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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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戦場ですから、特に激しい戦闘では、
かなりの怪我人や戦死者が随分出ます。
栄の隊は、最前線で活躍しているので
戦死者も出るし、栄自身も
何度も銃弾に倒れています。
しかし、そのたび栄は幸運にも復帰してきます。

=== 栄の手紙より 一部引用 ===
また戦傷しました。軽傷です。
正月までには退院出来るだろう。
戦争に馴れた関係か、どうも弾の怖さを忘れていけません。
弾の来る中をゆうゆうと歩く様になったから、どうもやられ易いです。
隊長がそう伏せてばかりいては指揮はとれないし。
第一、兵隊の志気が上がりませんからね。
よく気をつけねばいけないと、負傷してからつくづく思います。
しかし負傷には運の好い男です。
今度も骨をかすっているのですから。
もう1㎝も違ったら腕が砕け散ったにね。
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戦場の様子は、軍事機密が漏れないか検閲もあって
詳しくは書けなかったようです。
漢口攻略戦線かと思われる部分は
伏せ字の○○で、こんな記述になっています。

栄の手紙より一部引用===
○○開始してより五日目、
まず○○を根壕とする兵力五千、新編○○軍を血祭にあげ
その後長江を溯上、○○に上陸。
○○より○○攻略の第一線に○○する筈です。
一昨日より一小部落に○○中。今夕より○○します。
元気のよい○○師団の銃剣術の気合が、
クリークの向こうから朝の静けさを破って聞こえて来ます。


軍からの手紙は、「軍事郵便」として
機密が漏れないかチェックしていたのでしょうね。
場所やら作戦やら
詳しい事は書けないので、文面が○○(伏せ字)だらけのお手紙もあります。
何のことやら意味不明。
でも、なんとなく分かる書き方をしていますよね。
ちょっと笑えます。

==
13年秋 栄の手紙より
島倉君は○○出来る様な便りを
僕の所にもよこしています。
御一同どんなにか○○の事と察します


年末ごろ 栄の手紙より
目下○○警備です。
どこの何という事は軍秘上書けませんが、
まず、○○の近所と思っていたらいいでしょう。
○○とは勿論漢口の事です。
昭和12年、二人の長男が3月に生まれ、榮が出兵したのはその秋10月10日。
その頃、日本は7月7日 日華事変に始まる
支那との戦争(日中戦争)の真っただ中。
榮の所属する豊橋歩兵隊18連隊は、
その第一線で弾の飛び交う戦場で奮闘します。

【歩兵18連隊メモから抜粋】
昭和12年8月14日 第三師団動員令、歩兵18連隊に動員下令。
同8月26日 豊橋衛戌地宇品港から出発。
同9月5日 上海に上陸。上海近辺で激戦。

昭和12年9月1日 大場中尉属する山脇隊本部は
同11月14日 南京到着。
11月16日~末 兵士は郷里に無事であることを伝える軍事郵便を書いた。
12月1日 南京へ向かって前進。
  南京虐殺事件(13日夜から15日の間)。
12月17日 石井部隊入場3500人の野戦部隊は、
 上陸後3ヶ月で戦死者1200名という激戦だった。

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プロフィール
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大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
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