忍者ブログ
日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

日米友好の証しとして1927(昭和2)年に米国が
日本に贈った「青い目の人形」のお返しとして、
日本が贈った「答礼人形」58体のうち、
青森県の「青森睦子(むつこ)」を
米国在住の50代の親日家女性が所有していることが、
18日までに分かった。
睦子を調査している県内の大学研究者が
国際親善の機運を高めようと、
初の青森への「里帰り」実現に向け準備を進めている。
web東奥2018年10月18日より


ミス愛知の里がえりは2017年の夏にしています。
その折の記事
PR
遅くなってしまいましたが、
今月始め、親善人形大使の「青い目の人形」を題材とした
合唱劇が開催されました。
その時の模様がFacebookに出ていたので、転載します。
事前の紹介記事(朝日新聞 5/18)

ステージ





続きはこちら

5月の新聞記事を見て、合唱劇の作者のもとに
設楽町の田峯(だみね)小学校の出身で、
当時校長先生だった息子さん(
小学校5,6年生)から連絡があり、
昭和18年か19年に、お父さんから人形を焼かないといけないから、
今夜は、最後に、その人形<グレイス・A・グリーン>を抱きなさい、
と5人の子どもに言
のだそうです。
でも、実際は、お父さんの校長先生は人形を処分せず、
天井裏に隠しておい
とのことをあとで知そうです。
「青い目の人形の物語を語り継いでいてくれてうれしい」
と言
てらしたそうです。

田峯小学校のHPには、
青い目の人形を学校の宝として、大切にするだけではなく、
アメリカとの国際交流を何度も積み重ねられていることがわかります。
http://www.kitashitara.jp/damine-el/cat119/


若手芥川賞作家の平野啓一郎さんの講演会が、
昨日蒲郡市民会館で開催されました。
平野さんは、峯子さんの親戚筋(お兄さんの孫だったかな)で、
幼いころ蒲郡にいらした関係で、
蒲郡の海辺の文学記念館20周年に講演会の講師として来蒲されました。
もちろん、
文学記念館には「蒲郡」や「竹島」の記述された文豪の小説に混ざって
平野さんの作品も展示してあります。
(「大場栄と峯子の 戦火のラブレター」も、書棚にあります)

私は講演会には行けませんでしたが、
お話を聞いた方によると、大場栄さんの話題にも触れられたとか。


筆まめな栄さんと峯子さんですから、
文才は、遺伝したんでしょうか?

「大場栄と峯子の戦火のラブレター」のブログは
2010年8月1日の「大場書簡プロジェクト」から始まり、
同年10月から2012年1月11日まで毎日の更新を続け、
その後はマイペースの更新にしましたが、
最初に書き出して、2015年8月で5年以上経ち、記事数810になります。
お二人のお手紙の数ほど、それ以上書きつづったことになります。

アトランダムに書いていますので、
大変に雑多取り混ざっていますが、
カテゴリーごとにお読みいただいたり、
ブログ内検索(左フレームにあります)を利用して
キーワードで探していただくことで、
読みたい記事を選択できます。

本ブログの主なカテゴリー

思い出の場所など
当時の社会
戦地の状況
栄の人柄・好み
峯子の寂しさ
手紙内容チョットだけよ
子どものエピソード
映画「太平洋の奇跡」
作業の裏話
読み解く会活動
平和へのメッセージ
等に分けています。


こうしてカテゴリー別に見ると、「当時の社会」関連記事が多いんですね。ほ~~~
以下ランキング
第2位が「手紙内容チョットだけよ」(チョットじゃないね)
第3位が「読み解く会活動」なかなか活発です。
第4位に「作業の裏話」
第5位 「戦地の状況」
数は少ないですが、マスコミ記事も見ていただくと、
話題性があって面白いかも。

3月4日は「バウムクーヘンの日」です。
結婚式の引き出物にも縁起の良いお菓子として使われる
お馴染みのバウムクーヘンは、
もともとドイツのお菓子なのです。
そもそも、似島(広島市)に捕虜として在日していた
カール・ユーハイムさんが、
菓子職人としてバウムクーヘンを作ったのが始まりです。
日本で広まったのは、その腕前を披露して人気を博した
1919年、広島物産陳列館(現在の原爆ドーム)で開かれた
似島収容所浮虜製作品展覧会です。
その後、解放されて後にユーハイムという洋風菓子の店を開き広まったものです。
当時の捕虜は、思いの外自由があったとみえ、
サッカーも盛んで、ドイツチームと広島高等師範学校との試合が
広島初の国際試合となったという事です。

似島は、「明日からは百姓になります」の小笠原久雄さんが
太平洋戦争も終わり近い昭和19年~20年に
陸軍船舶練習部(暁部隊)でマルレの訓練をしていた所です。



終戦を知らずにルバング島に30年間「任務」を続けていた
小野田寛郎さんが死去。91歳の生涯を閉じられました。
 大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、
昭和19年に諜報員などを養成する陸軍中野学校を卒業後、
情報将校としてフィリピンへ派遣されました。
20年の終戦後も任務解除の命令が届かず、
ルバング島の密林にこもって30年間も戦闘を続け、
49年3月に任務解除命令を受けて帰国しました。

帰国の折、軍人らしく「恥ずかしながら帰ってまいりました」という
ニュースで見た姿が、今も印象に残っています。

ご冥福を祈ります。





「大場栄と峯子の戦火のラブレター」のブログは
2010年8月1日の「大場書簡プロジェクト」から始まり、
同年10月から2012年1月11日まで毎日の更新を続け、
その後はマイペースの更新にしましたが、
最初に書き出して、3年半近くになり記事数約760になります。
お二人のお手紙の数ほど、それ以上書きつづったことになります。

アトランダムに書いていますので、
大変に雑多取り混ざっていますが、
カテゴリーごとにお読みいただいたり、
ブログ内検索(左フレームにあります)を
利用して
キーワードで探していただくことで、
読みたい記事を選択できます。

本ブログの主なカテゴリー

思い出の場所など
当時の社会
戦地の状況
栄の人柄・好み
峯子の寂しさ
手紙内容チョットだけよ
子どものエピソード
映画「太平洋の奇跡」
作業の裏話
読み解く会活動
平和へのメッセージ
等に分けています。




明日(11月10日)】 、東海道本線(豊橋~米原)
明日8時30分頃より浜松市内で不発弾の移送作業が行われるため、
規制区域が設定されている間、浜松駅~舞阪駅間の運転を見合わせると
アナウンスがありました。
一部の列車を浜松駅~舞阪駅間で部分運休とのこと。

いまでも、戦争の残骸が残っているんですね。

年末にできなかった片づけものを、
新年になってからもしてたのですが、
古い資料などの中に、懐かしいものも混ざっていて
いっときのタイムトリップを楽しみました。

「君死に賜う事無かれ」の与謝野晶子さんの直筆の原稿などが
見つかった件。

~~時事通信 1月9日(水)~~

与謝野晶子の直筆103首発見=16首は未発表か―岡山

 歌人の与謝野晶子(1878~1942年)が
岡山県倉敷市出身の詩人・随筆家、
薄田泣菫(1877~1945年)宛てに送った短歌103首の直筆原稿が
9日までに見つかった。
このうち16首は未発表の可能性が高いという。
 原稿はB4サイズの計12枚に黒インクでペン書き。
短歌中の漢字には全てひらがなが振られている。
欄外などに「紫影抄」「秋の薔薇」といった題名や、
「与謝野晶子」の署名が添えられ、
「一度にお載せ下さい」との朱書きもあった。
 いずれも大正期の作で、大阪毎日新聞の編集者だった泣菫に
新聞掲載用に送ったとみられる。
掲載や全集収録を確認できなかった16首に
「うばたまの髪煩はし身の中の焦がれ心はなほ煩はし」
「君がこと浅間の嶽(たけ)のふもとなる落葉松(からまつ)の木が知るよしもなし」
「縁(えん)にいで瓜をくらひて茶すすりぬ貧しき家も夏はよろしも」などがある。 
~~~~

まだまだあるんですね。
大場栄さんの手紙同様
戦争中の手紙なども半世紀以上経って発見された
小笠原久雄さん(新城市)の手紙
陸軍大尉青山泉さん(中津川市)の例もありますし。




まあ、拙家は片付けても、
そんな価値のありそうなものは出てこないですが・・・・








西浦にある万葉の小径を歩く機会がありました。
1300年も前に生きた人たちの歌が
石碑に刻まれ、太古の心を感じて
万葉の頃からこの自然は続いているんだとちょっと感動。

「春過ぎて 夏来にけらし 天の香久山」の歌で有名な
万葉時代の女帝 持統天皇ですが、
この三河地方に行幸されているんですね。
調べてみると、都から何度も伊勢に行幸し
最後となった702年秋の行幸(位を譲り上皇でしたが)は、
伊勢から海路で御津まできているんだそうです。
当時58歳(3ヶ月後に没)、反対を押してまで三河に来た理由は
謎なんだそうです。
大変興味深い説もうかがい、万葉集にちょっと心惹かれました。

峯子さんも、愛をおおらかに歌う万葉集が好きだった?
かどうか分かりませんが、
でも、「背の君様へ」と文末に書いているくらいですから、
きっと、お好きだったのではないでしょうか?




今年の台風は大きい?
4号・5号と二つの台風がクロスして
日本列島をうかがっています。
毎年の事ですが、被害が無く過ぎてくれればと思います。

いつもは穏やかな三河湾も、
台風の風にあおられ、大きくうねっています。
峯子の手紙に、そんな荒れた海の様子も書かれています。
栄も、大陸から
日本の台風のニュースを聞き心配しています。

もうそろそろ梅雨入りという話も聞こえてきますが
雨にあう花と言えば、アジサイ。
アジサイ(紫陽花)の花言葉は、
「移り気」とされていますが、
「ひたむきな愛情」という花言葉も紹介されている本もありました。

 アジサイは、咲き始めからだんだんと花の色を変えることから、
移り気な花と呼ばれていますが、
ひたむきな愛情で、
環境が変わっても美しくあり続けるということなのでしょうか。

栄と峯子の仲睦まじさにも
たとえられるかもしれませんね。










昨日は4年に一度のうるう年の2月29日。
それに、10年に一度(?)の
惑星が一同に会するチャンスということで、
夜空を見るはずだったのですが、
ちょっと雲多くて、今夜に期待。


希有なできごとは、たくさんあるのでしょうが、
大場栄さんの人生はドラマティックで
砂浜に光る宝石のように輝きます。
数々の戦傷から蘇り
撃沈された軍艦からも脱出し
激戦のサイパンでも生き残ります。
幸運の女神は、栄とともにあるかのようです。









お世話になった出版社から新刊本がでました。
Hi! みのり
ニューヨークマラソンとその後

著者 中王子みのり
関連マスコミ記事
 中日新聞
 東日新聞

バリアフリーの世の中なら当たり前ですが、
なかなか考えさせられる世の中です。

彼女は、視覚障害でさらに車いすというハンデがありながら
凄く前向きなチャレンジャー。
学ぶ所が多いと思います。
1月31日は、愛妻感謝の日だそうです。
1(愛)と31(妻)の語呂合わせから。

【 愛妻感謝の日 】

神奈川県相模原市の浦上裕生氏が代表(隊長)を務める
「愛妻感謝ひろめ隊」が制定。
愛妻に感謝の気持ちを表し、愛妻感謝を世界に広める日に。










このブログも、2010年8月に書き始めてから
丸1年半、
10月7日からの毎日更新の連続記録からも
栄のサイパン島での戦い512日を裕に超え
記事数550を数えます。

そろそろ、毎日更新は厳しくなってまいりましたので、
マイペースで記事アップをしていこうかと
思っております。
峯子の手紙の頻度くらい書けると良いのですが・・・・

記事はアトランダムに並べておりますので、
初めての方は、カテゴリー別に読んでいただくと、
読みやすいかもしれません。

思い出の場所など
当時の社会
戦地の状況
栄の人柄・好み
峯子の寂しさ
子どものエピソード
読み解く会活動
作業の裏話
等のカテゴリーに分けています。
(左フレームにあります)

また、左フレームカテゴリー・コメントの下にある
白い枠で、ブログ内検索ができます。
キーワードを入れてみるのも
また面白うございますと思います(峯子調)。








2011年12月22日
1と2の日ですね。(^0^)
毎月22日は夫婦の日でもあるそうですが、
「2」を白鳥(スワン=吸わん)に見たて、
「22」で「吸わん吸わん」との語呂合せから、
禁煙の日でもあるそうです。
禁煙推進学術ネットワークが制定(根拠に笑いますがw)。
健康のため、吸いすぎに注意しましょう・・・・
というより、
自分や周りの人の健康のため、禁煙しましょう。

栄はタバコ好きで、
峯子は慰問袋に、たびたびタバコも入れていますが、
健康に気遣って
吸い過ぎないようにと一言添えています。
















昭和14年創業の旧蒲郡ホテルは、
蒲郡プリンスホテルからクラシックホテルと
名前が変わることになりました。

栄と峯子たちの生きた
豊かな時代の名残を残すホテルです。
思い出の蒲郡海岸を見下ろす
小高い丘の上にあります。
2011年12月16日 アサヒcom










月食は太陽と地球、月が一直線に並んだ時に起きる現象です。
太陽光は地球の大気で屈折して月に届くため、
真っ暗にならずにオレンジ色や赤銅色に見えます。
12月10日深夜には、皆既月食の天体ショーが見えるそうです。
(欠け始めは21時46分~)

栄も峯子も、
遠くに離れても同じ月を眺めてロマンチックな思い出に浸っています。

日食も同様、
共通して心を通わせる話題の一つになっています。












美しい菊・豪華な菊の
展示会をみました。
秋の代表的な花の一つ、
日本人にとって、
菊は特別な花なのでしょう。
栄の手紙にも峯子の手紙にも、
菊にまつわる思い出話
秋の話題として、何度か触れられています。
二人の思い出の中の菊は、
豪華絢爛というより、
野菊だったかもしれませんが。
五号での暮らしの思い出させるものとして
庭の菊は二人にとって
大事な思い出だったのでしょう。










カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

「大場書簡を読み解く会」
senkanoloveletter@live.jp
最新コメント
[08/30 大場書簡を読み解く会]
[08/06 大場書簡を読み解く会]
[08/06 kazoz]
[05/28 大場書簡を読み解く会]
[05/24 ファン]
最新トラックバック
お問い合わせメール
メールはこちら
ブログ内検索
バーコード
アクセス解析
カウンター
Copyright ©  -- 大場栄と峯子の「戦火のラブレター」 --  All Rights Reserved
Designed by CriCri Material by 妙の宴
powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]