日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。
栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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栄の実家は農家で、米作や養蚕をしています。
嫁に行った峯子は
手伝うのが当然となるのですが、
子どもにはまだ手がかかるし
育った環境から、なかなか農作業はできません。
栄も、両親に宛てた手紙で、
「峯子には、子守だけさせてやってくれ」と
援護しますが、
きっと両親からは間に合わない嫁と思われていたかも。
体にきつい労働も
日に焼ける作業で黒くなるのも
峯子には辛い事だったでしょう。
ですから、峯子は婚家では居づらくて
実家(三谷)によく帰っています。
しかし実家には、兄嫁も、まだ嫁がない妹もいて
そこも安住の地ではないと、
峯子は書いています。
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「峯子の寂しさ」
嫁に行った峯子は
手伝うのが当然となるのですが、
子どもにはまだ手がかかるし
育った環境から、なかなか農作業はできません。
栄も、両親に宛てた手紙で、
「峯子には、子守だけさせてやってくれ」と
援護しますが、
きっと両親からは間に合わない嫁と思われていたかも。
体にきつい労働も
日に焼ける作業で黒くなるのも
峯子には辛い事だったでしょう。
ですから、峯子は婚家では居づらくて
実家(三谷)によく帰っています。
しかし実家には、兄嫁も、まだ嫁がない妹もいて
そこも安住の地ではないと、
峯子は書いています。
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2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。
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senkanoloveletter@live.jp
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女三界に家なし(http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/102881100030/)
といいますから、
身で味わっていたのでしょう。