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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
大場栄は、運命の崎戸丸で昭和18年2月グアム(撃沈されて結局サイパンに上陸)に向かうのですが、
栄の所属した陸軍歩兵隊18連隊の本部があった豊橋。
軍都だった「豊橋の戦争遺跡」の調査結果がパンフになりました。
東日(2014/05/09)
戦争遺跡 調査結果まとめる
正しい理解次世代へ/豊橋市パンフとマップ作成/歴史知る一助に

 歩兵第18聯隊や第15師団が置かれ、
明治から太平洋戦争の終結まで軍都として栄えた豊橋。
それらの面影は今も市内のあちらこちらに残っている。
豊橋市はこのほど「戦争遺跡」を調査した結果をパンフレットにまとめた。
合わせてマップも作成。これを片手に現地を散策し、
歴史を理解する一助にしてもらいたい考えだ。

 「戦争を正しく理解し、次世代に引き継いでいく」ために
市は昨年度、市内にある散兵壕(ごう)や建造物、記念碑など
計959カ所の戦争遺跡を調査した。

 名古屋から歩兵第18聯隊が、
今は豊橋公園になっている吉田城址(し)に移って来たのは1886(明治19)年のこと。
1907(明治40)年には第15師団が現在の愛知大豊橋校舎の場所に置かれ、
昭和に入ると兵隊を養成する学校が開設された。
戦後、師団司令部庁舎は同大記念館となり、国の登録文化財。

 太平洋戦争末期の44(昭和19)年ごろには、
本土決戦を想定し市東部の山地や表浜海岸一帯に陣地が構築された。
アメリカ軍の上陸に備え、丘陵地に砲台や銃座を配置。
上陸した敵を背後から攻撃するため身を隠す交通壕という溝は、
西赤沢町の貴船神社に残っている。

 調査結果をもとにA5判、オールカラー16ページのパンフレット
「豊橋の戦争遺跡」を市が作成。戦争遺跡の解説文のそばに、
現在の写真はもちろん古地図や昔の絵はがきを掲載し、見て分かりやすいよう工夫してある。
 「豊橋の戦争遺跡マップ」はA2判の4つ折りでオールカラー。
広げると表面には、歩兵第18聯隊の遺構と第15師団の建物跡、
東田町の豊橋陸軍墓地を掲載。戦争遺跡の場所を地図上にしるし、
どこに何があるのか一目で分かる仕組み。
裏面は市全域の地図で、遺構などの位置を示している。

 パンフレットとマップは各2万5000部を発行。
市内の小・中・高校や大学に配布。
希望者は市役所や美術博物館、二川宿本陣資料館などで手に入れることができる。
 市美術博物館のホームページには「豊橋の戦争遺跡」コーナーを開設。
市内に残る軍事施設の跡や豊橋空襲による代表的な遺構の写真を掲載し、
軍都として歩んだ豊橋の歴史を紹介している。
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2011年2月に出版。
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