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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
峯子の15年末の手紙に、
鶏小屋の火事の話が書いてあります。
この時は、風もなく、
峯子もかいがいしく水を運んで消し止めたとあります。
他にも対焼夷弾防火訓練が役立った町内の火事や、
うどん屋やの火事の話なども出てきます。
この時の水が、
父の町長時代の功績の水道栓が役に立ったと
ちょっと自慢話(?)

水道って、今の時代は当たり前にありますが、
それまでは
井戸水だったんですね。











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暮れも28日、そろそろ仕事納め?

峯子は、毎日職場の準備や日直やらで、
なかなか忙しい毎日を過ごしているので、
冬休みになったら、
子どもと一緒に過ごす時間が増える・・・
と楽しみにしていたことでしょう。

===一部引用===
峯子  15年12月29日

二十五日から冬休みになりましたので、
少し暇が出来ました。
二日間一弘のお守りをいたし、
今日は日直で学校にいます。


====












15年新春に、峯子の妹の結婚話があり、
14年の暮れは、その準備で
平野家は多忙な年末だったと思います。
峯子は、義理の弟になる福尾氏を、
親切そうな方と書いています。

===一部引用===
峯子 14年12月24日

これは内緒ですけれど、
総てに貴君の方がお兄様としての貫禄がございます。
(年齢は貴方様と同年)でも峯子のひいき目かしら?
いえ菊枝さんもそう申しておりますから、
ご心配なくお兄様振っていて下さいませ。


====

これはお惚気?
でも
幸せそうな妹を横目で見ながら
峯子は栄不在の寂しさを感じていたでしょう。


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「峯子の寂しさ










栄の竹馬の友が、
大きな戦いで名誉ある戦死

===一部引用===
峯子 15年1月8日

小島様の御英霊が、旧年二十六日に
豊橋まで無言の御凱旋なさいまして、
お寺にご安置してございます由。

====

栄は、その闘いぶりを讃えて新聞に投稿もしています。
町に大きな貢献のあった人の葬儀は、
町葬として執り行われます。

栄の竹馬の友の葬儀(15年1月27日)には、
町の中心部にある蒲郡南部小学校まで
中村から多くの方が歩いて参列したと、
峯子の手紙にあります。
きっと野辺送りのような天蓋もみられたでしょう。


「戦死」とされた栄も、町葬もありましたが、
それとは別に自宅葬は20年10月16日にとり行われました。
峯子の本当の最後の手紙で分かった事です。

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当時の社会







クリスマスのプレゼントという習慣が
(特にクリスチャンではなくても)当時もあったようで、
栄は戦地から1カ月も前に
峯子にもプレゼントの事を託しています。

===一部引用===
栄 16年11月24日

家に居たら、
一弘のクリスマスの贈り物をするんだが、
何か良いものを見つけて、
僕からと言ってやっておいてくれないか。
君にも何か僕から贈り物をしよう。


======

このとき、栄は何をプレゼントしたのでしょうね?













ブログのアクセス数も、
暮れになって49000を超えました。

次の目標は50,000アクセスですね。

映画の話題や出版、テレビ放映などの頃は
当ブログアクセスもかなりあったものの、
最近は、定着した方が訪れるくらいになっています。



まだ、しばらくは毎日の更新を続けたいと思っています。







現在の天皇誕生日は12月23日ですが、
栄達:昭和の時代の天皇誕生日は
4月29日で、天長節と言っていました。
(現昭和の日
国民の祝日は、
呼び名が変わったり、日が変わったりしていますね。

【天長節】
1927(昭和2)年から1948(昭和23)年までは
4月29日は「天長節」という祝日で、
四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。

峯子と栄の思い出の
紀元節
恋人時代の2月11日です。






2011年12月22日
1と2の日ですね。(^0^)
毎月22日は夫婦の日でもあるそうですが、
「2」を白鳥(スワン=吸わん)に見たて、
「22」で「吸わん吸わん」との語呂合せから、
禁煙の日でもあるそうです。
禁煙推進学術ネットワークが制定(根拠に笑いますがw)。
健康のため、吸いすぎに注意しましょう・・・・
というより、
自分や周りの人の健康のため、禁煙しましょう。

栄はタバコ好きで、
峯子は慰問袋に、たびたびタバコも入れていますが、
健康に気遣って
吸い過ぎないようにと一言添えています。
















大場栄隊率いる47名がサイパン最後の日本兵・・・
と思っておりましたが、
それは、ちょっと間違いだったかも。
テニアン島から生還された金谷安夫さんのページ戦塵の日々 パート5 金谷安夫著」によると、
その後20年12月22日に、13名の投降とあります。
大場隊の投降を知り、投降後の処遇などを確認したのち
山を下りたと名簿も載っています。

彼らも、日本兵としての誇りを捨てず、
捕虜としての扱いを拒否していました。

金谷氏著「戦塵の日々 パート1 はじめに」には、
~~~ 平成8年4月17日 ~~~
日本が負けるはずはないと戦争に行ったが、
無謀な戦争であると知ったこと、
そして、多くの血を流したのは若者たちだったこと。
この事を思い、二度と前者の轍を踏まないよう、
後の世の孫子の代まで伝え残す責任を感じ、
拙いペンを取ったとあります。


しかし





最近、市民団体の集まりで豊橋で出逢った方ですが、
ちろる庵でのミニパネル展開催中でしたので、
お茶にお誘いしましたら、
たまたま「大場栄と峯子の戦火のラブレター」を読んで
印象に残った部分をノートに写し書きしているという
熱心な読者と分かりました。
その方は、他にも興味を持った本は
「読書ノート」に記入しているということでしたが、
「本の編集者に会ったなんて驚いた。」と喜んでみえました。(^0^)

読者会なんてのも開いたら、どうかしら??
なんて、ふと思うのですが、、、、、
そういえば、「ふと、」って言葉も
峯子の手紙によく出てきていましたね。
カタカナで書かれていたりしましたが。









ことしもあと10日で大晦日。
新年を迎える準備が、まだできていませんが、
一年を振り返る時期ですね。

今年は、大震災で
日本中が「震災後の復興」の年になりましたね。

大場栄と峯子の戦火のラブレター」にとっては、
2月に出版、
サイパンでの活躍を描いた「タッポーチョ」復刊
続いての「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男~」ロードショー
東三河でのパネル展(蒲郡豊橋豊川豊橋市内喫茶店)、
読み解く会ニュース」発行など
激動「激震!」の一年でもありました。

あと何日とカレンダーの数字を数える
峯子の気持ちになぞらえ
今年一年を振り返ってみても、
「銃後」の峯子の気持ちに同化できるような
出来事があった気がします。









冬のメニューの定番は、おでんでしょうか。
栄と峯子にとって
懐かしく思い出すおでんは、
栄の御津南小学校の教師時代の
正月行事に食べた御津のおでんです。
まだ恋人だった二人、
峯子を誘って案内した栄も
寒さなどかまわないほど
熱かったのだろうと思います。

この地方では、
おでんと言えば、
大根・こんにゃくに味噌をつけたり、
はんぺんや竹輪などを煮たりしますが、
バザーなので、串にさしたのでしょうね。





栄の手紙は、おおむね
短い時間で書かれています。

===一部引用===
栄 16年11月

乱筆で沢山書きなぐった。失敬する。
最近字が乱暴になっていけない。
手が無茶無茶に早く動いて他人に読めない字ばかり書いている。
読み難い事と思うが、判読せられたし。
一つ書類を記事にするのに
頭に浮かんだ事をすぐに書き現わさないと、
文章が出来ないので自然こうなってしまった。
ゆっくり読んで味って貰いたい。


======

癖字を読み取り
判読するのに時間がかかりました。


出版本カバーの後ろ側に、
栄の文字が入っています。










昭和14年創業の旧蒲郡ホテルは、
蒲郡プリンスホテルからクラシックホテルと
名前が変わることになりました。

栄と峯子たちの生きた
豊かな時代の名残を残すホテルです。
思い出の蒲郡海岸を見下ろす
小高い丘の上にあります。
2011年12月16日 アサヒcom










12月17日は、飛行機の日
1903年、アメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで、
ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が
動力飛行機の初飛行に成功した日です。
この日には4回飛行し、1回目の飛行時間は12秒、
4回目は59秒で飛行距離は256mだったといいます。
なかなか飛ぶのは難しいですねww

栄は陸軍に所属していますが、
陸軍・海軍もそれぞれ航空機を持ち
デザインが違っているんだそうですね。
そうなんだ? 空軍ってなかったの?

栄が子どもに送っている手紙の中に
陸軍の飛行機の絵ハガキ(?)で、
海軍とどこが違うか分かりますかと
言っています。

こんな感じのだったのかなぁ?








兵士のスキルアップに、
剣術競技会が開かれています。
部隊ごとに競い合うものらしく、
栄の隊はあまり良い成績ではなかったようです。
(下から4番目)
栄は、剣術は苦手?
指揮軍刀術というのもあるとか?
学生当時柔道ばかりしたのを後悔していて、
「一弘は剣術を仕込むつもり。
君の考えはどう?」と、
峯子に意見を求めています。

栄は、当時の男性としては珍しく(?)、
峯子にもフィフティフィフティの立場
意見を求めたり、任せたりしています。







昭和16年12月8日に、海軍の真珠湾攻撃
太平洋戦争は始りますが、
大陸にいる栄達、
峯子たち日本の国民はどういう思いでいたのでしょうか。

===一部引用===
峯子 16年12月15日

今朝は、寒い時雨が降っています。
冬の訪れを物語っている様な、侘しい日でございます。
十二月八日、畏くも宣戦の大詔渙発され、
国民は一致団結必勝の意気に炎えています。


=====







ちろる庵ミニパネル展の紹介記事が
2011年12月11日の東日に載りました。


太平洋戦争の始まった16年12月、
峯子の職場三谷小学校は、学期末の行事で多忙を極めています。

===一部引用===
峯子 16年12月

展覧会及び学期末で、
峯子は目の廻る様な思いでございます。
今年は、工作が課され、裁縫を出張していますので、
図画書方も放っては置けず、
本当にもう一週間ばかり
やるせない思いで過日いたす事と存じます。


======

展覧会には、
工作、裁縫、図画、書道の作品が並んだようですね。





栄と峯子の長男、一弘君は、
幼いころは病気もして心配もさせましたが、
幼稚園に上がる頃には丈夫になりました。

===一部引用===
峯子 16年12月

一弘ちゃんは、寒い風にも負けないで
毎日戸外で遊び廻っています。
おかげで今年は風邪ひとつ引かないで、
本当に楽でございます。

中略
一弘ちゃんの六歳の年に、
幸あれかしと日夜念じています。


====

峯子は、栄に自慢できるよい子に育てたい一心で
子育てに打ち込みます。


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子どものエピソード
















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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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