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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
峯子は、栄に送る慰問品
ワイシャツ、靴下、肩章菓子など送っています。
靴については、履く本人が不在で注文ができないので、
兄の足に合わせたものを送っています。
既製品は当時少なかったのでしょうか。
13年5月19日豊橋郵便局から発送の靴について。

===一部引用===
峯子

靴は、豊橋市札木町の足立靴店で買い求めましたから、
御気に召しませんのでしたら、
御叱言は向うへどうぞ。
三谷の兄さんに、足に合わせて頂いて見ましたが、
履けますから、貴方様も大丈夫だろうと存じます。
既製品ですけれど、注文ですと急には間に合いませんので
ごめんなさいね。
去年の七月以来、革の高値で倍になっているそうです。
品不足で、売りたくないような口振りでした


=====

靴屋が売りたくないというのは、
本当でしょうか?
笑えますが。


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「当時の社会」
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バラの美しく咲く季節。
峯子の家の敷地内にもバラが植わっていて、
花弁をお手紙に同封しています。
思い出の五号には、白いバラがありました。

===一部引用===
峯子 17年5月

数年前に、工場の東出入口に移植したバラの花を、
一昨年倉庫を作る時邪魔になりましたので、
家の前の芝生の所へ植えて於きました。
今年は大きな株になって、五株目下花盛りでございます。
同封の花びらがそれでございます。
純白もエンジもございますが、まだ開花いたしません。
五号のばらも白でございましたわね。
今頃は誰に愛でられているかしら。

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shirobara.jpg花弁や押し花など、
峯子は郷里の香りと潤いを栄に届けます。



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思い出の場所など
そろそろ田の作業が忙しくなりますね。
峯子は、日に焼ける農作業は好きでなかったようで、
栄もそれを心配しています。
戦地に渡る時、父親宛ての手紙にも
「峯子に農作業は無理だから
子守だけさせてやってくれ」と
気遣って書いていますが、
それでも峯子は居づらかった事でしょう。
農繁期には、農事や養蚕の手伝いをしてはいますが、
うまくこなせていたのかどうか、、、

女は三界に家なし
と、実感していた事でしょう。


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峯子の寂しさ
13年5月16日
栄は、南平鎮の闘い(徐州作戦)で名誉の戦傷を負います。
何度かの戦傷のうち、最初の足の怪我で入院です。

===一部引用===

前略。早速御通知いたします。
己に御承知の事と存じますが、
五月十六日午後五時、南平鎮攻連に於て
名誉の戦傷を負いました。
少くとも除州入場まで
元気でがんばろうと思いましたのに、
激戦第一日終日、
後送の身体となったのを残念に思います。

=====

ただし、傷は軽傷だから直ぐ治る、心配するな
書き添えています。
すみませんゴロです。
切り番「0038000」逃してしまいましたのでww
96efd70b.jpg
栄の実家は農家ですから、
支那大陸にても
農業の様子が目に留まるのか
畑に関して書かれる事が多いですね。

===一部引用===
栄 15年

いよいよ中支の戦場は
本格的な猛暑になって参りました。
支那人の田植姿が、
そこにもここにも見受けられます。
そろそろ田植えや春蚕で多忙を極める事となります。


====
暑くなりかける頃、
恋人時代か新婚の頃か
夕涼みの釣りの思い出に触れています。
栄の手紙には、
ロマンチックな表現が時折目につきます。
武人としての栄イメージからは
少し奇異に思われるかもしれません。

===一部引用===
栄 時期不明

いつだったか、竹島の夕涼みに借用した釣竿に、
峯子の体臭を間近に感じ
ほの甘い感傷に浸ったのも
ちょうど今頃では無かったか。
何となく、恋人と新婚の夢を結ぶ様な、
そんな激情が鼓動を高鳴らせる。


====
先月(2011.3月)、大発見!とお知らせしましたが、
実は、整理されていない手紙の中から
栄がサイパンで活躍をしていた事や
生きていたと分かった峯子の
夢のようだという
喜びを綴った手紙があったのです。
「南方で戦死」と通知されて
葬式まで出し、
望みを失っていた峯子にとって
栄の生存の報は
どんなに驚き、嬉しかったことでしょう。

第2刷には、このお手紙にも触れる予定です。

あれ?
三河三谷でお別れって?
でも、それまで仮定していた設定と
違ってるジャン?
またまたが・・・(><)
順不同のお手紙から解き明かされるパーツは
埋まらないジグソーパズルです・・・・
毎年5月12日は看護の日です。
ご承知のごとく、ナイチンゲールの日、
国際ナースデーに由来するものなんだそうです。

栄は何度も入院していますが、
そのたび峯子は心配し、お側で看病できたら・・・
と思った事でしょう。

栄がサイパンから帰ってからの話ですが、
峯子が栄を看病したことが
「タッポーチョ 敵ながら天晴大場隊の勇戦512日」に書かれています。
極限状態の戦場に長くいて、
きっと悪夢にも悩まされたことでしょう。
辛い体験で病んだ傷みも、
峯子の愛情こもった看病で回復した事と思います。
ハエはどこでも煩いので
「五月蠅い」と書きますね。
支那でも、名物のように?
ハエが沢山いるようです。

===一部引用===
栄 13年5月

支那名物の蚊とハエには全く困ります。
特に蚊は悪性で、
マラリヤ病を発生しますので危険です。
◎かカヤも無く布を頬にかぶって蚊をごまかしています。

====
◎は読み取り不明


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戦地の状況
初めての方には、
このブログの読み方
昨夜、手筒花火まつりに出かけましたら、
花火の合間に御神楽隊が出ていました。
竹島のお囃子でしたが、
そういえば、と
思い出したのが、天白社の御神楽。
毎年4月ですから、もう、先月終わってしまいましたが、
天白神社の春のお祭りの御神楽は、
栄と峯子の思い出にも
たびたび出てくる神楽芝居です。
江戸時代から伝わるということで
蒲郡市指定文化財となっています。
今も同じように上演される御神楽を
当時、互いのぬくもりを感じながら
見ていたのでしょう。

峯子が「あなたの懐かしがっていらっしゃったお天白様の祭礼
と書けば、栄も
僕一人ではない、『あなたの』とは片手落ちなり」と

二人ともに思い出のある事を述べています。
時折、栄は「科学の勉強」に行っています。
文字通りの科学を勉強していたと読み、
将校は戦術や武器の勉強するのかと、
どんな事を勉強するのだろうと疑問に思っていたところ、
実は、これば「暗号」のようです。
「演習に行く」という意味らしい。

演習中は、本部を離れるので、
しばらく手紙が書けないということを知らせたようです。
それも軍事機密扱いだったのでしょうか。

手紙中には、他にも「海を見る」などの
暗号が使われています。
暗号の他、伏せ字の描写も登場しています。

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戦地の状況
出版記念のパネル展を2011年2月に開催しましたが、
いつごろ、第2刷をつくることになりますでしょうか?
初版本出版後の大発見もあり、
もちろん、反映したいですね。
本当にドラマチックな人生のお二人
感嘆いたします。

それも含め、
また改めてご案内しますが、
7月下旬に豊橋市内の会場にて
第2回「大場栄と峯子の戦火のラブレター展」を
開催の予定です。

みかんの花が咲き出しました?

「みかんの花咲く丘」(作詞:加藤省吾 作曲:海沼実)。
    ♪みかんの花が 咲いている
     思い出の道 丘の道

蒲郡はみかんの産地。
栄の家の近くには主要産業のみかんがいっぱい植わって
みかん畑が広がっています。
みかんの木には、
とても素敵な思い出があるようなのです。
何があったのかは、
想像する事しかできませんが・・・
ですから、「大場栄と峯子の戦火のラブレター」の表紙
みかんの木なんですよ。

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思い出の場所など
栄の実家では、農業とともに養蚕も家業としています。
春蚕は、特に収量も多く
農家の収入源としても大事なものでした。
世話の忙しい時期には、
三谷にいる峯子や母たちも、子連れで手伝いに行っています。

===一部引用===
峯子 15年5月

今日、春蚕のおやまで、
三谷の母と一弘ちゃんと、
一日お手伝いに牧山へ行かれました。


====

ネズミは何度かお手紙に登場します。
1つは、
 二人のスィートホーム五号ネズミの巣
 (しばらく空き家になっているので荒れていないか心配)
1つは、栄が戦地で毎夜ネズミの運動会
 (天井だけでなく顔の上まで這いまわる?)
あと一つは、
 長男がネズミを怖がるというお話。

ハツカネズミは可愛らしいですが、
家ネズミやドブネズミは嫌われますね。
 
一弘君の初節句、13年の5月5日には
お祝いできませんでした。
父親不在なので、ご帰還まで延期とされたのです。

峯子は、
青空に翻る鯉のぼりを見て喜ぶ子どもの笑顔を
どんなにか見たかった事でしょう。


この頃は、日華事変もすぐに終わり
そのうち栄が帰って来るだろうと思っていたのかもしれません。
長男一弘のお祝いは、
3歳の髪置き祝いまで待つことになります。


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峯子の寂しさ
栄は、愛知県実業教員養成所卒業後、
1933年(昭和8)、御津町立実業学校の地理教諭となります。
翌年徴兵を受けて大日本帝国陸軍に入営し
歩兵第18連隊に配属されます。
将校を目指し甲種幹部候補生となりますが、
1936年(昭和11)、豊橋市立吉田方尋常小学校に
教諭として帰ってきます。

吉田方に勤めていた頃は、
思い出の五号に住んでいます。
栄の真面目優しい性格ですから
近所の住民には、
先生・先生と親しみ敬われていたのでしょう。
獲れたての海産物なども貰っていたようです。

太平洋戦争後にできた日本国憲法は、
戦争をしないという事が書かれていますので
(これが変わらない限り=変えてはいけませんね)
もう、日本は世界のどことも戦わない
どんな国の人にも銃を向けないという
意思を表明している立派な国です。

大場栄と峯子は、日中戦争・太平洋戦争の時代
戦争に人生を翻弄された多くの人たちの中でも
大変幸運な命を長らえた方たちです。
軍国主義のまかり通った世でしたが
その手紙の中に込められた気持ちを
わたしたちは
70年も経った手紙の文面から読み取ることができます。


5月3日は憲法記念日なのですが、
世界報道の自由の日でもあるんですって。
戦争放棄とともに、言論の自由も
大事な権利の一つですね。
殺伐とした戦場に長くいて
精神的ストレスは極度に高まったことでしょう。
短気になったり、
物や字を忘れたりしています。

===一部引用===
栄 16年4月

長い間こうしていると心は荒むし、
気は短くなってくる。
それに一徹な人間に仕込まれて来るから、
気に向かぬと乱暴な事を言うかもしれない。
あまり気にせぬ様にせられば。


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そんな栄に、峯子は潤いある手紙をと、
桜の押し花
便箋に香水の香りをつけて送ります。
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HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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