日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。
栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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峯子の本当に最後の手紙には、
栄のサイパン島タッポーチョからの生還の新聞記事のことが書かれていました。
(映画「太平洋の奇跡」の感動的なあのシーンが目に浮かびます。)
峯子の文面には「『大場榮』の活字を
涙でうるんだ瞼をぬぐいぬぐい、
何度見直しました事でございましょう」
という19年12月3日付のAP通信とあったのですが、
中日新聞には、同年翌日のバックナンバーコピーに
「サイパン島生き残りの隊長 大場大尉は三河出身」という
大場栄の記事がありました。
この記事を見つけた時には、嬉しかったですね。
峯子の気持ちが分かるような気がしました。
栄のサイパン島タッポーチョからの生還の新聞記事のことが書かれていました。
(映画「太平洋の奇跡」の感動的なあのシーンが目に浮かびます。)
峯子の文面には「『大場榮』の活字を
涙でうるんだ瞼をぬぐいぬぐい、
何度見直しました事でございましょう」
という19年12月3日付のAP通信とあったのですが、
中日新聞には、同年翌日のバックナンバーコピーに
「サイパン島生き残りの隊長 大場大尉は三河出身」という
大場栄の記事がありました。
この記事を見つけた時には、嬉しかったですね。
峯子の気持ちが分かるような気がしました。
峯子が見たというAP通信の記事は、
何新聞だったのか分かりませんが、
蒲郡市内の図書館にある昔の新聞記事バックナンバーは、
中日新聞の、それも時折欠番のあるコピーなので・・・・・
何新聞だったのか分かりませんが、
蒲郡市内の図書館にある昔の新聞記事バックナンバーは、
中日新聞の、それも時折欠番のあるコピーなので・・・・・
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2011年2月に出版。
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