」が出来れば大したものだ。
一弘の姿や顔が頭に浮んで来る。
親馬鹿かも知れないが、俺はなかなか立派な利口な奴だと思う。
おそらく峯子も同感だろう。峯子も親馬鹿かな。
早く洋服も新調してやるがよかろう。
また玩具も色々与えてやるがよい。
 (中略)
もう誕生が来るから誕生にでもうんとプレゼントしなさい。

====

栄も3月生まれということもあり、
一弘の写真が欲しいと何度も催促しています。
子煩悩な「父親としての栄」が現れていますね。
峯子の手紙に、ふきぬきホテルが何度か登場します。
14年創業の東洋随一とも言われるほどの大きなホテルです。

===一部引用===
峯子 15年1月31日

乃木山へ富貴(フキ)貫(ヌキ)と申すホテルが
すばらしく竣工いたしました。
観光ホテル程でもございませんけれど、
でも部屋代が五円以下ございませんのよ。
新聞の折込に入って来ました開館披露の名文章、
ご紹介いたましょうか。
東海道に名所がまた一つですって。
随分背負っております事ね。


====
この手紙には、
栄の入院中のこととあり、
まだ返事が届かないのを心配した記述や、
静岡の大火
友人の戦死の町葬
子どものこと
など書いてあり、
最後に
「冬来りなば春遠からじ」
と我が世の春を待ち続けます。
立春間近とはいえ、
二人の好きな春はまだ先のようです。

新年明けましておめでとうございます。

年頭に、お正月の歌を歌った峯子の手紙です。

===一部引用===
峯子 17年1月2日

また新しい年が訪れて参りました。
明けましてお目出とうございます。
旧年中は色々と有難うございました。
本年もどうぞよろしく相変わりませずよろしく御願い申し上げます。
今日は一日日直で、
学校に展覧会がございましたので大変でございました。
一月一日の歌を大きな声で峯子も歌いました。
♪ 年の始の例とて 終り無き代の
   目出たーさーをー
     松竹立てて門毎に・・・・
歌っている間に、正月らしい気分にやっとなりました。


=====

この手紙に、
配給の餅正月のバザーの思い出
恥ずかしい初夢が続きます。

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手紙内容チョットだけよ





本には掲載されなかったエピソード。
冬休みに入り、
急の思い付きで、峯子は末の妹(菊枝)と一弘ちゃんと三人で、
浜松で入営している福尾さん(妹婿)の処へ面会にいきます。
浜松から、気賀行の軽便に乗り換えて、、、
===一部引用===
峯子 16年12月29日

電車が動きだした途端に、隣に座っておられた見知らない婦人に、
肩をトントンと敲かれて、驚いて隣の人を見ましたら
「貴女方を兵隊さんが駅で呼んでいましたよ」・・・・・
軽便はスピードを出して走っています。
呼んでいた兵隊さん!
福尾氏より外な兵隊さんに浜松等で呼ばれる筈は無し・・・・
次の駅へ下車して電話をかけてみましょうか等と、本当に心配いたしました。
折角ここまで出掛けて、お会いしないで帰宅するのは意味ないし、
次の駅へ来てもまだどうして良いか思案に暮れていました。
ふと窓の外で、日焼けした丸頭の新兵さんが
ニコニコと笑いながら手招きをしておられます・・・・
二両連結の後の電車でいらっしゃったのですって。
「いくら呼んでもお姉ちゃんは済ましていて、
こちらを見ないから万策尽きて飛び乗ってしまった」ですって。
でも危ない所で、
(すれ違ってしまわず)
お目にかかれて本当に良かったと嬉しく存じました。


(注:福尾氏/妹(香根子)の夫)
====

携帯電話の無い時代の話です。







12月も後半に入り、もう半月で今年も終わりですね。
13年の12月、栄は、大別山系の山すそを見ながら
峯子に手紙を書いています。

===一部引用===
栄   13年12月15日
もう十時でトウスミの明りも暗くなり、かつ、
鉛筆も芯が一センチ位出ていてどうやら書ける程度。
眠い目をこすりながらも、どうせたいした便りも出来ませんが、
君が首を長くして待っていると思いますから走り書きします。
(中略)
今日は十二月十五日、
もう後十六日で今年も暮れます。
この手紙のつく頃は来年になりますかしら。


======

トウスミの明かりって何です??

.とう‐すみ【灯心】
《「とうしみ」の音変化》「とうしん(灯心)」に同じ。

ランプかロウソクの明かりで書いていたのでしょう。

この手紙には、知人からの慰問袋の件、今いる部屋の事、
乗馬の事、入浴、子どもの成長について、
そして文末には、峯子への労いも忘れずに書かれています。

===一部引用===
長い間苦労をかけて済まんね。
元気で大切に一弘を教育して下さい。
寒くなりますから御大切に。」

====


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手紙内容チョットだけよ
昨日今日は、北風も強く寒い一日になりました。
毛布も一枚、増やさないと、寒いかしら?
峯子は、夜具も無く眠らざるをえない戦地の栄を
思い遣ります。

===一部引用===
峯子 15年2月8日

日が暮れかけて来ました。
もう晩の支度にかかりますから・・・
日中は太陽の光で暖かですけれど、
日が暮れてからの寒い事。
西の大木が木枯しにうなりを立て、
抵抗している音、すき間洩る風!
それでも、家の中で暖かい夜具に休める身は
感謝に言葉もございません。


=====

15年大寒の1月にも、
同様な記述があります。


そういえば、お手紙の中の言葉はとても丁寧
思い返してみても、
お二人のお手紙に、あまり三河弁がでてきません。
長いお手紙の中、思い浮かぶ部分は本当に少なくて、
栄の手紙で、弟の回想部分に
*「やっと」⇒ようやく、ではなく、長い間の意味
    久しぶりという意味で「やっとかめ」などとも言います。
*「(動詞)+よる」⇒○○する
   「行きよったら」・・・行ったら、行けば、の意味。
*「~の」⇒疑問文の語尾
栄の手紙に「連れていく元気はないの
峯子の手紙に
月に映っていませんかの
など数か所しか思い当りません。

栄が子どもの養育についての注意で、
方言を使うなと言っていましたから、
長じて後、大きな世界で活躍することを視野に入れていたためでしょうか?
===
栄 15年8~9月ごろ 

話は脱線したが、教育だけはしっかりやって下さい。
言葉遣いからその他一切、
留守中あずかって自慢して俺に見せれる様に
。」







10月10日の数字を横に倒して目の形になることから
目の愛護デーとされ、
前後を目の愛護週間として、関連イベントが開催されます。

目については、栄も峯子も、
晩年は眼鏡をかけた写真が残っていますが、
お手紙には、あまり言及されていません。
きっとその頃・昭和10年代は視力もよかったことでしょう。
特に戦場では視力のよさが生死分かれ目
なんていうこともありましたでしょうから。

お手紙の中では、
長男が幼稚園の前後の頃でしょうか
豊橋の眼科に通うということも書かれています。
あとは歯医者位で、
丈夫に育って楽でございますと
峯子は書いています。
子どもの病気は、母親にとって辛いですからね。








17年の9月中旬~10月下旬の手紙は、満洲の家族官舎で一緒に暮らせるよう
切符を手配した件等渡満準備について頻繁に交されています。
割引証に書かれる日付は月ごとだったようで、
使用期間を10月としていますが、
もし、11月になりそうなら、
こちら(満州)で再発行する手続きを関略化する方法なども
栄からの手紙に書かれていました。

===一部引用===
峯子 17年9月23日
第二便本日拝見いたしました。
十月中の割引証を御用意下さいました由。
なるべく早くお側へ参りたいとは存じますが、
まだ牧山の方へも何とも申し上げてございませんので、
今夜 泊まりながらご相談にお伺いいたしたく存じて、
少し早目に帰宅いたしました。
でもお便り拝見いたしている間に、
御返事を書いて参りたくなって大急ぎでペンを走らせています。


====
割引証というのは、軍人の家族の特典があったようですので
そのことでしょうか。
峯子の出発日は、新しい生活への不安もあり
なかなか準備がすすまず、
9月初旬には渡満を決めたようですが、
10月の割引証を発行するとの手紙をもらった9月下旬でも
まだ両親にも告げていない状況でした。
(最初は11月ごろの予定だった?)
手紙を読んでいるうちに書きたくなったと、
筆まめな峯子の
栄への気持ちが表れていますね。

この日の手紙には、
海軍に入隊する弟の出征を祝う家族写真の事も書かれています。



今朝は、雨が降ったせいで少々肌寒さすら感じます。
さすがに9月です。
昨年の今日は、峯子の秋の表現についての記事を書きましたので、
今回は、栄のお手紙から引用。

===一部引用===

栄 年月日不明 9月初旬ごろ
百度(華氏?)を突破した大陸の夏も、
流石に秋風が漂い始めましたので、
演習に苦労する僕達はやれやれという気持です。
然し、まだ日中は相当暑いので、
とても外では訓練も出来ません。


栄 16年9月17日
前略。大陸の秋は一足早く秋色。
いよいよ深まりまさに高天肥馬、燈で親しむ好期に有。
之難渋のマラリヤも姿を消し、
御承知の如く体力強健
体質また肥大益々奮闘出来得る事と有り。


栄 14年10月ごろ
今夜も壕の片隅でコオロギが秋を物語っています。
晩月がほの白く戦場を含んで、淡い、
それでいて淋しい秋だなあ、という感じを深めます。
どうかすると秋の月が、コオロギの鳴く音が、
遥か峯子達の傍に帰してくれます。
 

栄 15年10月ごろ
雨! 続いて雨 そして曇!
毎日天候が一様で無い。
外套に身を包んで受ける教育も、並大抵では無い。
大陸の自然 夏から秋へ! 秋へと移っている。


=====

秋の手紙は、
月の話題など、栄のロマンチストな面が出ていますね。




夏休みも終盤、大きな台風が沖縄方面に接近しているとか。
17年の8月の末には、この地方に
峯子は台風が接近したようで、
峯子は心配をしています。
===一部転載===
峯子 17年8月28日

一週間ばかり以前から涼風が立ち初め、
初秋の香り爽やかな朝夕を過ごしていました。
三谷・蒲郡地方は、本-年より新暦でお盆をいたしましたので、
夏休み前に済んでしまいました。
旧暦でございますと、
今日が丁度十六日お盆の最終の日でございます。
昨日、午後より急に風がざわざわ致し、
ラジオの気象特報で暴風警報が発表されました。
窓ガラスを打つ烈しい風の音に、寝就かれなくって、
随分心配いたしましたけれど、
何事無く朝が訪れましたので安堵いたしました。


======

 峯子のこのお手紙には、
栄の弟(海軍の士官)が一時帰郷したこと
長男一弘君を可愛がってくれた事や
子どもの蝉取りの腕前自慢などが
書かれています。


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夏至の日はキャンドルナイト
というエコイベントで、キャンドルを灯しました。


栄は、戦地では電気も無く
夜は宿舎で蝋燭を灯して手紙を書いています。
ゆれる炎は、なんだか哀愁を誘うのでしょうか?

===一部引用===
16年月日不明 栄

もう十一時半で、
ローソクの光もそろそろ淡くなってくる。
今何をしているかと、
妻子は何を送っているかと、
武人ならざる事を考えている。


======


「武人ならざる事」って??
栄の思う「武人」とは


ロマンチックな想い出に浸っていたのでしょうか?
時にはセンチメンタルな栄です。



峯子は、長男一弘君を連れて
近くの浜に
アサリ取り(潮干狩り)に行っています。

===一部引用===
峯子 16年6月9日
一時間ばかり、三谷の西区の浜へ、
一弘ちゃんと潮干狩に行って来ました。
とても大喜びで噪ぎ廻っていました。
峯子はお陰で手を二個所も切ってしまいました。


====引用ここまで

夕食に煮て食べたとありますが、
砂出ししなくてよかったのかなぁ??





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いつの間にか、
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非公開
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2011年2月に出版。
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