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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
あす10月15日から新聞週間、
日曜日は、新聞の日です。
戦時中、新聞記者は
戦地の模様を国民に知らせるのに
本部や野戦病院にも取材に行っていたようです。
郷里に「僕たちは元気です」と
お国の為に働いていると記念写真も
部隊ごとに撮って載せています。
入院中の栄に
戦闘の模様や怪我の状態など
取材に来ていました。
もちろん、記事は
伏せ字でいっぱいでしたけれど。


栄は、













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蒲郡のシンボルともいわれる竹島は
埴層の貴重さから天然記念物に指定されています。
今週末は島内にある八百富神社の祭礼で
竹島橋の袂にある遙拝所も奉納の山車で賑わいます。
爆竹や参拝客や祭人でいっぱいで
トンビもハトも驚いていますよ。

栄と峯子にも、竹島にまつわる思い出は多く
いくつかの話題で手紙に登場しています。
子どもと散歩に行ったり
デートした冬の竹島海岸
釣りをした時には
トンビくらいしかいなかったかもしれませんけれどね。











10月に入り、夜になるとあちこちから
祭りに向けて笛太鼓の練習の音が聞こえてきます。
蒲郡市内では神社によって毎週のようにお祭りが続きます。

当時も同じように祭りの前になると
笛や太鼓の練習をしていたのでしょう。
特に、峯子の実家の辺りは、
江戸時代から伝わる伝統的な三谷祭で盛大に執り行われます。
上区(あげく)のお囃子については、
三谷祭公式ページにも紹介されています。
祭りを殊のほか楽しみに大事にしていますから、
まだ一弘の小さなころから
背中におぶって練習も見に行っていたようです。
年ごとに祭りを楽しむ様子も書かれていて、
踊りを真似するようになったと子どもの成長を
微笑ましく喜んでいます。

二人も祭り御神楽にかかわる思い出は
いくつもあり、何度も書かれています。










栄が支那大陸にわたって三年、
峯子は、栄が心待ちにしている息子の写真
たびたび送っています。
15年秋の栄からの手紙には、
子どもが大きくなってしまって
名前が書いてない写真は、分からないと
言っています。
従兄と一緒に写っている写真が、父親(峯子の兄)に似ているので
その隣の子が息子と分かるという次第。
前後の手紙に、峯子の送った手紙の返事です。

===一部引用===
栄 15年 10月11日

毎朝、国旗掲揚、遥拝、ラジオ体操、訓練とは
大変結構だが、何と無くテレ臭い様な気がする。
世の中もそんな工合に変って来ているかな。
俺は昔の事しか知らないから、そんな気がする。


====

もう三年前が「昔の事」という感覚なのですね。
激動の三年だったからでしょうか。







いくつかある峯子にとって忘れられない日のひとつ
昭和12年10月その日は、激しい雨の日でした。
ですから、雨が降る度
何度峯子は、この日の事を思い出した事でしょう。

===一部引用===
峯子 15年10月10日

今日は十月十日でございます。
どう言う日か覚えていらっしゃいます? 
私達の運命を二分された日、
あの日から満三ヶ年の歳月が夢のように流れました。
たった一夜の宿直ですら淋しく辛く
、お別れするのが、厭だった峯子でしたのに、
良く三ヶ年を辛抱出来たと、
今更我ながら感心だと存じております。


=====
まだ、子どもは7カ月ばかりで
手のかかる頃。
峯子は、一人で育児をしながら
栄の凱旋を待ちます。
一方、栄は、
日華事変のさ中、激しい戦場へと
駆り出され、長い戦場生活が始まるのです。











スポーツの秋たけなわ。
この頃の小学校は春に運動会をすませてしまう?
当時はまだ、体育の日(10月10日)は
制定されて無かったですが、
運動会は秋というのが恒例のようでした。
栄も峯子も、学校という職場ですから
秋の大きなイベントで、大変だったでしょう。
栄の手紙の中に
ちょっと面白い一文があります。

===一部引用===
栄 16年10月

 秋は行事が多く、何かと多忙の事と存じます。
運動会、学芸会、書き初めの準備等、
何かと苦労の多い事と思います。
君に勤まるかしらと心配しています。
もっとも女は案外くそ度胸がいいから。
 何時だったか、確か運動会の慰労会の時、
女の人も一緒に料理屋に行った事も一度あったが、
君の所はそんな事はあるまいか。
嫌だな。別に妬く程も無いかね?


=====

きっと、イベント終了後の慰労会で、
酒の席に女教師も同席することを
ちょっと心配しているようですね。







14年秋ごろの峯子の手紙に、
峯子の実家の会社の事に触れています。
父は町長だった頃かと思うので、
峯子の兄が事業者と思いますが、
こうした一般企業にも軍国主義を
浸透させるような日課を
「行うようにな」ったというのは、
通達とか奨励されたのでしょうか?

===一部引用===

平野織産でも毎朝、
ラジオ体操、国旗掲揚式、
皇居逢拝、皇軍将士に感謝黙祷、
行うようになりました。


=====


このカテゴリーの記事を読む
当時の社会









この「大場栄と峯子の戦火のラブレター」ブログも
昨年10月7日より、毎日更新を続けて参っております。

ちょうど一年前の記事は、絶版「タッポーチョ」
作者のドンジョーンズ氏の書かれた
この一冊の本から、映画「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」ができ
そしてお手紙発見・出版につながった
始まりでしたね。

お手紙にまつわる話は、
多岐にわたり、
このブログも息が切れるまでwwは、
もう少し、毎日更新を続けたいと思います。

このブログの読み方








峯子の手編みのセーターは、
16年10月6日の手紙に、
九分通り出来上がったと書いてありました。
送ったのは11月になってからのようですが、
栄の催促もあり、遅くとも1週間後くらいに着くと思っていたのが
隊が変わってしまった為、
「お手元に届くのが遅くなることと思う」と峯子は書いています。
二人の意に反し、2か月もかかることになります。
やっと届いたセーターに、
栄は峯子のまごころを温かいと感謝します。

======
峯子 16年10月6日

夜毎に真心こめて一針一針編みました袖なしセーターが、
やっと九分通り出来上がりましたから、
後便でお送り申し上げます。
今度は峯子も上手になりましたから、
そんなに変な恰好ではなかろうと存じます。


====











蒲郡市は、昭和43年10月5日に
世界連邦平和宣言都市宣言をしています。
(愛知県では幡豆町(現西尾市)とふたつだけ)
竹島の八百富神社遙拝所に記念碑が建っています。

石碑には「世界は一つ」と刻まれていますが、
この題字は世界連邦第5代会長のノーベル賞受賞した湯川秀樹博士の筆です。
また、近くには、世界連邦設立に寄与した賀川豊彦氏の
蒲郡での療養地という記念碑もあります。
(この体験をもとに書かれたのがベストセラー「死線を越えて」)

蒲郡市では、
2009年には、香川豊彦100年事業も開催されています。
こんなにも、蒲郡は「平和運動」と近かったんですね・・・

記念碑の裏面の宣言文

「     宣 言


  人類の最大不幸は戦争にある。戦略兵器の驚異的に発達した今日、

 戦争を防止し、人類を破滅から護る世界永遠の平和を実現することは、

 全人類の切実な願いである。

  蒲郡市は、世界の恒久平和を実現して人類の福祉を増進しようとする

 世界連邦建設の趣旨に賛同し、人類永遠の平和確立に努力する平和

 都市であることを宣言する。

      昭和四十三年十月五日

           蒲郡市 」










乃木山に今も残るふきぬきホテル跡は、
東洋一といわれた時代もありましたが、
現在では宗教法人施設になっていたものが
蒲郡市所有となったというニュースが最近ありましたが、
この後はどうなるのでしょう?

昭和16年夏の一時帰国の際、栄と峯子が
ふきぬきで一晩を過ごした田舎の間の思い出は
無くなりはしませんが・・・・









10月3日は「と(10)ざん(3)」の日。

峯子は、本宮山(標高789.2m)に
子どもを背負い登っています。
東三河の人々の信仰の対象として親しまれている本宮山の
三河国一之宮の砥鹿神社にお参りしたことでしょう。
信仰心の篤い婚家の父も、毎日の五社参りや
あちこちの神社に武運長久祈願に行っていたようです。

峯子の妹弟が富士登山という記述もあります。
栄が一緒なら峯子も登りたいとも書いています。

当時の登山は、単にスポーツとか観光ではなく、
信仰と深く結びついているようですね。


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当時の社会
















栄が中国大陸に渡り戦地を転々としながら
10月を迎えようとする頃
大陸の雨は冷たそうです。

===一部引用===
栄 15年秋
 
雨! 続いて雨 そして曇!
毎日天候が一様で無い。
外套に身を包んで受ける教育も、並大抵では無い。
大陸の自然 夏から秋へ! 秋へと移っている。
四度廻わる大陸の秋、そして冬。
間も無く君達を故国を残してから満三ヶ年が来る。
御国の為! 唯 国の為だ!


======

栄は激動の3年間を振り返ります。
机も無い土間で手紙を書きながら、
それでも文面の最後には、
いろいろ考える事も夢かもしれないが
夢のあるうちが楽しみだと
至極将来に向けて前向きです。
こうした姿勢が、
窮地に陥っても希望を捨てず
サイパンでも
最後まで生き抜いてきた栄らしさが
表われているかと感じられます。


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栄の人柄・好み















10月1日は、日本酒の日だそうです。
新米で酒造りを始めるのが10月で、
酒壺を表す「酉[とり]」の字は十二支の10番目、
さらにかつては「酒造年度」が
10月1日から始っていたことから(現在は7月1日から)、
何かと酒に関係の深いこの日を、
清酒をPRする「日本酒の日」とした。

栄は、酒はあまり飲まなかったようですが、
ささやかな夢は、
帰ったら土曜日の晩くらいは
晩酌で1合くらい飲みたいと言っていました。
峯子にお酌ができるのか?と
危ぶんでもいましたが・・・・

















17年9月ごろに満洲に配属になった栄は
峯子と長男を呼び寄せますが、
そのときに
来るときに次のものを忘れずに持ってきてください
と頼んだものがいくつかあります。
そのリストというのは、

1、掛け軸
2、勲章
3、指揮刀
4、春撒き種子

このリストを見ると、
1番が掛け軸とか、種とかって
書画や草木を愛でる・・・
なんとなく栄の人物像が浮かんでくるような気がしませんか。

3番の指揮刀というのは、
サーベルのようなものらしい。
軍刀では教育に重くて不便なり
と言っていますので、
長さも短く(?)軽かったのでしょう。
親戚筋の方々の記憶にある
一弘が軍刀を背負って満洲に行ったのは、
この指揮刀だと思われます。
(参考:編集長の日記





















婚家の義父が代理で貰った勲章を見て
栄の胸に勲章が輝く姿を思い描く峯子です。

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峯子 15年9月

昨日、牧山へ行って参りましたら、
お父様が院七位勲五等を御下賜下さったから、
戦地へ報告して呉れとおっしゃいました。
瑞宝章も見せていただきました。
早くあの懐かしい厚い胸にこの勲章が輝く日が来ます様にと、
胸をときめかせて見せて頂きました。


====

その下の薫六等は、付けないまま、
お返しすることになってしまったが、
今度の勲章を付ける日を
ひたすらお待ちするという峯子です。
あの厚い胸」は、大島での海水浴の
手紙にも出て参ります。




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峯子の寂しさ

先だってから、忍者ブログの広告表示様式が変わり、
最新記事の直ぐ下に表示されるようになりました。
ちょっと目立ってますねww
少し工夫をいたしましたので、
空間が空きますが、ご了承ください。

















13年9月、長男一弘君が1歳半の頃、
数えでは二つですから、
文面には、二つとあります。
毎日見る
トウチャンの写真は軍服姿です。
===一部引用===
峯子 13年9月28日

新聞でも雑誌でも
軍服を着た兵隊さんさえ見れば
父ちゃんと申します。
先日も将校さんが三谷に見えられた時、
「兵隊さん僕のお父ちゃん?」って
将校さんを面喰らわせました。
「一ちゃん幾つ」って聞きますと
「二つ」と申しますので、
「御利巧ね」っておだてますと
「ウン」って嬉しがっています。


====

栄が出征して約1年経った頃のエピソードです。
お口も達者な様子です。
絵本を見て喜んでいる様子が書かれています。
日中は未だ暑い。
しかし流石に秋だ。
朝夕-はめっきり秋の気分を満喫させられます
。」
という文面で始まる14年ごろの栄の手紙ですが、
4月以来本部に帰っていないとあります。
でも出されたのは秋ですから、
5か月は討伐や掃討に出ているということなんですね。

===一部引用===
栄14年秋

夏服は、本部の方に着いているそうです。
今年には間に合いませんが(来年は着れるでしょう)。
また、どうせ来年、必要になると思う。


====
暑い中支で冬服だったのでしょうか(@0@)!?
しかも、14年の10月ごろは、
愈々寒さの冬を迎えるが
夏服なるも、僕は元気だから大丈夫
などという手紙もありました。
(このときはあわてて冬服を送っています)
過酷な戦地(×へ×)r
栄も峯子もロマンチストで、
お互いに同じ月を眺めているかと
月の話題が何度も出てきます。

======
栄 14年か?9月

今夜は素晴しい良い月夜です。
十四、五日の月夜と見えて、真ん丸です。
澄みきった月の中に、
お餅を搗くとか言う兎が仲良く働いています。
いつだったか二人で餅を搗いた事もあったっけ。
あの頃も楽しい夢の一つですね。
同じ今夜の澄んだ月を、
一弘とともに貧しいながら
我家の庭で感慨に耽っているであろう姿を
想像しています。


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自己紹介:
2011年2月に出版。
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