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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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JR三河三谷駅は、昭和4年開業で、
昨年、開業80周年記念事業がありました。
隣の蒲郡駅とは1.7km(東海道線で最短)しか離れていないのですが、
渋る鉄道省(現国土交通省)や、
駅開設で仕事を奪われる運送業者の反対を乗り越えてできました。
峯子の父をはじめ地元住民は
開業する20年以上も前から
港近くでの新駅開業を請願していたといいます。
三谷漁港に揚がる水産物や海運で三谷港を経由する石炭、
地場産業の三河木綿などを搬出するために加え、
海岸の眺望のよさを利用する観光客誘致のねらいもあって
できたそうです。

峯子は、この駅から出征する兵士を見送ったり
無念にも戦闘中に倒れた遺骨の出迎えもしました。
兵士はみな若く、
残された妻は幼い子供を抱えたり身重だったりしています。

峯子の手紙から一部引用ーーー
春が訪れて参りました。
御舎弟の一貫様も、二十五日午後十時三十八分、三河三谷駅発の列車で親しい友達三名と御両親様、新家の御父上、三谷の母、私、一弘等に送られて、
元気に首途なさいました。
ーーーー
○○部隊○○隊でご一緒でした三谷町出身の鈴木さんの遺骨が、
明日郷里に声無き凱旋をなさいます。
町葬は十二日でございます。
まだご出征なさいまして、一年に満ちませんのに、
本当にお気の毒に存じます。
奥様は家の前の借家にいられますけれど、
町葬がすめば秋田県の実家の方へお越しなさいますような噂でございます。


現在の三河三谷駅は、
モダンな駅舎に続くロータリーと
広い駅前広場があります。
観光客を迎える送迎バスが
よく停まっているのを見かけます。
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HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
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