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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
峯子17年秋の手紙に
豊橋の教導学校(下に注)の生徒が、三谷に演習と書かれています。
生徒たちは、形原から豊橋までもちろん歩くのです。
25km?くらいありますよね?

===一部引用===
峯子 17年9月11日

今朝、豊橋教導学校生徒千五百名、三谷へ演習に来られました。
昨夜形原に宿泊されて、今晩学校へ帰られるのだそうです。
残敵を掃蕩しつつの行軍とか。荷物の重みと歩行軍の疲れとで、
軍服も汗グッショリ。頬を流れる玉の汗をぬぐいもせず・・・
本当に兵隊さんは偉いと思いました。
丁度家の前で十五分間休憩でしたので、
砂糖水、氷砂糖、お煎餅等有り合わせの茶菓を差上げましたら、
大変喜んでいらっしゃいました。
戦地にお出での皆様のご労苦の程を思いやり、
本当に尊く感じました。


====

峯子は、戦場ではこれとは比べ物にならないと
遠く戦地の兵隊を想っています。


【教導学校】
1927年(昭和2年)7月1日
「陸軍教導学校令」(昭和2年勅令第212号)が制定され、
歩兵科の下士官候補者を養成する教育総監管下の陸軍教導学校が、
仙台、豊橋、熊本に設置されています。
官候補者の教育を実施した。
1938年(昭和13年)3月
「陸軍予備士官学校令」(昭和13年勅令第139号)が制定され、
豊橋校に予備士官学校が併設されました。
1939年(昭和14年)8月、
豊橋校での騎兵・砲兵科の下士官候補者の教育は廃止。
その後、全面的に予備士官学校に転換が図られ、
教導学校は1943年(昭和18年3月29日勅令第221号により
同年8月2日に廃止されています。
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非公開
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2011年2月に出版。
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