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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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マラリアは、熱帯・亜熱帯地方の感染症です。
手紙の中では「マラリヤ」と書かれています。

夏の厳しい暑さの支那大陸では
マラリヤにかかる兵士が多く、
栄もマラリヤにかかってしまい
何度も発病しています。
しかし、野戦病院では
良い薬があったおかげで、
すぐに解熱していたようで、
薬さえあれば
マラリヤは怖くない病気だったようです。

===一部引用===
栄 15年夏

三日ばかり前から、
猛烈なマラリヤにおかされて大変苦しめられた。
今まで一度もかかった事がないので
もう絶対かからないと信じていたのが
今頃発病せられて、
すっかり悲観した。
大部分の者がかかるにはかかるんだが、
俺の体だけは大丈夫と思っていただけに、びっくりした。
熱が40度 脈拍112 
夜中うなされたのか、注射で大変よくなった。 


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栄は、帰ったら
峯子に看病してもらおう、それも楽しみだ
と甘えています。(^0^)♪


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戦地の状況
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峯子の手紙は、皆4~6枚ぐらいの
便箋に書かれています。
ですが、栄の手紙にはハガキがたくさんあります。
絵葉書には、
兵隊の絵の描かれたものの他、
慰問で送られたものなのでしょうか
女優さんの写真も混じっていたりします。

軍の決まりで、
封書ではなく
ハガキでないと出せないこともあったようです。
検閲も楽だったからでしょうか?
戦地では怪我は付き物ですから、
軍医や病院もなかなか充実していたようです。
栄も何度戦傷で入院していますし、
盲腸(虫垂炎)でも手術しています。
薬で痛みを散らす事もできるが、
本部を遠く離れて
第一線の戦闘中にでも発病したら
命にもかかわる事なので、
思い切って手術したとあります。

===一部引用===
栄 15年秋

地方と違って隊では手術も簡単です。
必要とあらば脚の一本や二本はおろか、
脳でも腸でも手術する進歩した医学ですから、
虫垂炎位心配には及びません


=====

執刀医は、
ベルリンオリンピック金メダルの前畑選手の
ご主人だったようです。
峯子たち家族にも心配かけないよう、
配慮の記述が見られますね。


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戦地の状況
軍隊では馬も大切にされています。
愛馬の日には、式典もあったようです。

===一部引用===
榮の手紙 16年4月

 四月七日は愛馬の日で、
何か記念(式典?)がある筈である。
遠乗をする予定でいる。
俺の馬はせっかちでどうも乗り難い。
主人の俺の性質に何と無く似ている様な気がする。
外見は立派な愛馬で、駆足は矢の如く速いが、
ガチャつくのが難点だ。
忙しくてなかなか乗る暇も無いが、
やはり動物でも自分の馬は可愛い。
盾に白い星があるので「白星」という。


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戦地の状況
榮は、現豊川(御津南)や豊橋(吉田方)の小学校で先生をしていたのですが、
戦地でも先生を務めていた事があります。

ー====一部引用==

今度 下士官候補者の教官として
信陽兵学にいます。
師団の下士官候補全部集合して教育します。
内地の教導学校です。
こちらでは教導隊と言っています。
まず、今の学生が卒業するまで約四ケ月、
七月五日卒業です。


====

4カ月くらいで卒業なのでしょうか。
次のクラスの下士官も教育していたようです。

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戦地の状況
激しい戦闘の最前線や進軍中は、
着の身着のまま、土間にゴロ寝です。
枕も布団もありません。
背中も痛いでしょう。

状況が落ち着けば、
駐屯地では、もう少しましだったでしょうが、
茅ぶきの小屋のような所でも、
住んで茅屋の良しと
言っています。

そんな榮の手紙を読んで
峯子は、
暖かいお蒲団でやすめるのが
もったいのうございます
と言っています。
23日は文の日ですね。

本が出版された記事を見た
戦時中、郵便局で働いていたという方からのお話です。
当時、軍事郵便は、防諜の為記号を多用していたようです。

編集長の日記より抜粋
10代の終わり頃、
豊橋歩兵十八連隊の近くにあった豊橋郵便局に
務めておられた方から電話があり、
手紙が見たいというので、会社に来てもらった。
なつかしそうに当時の手紙をながめ、
「機械的に軍事郵便のスタンプを押していたけれど、
こんなに役に立っていたとは思わなかった」と話された。
当時は海軍、陸軍など防諜のため宛先等は記号が多く
覚えるのに大変だったそうだ。

13年の3月
戦場の栄は、激しく戦っています。

=== 一部引用===

私達三月十日、○○を出てより茲に三十二日。
三月十六日ちょうど一弘の生れた日の払焼攻撃をはじめとして、
今日まで日毎惨烈な戦闘を繰り返しています。
目下有力な敵○○○○名に遭遇。
壕内に生活すること、ちょうど今日で十一日目。
毎日チェコと迫連砲の洗礼を受けながら、
戦線は膠着情態です。
もう煙草もマッチも無くなり食事も事欠き、
すっかり痩せこけ
目ばかりギロギロ光る様になりました。

=====

この中で「チェコ」というのは、
チェコ(現スロバキア)製の軽機関銃

○○は、伏せ字(原文のまま)です。
戦闘の場所や規模などは
検閲があって書けなかったようです。


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戦地の状況
榮は、つくづく幸運に恵まれていたと思います。
何度も死神とすれ違っていた筈なのですが、
その度に幸運の女神がほほ笑みます。
中支での戦傷も、
致命傷はなく何度か入院してもまた戦線に復活しています。
また、往復書簡の届かなくなってしまった
満洲から南方までの「奇跡」!!
昭和19年 2/28
榮の歩兵第18連隊は、満州より南方に向けて出発し、
グアムに向かっていた崎戸丸に乗っていましたが、
明けて29日、
途中米軍潜水艦の魚雷攻撃で沈没。
多くの方が海に消えた中(合掌)、
18時間の重油の海での漂流後、
救助され、サイパン島に上陸します。
その間のドラマは、
グアム戦 海没した歩兵第18連隊 その1~9)
太平洋戦争の傷跡 次世代への橋渡し)に詳しく載っております。
榮は、その後の激戦地!サイパンでも
最後まで生き抜きます。
その活躍は、「タッポーチョ・敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」、
太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」をご覧いただけたらと思います。







戦争について思うこと。

戦場は、どこであっても悲惨です。
通常の社会であれば、
極悪犯罪になる殺人が、
「国の為」に合法化されるという矛盾。

争い事は話し合いでは解決できないものでしょうか。
お互いを理解の上でないと
難しいのでしょう。


【追記】

編集長の日記にありました、
出版社に-1当時の事を知る方が・・・・
日中戦争が落ち着いた17年ごろ
満洲の海城というところで
18連隊は警備を担当するようになったのでしょう。
日本人街もでき腰を落ちつけられるので、
家族官舎が用意され(17年9月)
家族を呼び寄せた兵がたくさんいます。
栄もさっそく許可を願い出て、
峯子も渡満の準備に忙しくなります。
17年の秋の手紙の話題は、この件ばかりです。

===一部引用===
栄 17年9月 s10263
官舎は独身官舎と家族官舎になっています。
勤ム先から約八00米位の所にまとまってあります。
煉瓦造りの洋館調屋敷です。
一家族八畳一部屋、六畳二部屋、炊事場、入浴場、
それに水道・電気もあります。 
生活には不便はない事と思います。

===ここまで

同じように、当時海城まで行った体験を記した
東三河出身の方の手記にも
当時の海城までの道筋
海城での様子が描かれています。

戦地での正月は、どんなんだったのでしょう?
13年の正月は、それこそ、暮れからの激しい戦いに
敵を追って一日十数里という行軍で、
食事もまともに摂れなかったでしょう。
14年は、秋から続く戦闘で、夏服で迎える冬!?!
15年の正月は、暮れに負った名誉の戦傷のおかげで?
病院にて餅がいただけたようですが
傷に障るからと、少しだけで、栄はちょっと不満そうでした。
16年?は、警備の兵舎で新年を迎えたようで、
酒も配給されたようです。

いつの正月も、思い出されるのは
栄が搗き手で、峯子がかえし、
二人で仲良く搗いた餅つきです。
そんなことがあったなぁ、と
もう夢の彼方に過ぎ去った頃の思い出を語るのです。

皆様には、
新年が、良い年でありますように。


行軍中は、まともな食事も取れず、
怪我をして後送される時にも「トラックの中で飯もなく」
という状態もあったようです。
隊の食事はたいていは不味いようで、
支那人が売りに来るきゅうり(3~5本が10銭くらい)を買って
漬物でも漬けようかと思うが思うように塩がないとも言っています。
また、婦人雑誌の美味しそうな料理を見て、
帰ったら食べたいので研究しておけなどとも書いています。
時々、気分がよいと、こんな冗談も言っています。
 ==一部引用==
栄10246
「一度ハヤシライスか天丼でも食いたくなりました。
天ぷらが一度食べたいです。
暑いから、氷の天ぷらなら尚良いです。
氷の天ぷらでも送って貰えんかな。」


 ====ここまで
昭和12年~、上海上陸から中国大陸奥地まで
日本軍は進軍していきます。
栄所属の豊橋歩兵18連隊は、その最前線にいました。
戦場は、凄まじく、犠牲者も多く
食事も摂らず不眠不休で毎日十数里の行軍という
過酷な状況でした。

栄の最初の戦傷は、
13年の5月16日、徐州作戦で右足を撃たれます。
右腿軟部貫通、右腿観際過傷。然し御心配無用です。傷は極めて軽傷です。」

!!峯子はどんなにか心配した事でしょう。
家族へは、
「僕は元気です。ご安心ください」と
書かれた手紙ですが、
本当に安心してよかったのでしょうか?
怪我をした時も、
大したことはないから親には言うなと
心配をかけまいと配慮もあったのでしょう。
「呑気にしています」と
書かれていても、戦場で呑気はないでしょう。
きっと、言葉に出せないほど辛くても
書けなかったり、或いは
書かせてもらえなかったのかもしれません。
軍の機密もあったでしょうから
文面のまま
素直に受け取って良いのかどうか
分からないことも多いですね。
NHKアーカイブスで「戦争証言」がという番組がありました。
65年前の体験を語る、という記録です。
たくさんの方がそれぞれの体験をお話しています。
まだ全部見ていませんが
どれもその時代の真実を伝えていると思います。
戦場の模様を伝える手紙もあります。
前線で奮闘している様子が分かります。
栄の怪我がほぼ治り退院した頃の手紙から
====
空爆は、物凄いですね。
全く何というか、天地がひっくり返るとはこの事をいうだろうと思われます。
戦車も勇敢です。
敵の二、三十メートル前までガターガター進んで行って、
ドカア~ンと砲を撃ち打込むですから、
トーチカも何も一度にふっとびます。
その後を、俺達が突込むんですが、戦車が来ると力強いです。けど、地雷は困るです。
俺の目の前で、戦車が地雷にやられる所を見た事もあるが、
あいつはかなわんです。
ヒル~ストーンの自連砲も怖いですね。

栄の手紙の中に、
満洲で歌い馴染んだ軍歌「討匪行」というのがあります。
この歌を聞くと、雪の北満で防寒帽につつまれて訓練された頃が
思い出されるのだそうです。

どんな歌詞なんでしょう。
討匪行」作詞 関東軍/八木沼丈夫・作曲 藤原義江

1番
 どこまで続く 泥濘(ぬかるみ)ぞ 三日二夜を 食もなく 雨降りしぶく 鉄かぶと 雨降りしぶく 鉄かぶと

2番
 嘶(いななく)く声も 絶えはてて 倒れし馬の たてがみを かたみと今は 別れ来ぬ かたみと今は 別れ来ぬ

3番
 ひずめのあとに 乱れ咲く 秋草の花 雫して 虫が音 ほそき日暮れ空 虫が音 ほそき日暮れ空

4番
 既に煙草は なくなりぬ 頼むマッチも 濡れはてぬ 飢せまる夜の 寒さかな 飢せまる夜の 寒さかな

・・・と15番まで続くようです。

5番以下は、
大陸は寒暖が厳しく、雨の降り続く寒い季節は
春を待ちわびる栄です。

==== 栄の手紙(10089)より一部引用===
前略。
昨日来の雨もどうやら晴れそうです。
太陽が雲間に笑顔を見せています。
大陸は内地と違って、雨が降ると泥濘(ぬかるみ)化して
外に出るのに大変困る。
早く天気にならんかなあと、いつも思っている。
その昔ですと、雨降りで一日という事もあったですが、
今はちょっとそれはないです。
毎日割合暖かいのが取り柄です。
晩秋の乱雲が飛ぶと、何となく寒いような気がします。
大陸の天地でも、やはり春花や草の萠出てくる時が恋しいです。
春、ふるいつきたい様なビロード色した山肌を眺めていると、
ほんとにあの上に寝ころんで、
思い切り大気を吸ってみたいような欲望にかられます。
冬の来るこの頃、そんな楽しい時期の無いのが残念です。


峯子も春を待ちわびています。
映画の予告編もできてみると
話がごっちゃになりそうですが、
映画はサイパンに行ってからの時代の話になります。
お手紙は、榮がサイパンに渡る前の
日中事変の頃に交されたものです。

文面の中には、映像の中に表現されていない
家庭人としての栄
父としての栄
人間としての栄が
沢山あるように思います。
そして、家庭で銃後を守る峯子の
健気な、そして素直な女心に
とても魅かれます。
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HN:
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性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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