日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。
栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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昭和12年3月16日生まれの栄の長男 一弘君は
やんちゃでお茶目だったようですね。
峯子や家族に囲まれ愛情いっぱいに育ちました。
でも、戦時中で物が不足したり不自由な生活の中、
峯子の母として育児は苦労が多かったことでしょう。
同じ3月生まれの栄は、
手紙と一緒に、子どもへのプレゼントについて書いたり、
僕にも慰問袋を送ってくれ等と言っていました。
子どもが生まれた年の秋、
まだ歩きもしないうちに戦場に召集された栄にとって、
子どもの成長のニュースやそれが書かれた峯子からの手紙が、
戦地での大きな楽しみだったのです。
峯子の手紙には、本に掲載されなかった部分も含め
子どもについてかかれた記事が多く見られます。
やんちゃでお茶目だったようですね。
峯子や家族に囲まれ愛情いっぱいに育ちました。
でも、戦時中で物が不足したり不自由な生活の中、
峯子の母として育児は苦労が多かったことでしょう。
同じ3月生まれの栄は、
手紙と一緒に、子どもへのプレゼントについて書いたり、
僕にも慰問袋を送ってくれ等と言っていました。
子どもが生まれた年の秋、
まだ歩きもしないうちに戦場に召集された栄にとって、
子どもの成長のニュースやそれが書かれた峯子からの手紙が、
戦地での大きな楽しみだったのです。
峯子の手紙には、本に掲載されなかった部分も含め
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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。
「大場書簡を読み解く会」
senkanoloveletter@live.jp
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