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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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栄も峯子も映画が好きで、
よく映画館でデートもしたみたい。
戦地でも、兵隊さんたちの慰問として
映画や演劇などが上映されていたようです。
しかし、戦時中は、
従来のものも脚色されて時代にあうようアレンジされたり
啓蒙的なストーリーにものになっていたようです。

===一部引用===
栄  年月不明

昨日も今日も慰間の映画を見ました。
昨日は“うちの女房にや髯がある”。
利之君がこの歌を唄ってパピフペとか、何とかいった事を覚えている。
今日のは「ハリキリ親子」。
昔、三谷劇場かエビス座で見た事のある映画です。
もっとも終りの方が事季向々と変えられて
ニューモアな中にも事季色が織り込まれている様でした。
次は弥次喜多道中、なかなか優秀な映画です。
最近なかなか面白いものが来ます。
新年には活動でも見ますか。
三谷劇場やエビス座に昔の夢を偲ぶのもいいでしょう。


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蒲郡のシンボルともいわれる竹島は
埴層の貴重さから天然記念物に指定されています。
今週末は島内にある八百富神社の祭礼で
竹島橋の袂にある遙拝所も奉納の山車で賑わいます。
爆竹や参拝客や祭人でいっぱいで
トンビもハトも驚いていますよ。

栄と峯子にも、竹島にまつわる思い出は多く
いくつかの話題で手紙に登場しています。
子どもと散歩に行ったり
デートした冬の竹島海岸
釣りをした時には
トンビくらいしかいなかったかもしれませんけれどね。











14年秋ごろの峯子の手紙に、
峯子の実家の会社の事に触れています。
父は町長だった頃かと思うので、
峯子の兄が事業者と思いますが、
こうした一般企業にも軍国主義を
浸透させるような日課を
「行うようにな」ったというのは、
通達とか奨励されたのでしょうか?

===一部引用===

平野織産でも毎朝、
ラジオ体操、国旗掲揚式、
皇居逢拝、皇軍将士に感謝黙祷、
行うようになりました。


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当時の社会









10月3日は「と(10)ざん(3)」の日。

峯子は、本宮山(標高789.2m)に
子どもを背負い登っています。
東三河の人々の信仰の対象として親しまれている本宮山の
三河国一之宮の砥鹿神社にお参りしたことでしょう。
信仰心の篤い婚家の父も、毎日の五社参りや
あちこちの神社に武運長久祈願に行っていたようです。

峯子の妹弟が富士登山という記述もあります。
栄が一緒なら峯子も登りたいとも書いています。

当時の登山は、単にスポーツとか観光ではなく、
信仰と深く結びついているようですね。


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当時の社会
















昨日は秋文の日で祝日したね。
ウィキペディアによると、
皇霊祭(こうれいさい)、
すなわち春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)・秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)は、
明治11年(1878年)にそれまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を
春と秋に纏め奉祀したものである。
現在は「国民の祝日に関する法律」により
それぞれ春分の日・秋分の日となっている。

もともとこの日に最も近い戊の日は、
社日として氏子が氏神たる神社に参詣し、
春は五穀豊穣を祈り、秋は実りある収穫に感謝する習わしがあった。
古代中国では祖廟を祀る日であった。

ということで、実りの秋を祝う秋季節皇霊祭は、
峯子のお手紙にも何度か記述され、
支度で忙しい様子が描かれています。
====
峯子  9月
暑い寒いも彼岸までとか、諺にも申しますが、
本当に暮らしよくなりました。
秋季皇霊祭でございます。
光昌寺では、今おつとめの最中でございます。
昨日は日曜日、今日は祭日の日直でございます。
時計の音ばかりが静かに響いています。


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当時の社会
天白神社の祭礼は、毎年4月第二日曜日に行われています。
しかし、以前は旧暦八月十五日行われて、
当時は天白神社祭礼がすむと
一斉に八劔宮の祭礼の支度にかかっていましたが、
昭和四十年から現在の4月第二日曜日に執り行われるようになりました。
御神楽を二人で見た思い出は、
峯子と栄の手紙にも思い出深く語られています。
今日は石炭の日です。
どうして石炭かというと、
「ク(9)リーンコ(5)ール」の語呂合せ。

○クリーンコールデー(石炭の日)
通商産業省(現在の経済産業省)の呼びかけにより、
日本鉄鋼連盟・電気事業連合会・日本石炭協会等8団体が
1992(平成4)年に制定。

ということです。
満州は、石炭の産地で
峯子の父が満洲の土産に
黒ダイヤを買ってくるという話があって、
土産にもらった娘たちの子どもが
今でも大事に持っているということです。

昔の小学校には、二宮金次郎の像が
校門や国旗掲揚等の近くにありましたが、
昭和初期のころ、沢山建てられたそうです。
貧しくても働きながら勉学し、
勤勉の鏡とされたんですね。
栄が吉田方小学校
や峯子の三谷小学校で先生をしていた頃も
きっと学校にあったと思います。

このごろでは流行りませんね。
でも愛知県にはいくつか残っているようです。
豊橋市前芝小はかなり古いもののようですし、
岡崎市内は石造の二宮金次郎さんがいます。

モデルの二宮 尊徳:ウィキペディアによれば、
にのみや そんとく、
天明7年7月23日(1787年9月4日) - 安政3年10月20日(1856年11月17日)は
日本の江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、
「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家。
通称は金次郎(正しい表記は「金治郎」)。
諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と訓む。

とあります。

台風12号が、北上し今朝四国に上陸。
東海地方のこちらでも、雨はまださほどでもありませんが、
かなり強風が荒れ狂っています。
当時は、現在のようにテレビやネットの気象情報も
無かった時代ですから、
ラジオニュースの天気予報に耳を傾けていたと思います。

生活情報を得る手段として、
ラジオはかなり大きな位置を占めていたと思います。

18年に8月にも
大きな台風が四国に上陸したと
峯子の手紙にあります。
この時のことは、
栄も報道で見聞きしたようで、
被害はなかったか心配しています。
蒲郡市は2004年より二学期制を導入していますので、
もう二学期なのですが、
峯子たちが先生をしていた頃は、三学期制でした。
当時の子どもたちは、
夏休みも終盤で、宿題に追われていた?
ことでしょうと思います。
峯子の勤め先の三谷小学校は、明治5年の創立。
ということですから、当時でも創立60~70年も経っていたという
なかなか歴史ある立派な学校ですね。
昭和30年代に鉄筋校舎になっていますが、
当時は木造(二階建て?)だったようです。
峯子の勤めていた当時(昭和15~17年ごろ?)にも、
校舎の建て替えという話が出てきますが
ウィキには書いてないですねぇ。

ウィキペディア 蒲郡市立三谷小学校より


左フレームの下の方にある、ワード検索機能を使うと
たとえば「三谷小学校」など入れてブログ内の関連記事を見る事ができます。
夏休みもあと一週間足らず。
ツクツクボーシが鳴き始めました。
姿をよく見るのは、アブラゼミ、クマゼミが多いのですけれど、
夏休みとともに生きている昆虫ですね(笑)
アブラゼミやクマゼミは、きっと
神社の境内や公園の木立など
一弘クンの夏休みにも、
たくさん鳴いていた事でしょう。
峯子は、一弘君が蝉取りの腕前をあげたと
栄に自慢げに書いています。
チャンネル4(テレビ信州番組)の
サイパン生き残りの新倉氏の番組の紹介文に
「時効だと思った」とありました。


大場栄隊のサイパンでの勇猛果敢な戦いぶりを
大場栄本人が監修もした「タッポーチョ~敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」は、
戦後30年も経ってから発行されたのですが、
その時にも、「黙して語らず」の姿勢が垣間見えました。
その後さらに30年以上経っての映画化「太平洋の奇跡
DVDが発売されています)で
やっと「時効」の時を迎えたのでしょうか。

口をつぐんだままの
長い・長い・65年でしたね。


番組は見ていないのですが、






17年8月の峯子の手紙

===一部引用===

今宵、学校で納涼映写会がございますので、
一弘ちゃんを涼みがてら連れて参ろうと存じます。


====

校庭にスクリーンを作ったのでしょう。
どんな映画が上映されたのか
分かりませんが、
きっと、夏休みの子ども向けのものだったのかしら?
それとも娯楽映画かしら?
映画好きの峯子ですから、
峯子も嬉しかったでしょう。
8月15日を終戦記念日、、、と思っていますが、
国際的な「終戦の日」は、9月2日とか3日なんですって。
それ何の日?ですよね?
(エ?ワタシダケ?)

実は、
8月15日は「戦争が終結することをラジオ放送で国民に知らせた日」であって、
9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で
日本政府及び軍代表が降伏文書に署名した時を持って
『太平洋戦争は終了』としているからです。
アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、
9月2日を対日勝戦記念日(VJデー)と呼んでいるそうです。
ソビエト連邦(現ロシア連邦)や、中華民国(現台湾)と中華人民共和国のように、
9月3日を「終戦の日」とする国家もあるというのです。
国により、日本に対し戦勝したとする記念日は
いろいろ違うのですね。

高等学校日本史教科書の多くは、
終戦の日を9月2日としているそうですが
・・・・記憶にない・・・・・レキシオンチ。(>◇<);


でも、
栄の家は、牧山にあります。
嫁の立場の峯子ですが、牧山ではなく
勤め先にも近い
三谷にいる事が多かったようです。
でも、農作業が忙しい時などには
よく手伝いに行っています

牧山という地名は今は残っていませんが
今で言う豊岡という
蒲郡の北部地域になります。
毎日が記念日ww
8月5日はタクシーの日です。

峯子は、昭和11年
吉田方尋常小学校の教師をしていた栄の元に
身を寄せるために、五号までタクシーを使います。
当時は、タクシーに乗るのは、
相当贅沢だったでしょうから、
身一つで行く時には、
かなりの距離があっても歩いています。
でも、五号に初めて車で行った6月9日
峯子の忘れられない記念日なっていますから、
嫁入り」と同じような意味を持つ日だったと思います。
峯子の勤める三谷小学校の窓から見えた乃木山。
三谷温泉街に続く乃木山の頂上に
日露戦争で有名な乃木希典将軍 の像があります。

この像は乃木将軍が1891年(明治24)5月、
名古屋歩兵旅第五団長として伊勢神宮逢拝の際に
弘法山を訪れたのを記念して、大正9年に建立したものということです。
14年創業の東洋一とも呼ばれたふきぬき温泉
ここにあり、栄の一時帰国の後は、
日直の折、校舎の窓から蝉しぐれを聞きながら
ふきぬきの白い壁を眺めては
思い出していたことでしょう。

その後昭和33年(1957)に弘法山から国道23号線上を横切って
蒲郡弘法山観光ロープウェイ(のちの三谷温泉ロープウェイ)が開通した。
翌年のプラネタリウムやバンビセンター(鹿の動物園)と合わせ
乃木山あたりは、大変賑わった観光地だったらしいですね。

支那事変は長期に渡り、
戦場は奥地へと変わっていきます。
一つの町が陥落し日の丸が揚がるごとに、
日本ではお祝いの祝賀行事をしたとあります。
国民は、日本軍の活躍を喜び
お祭り騒ぎだったのでしょう。

===一部引用===
峯子 12年11月24日

ラジオで新聞で、皇軍のめざましいご活動を伺う度に、
皆様のご労苦に咽んでおります。
利之(峯子の兄の子・一弘の従兄で当時3歳)までが、
南京が落ちたら提灯行列だと楽しんでおります。


====

栄が出征して約ひと月半ほどの頃です。
峯子は、もうこの頃からすでに
御凱旋を今から待ち、
「波止場までお迎えに行く」と言っては、
実家の母に笑われています。
峯子の15年の夏の手紙に、
赤十字の少年保養所という話題が出てきます。
病弱な子供を集めて、保養のために
夏の間集団生活をさせていたのでしょう。

======
峯子 15年7月28日

今日は日直で学校へ来ております。
赤十字の少年保養所が学校へ出来て、
都会の弱い児童が来ておりますし、
岡商も学校におります。
お隣のお寺には岡中がおりますので、騒々しい限りです。


====



蒲郡は温暖で気候も良く、
三谷は、明治13年より、
優れた漁港として、
背後に蒲郡市、豊橋市などの消費地を控えるとともに、
陸上輸送の面でも好条件を備えていたため、
県内における有数の遠洋、沖合沿岸漁業の
根拠地として発展してきました。
昭和9年からの修築工事は、15年に竣工となり、
峯子の父伊助が町長の時期)
峯子の手紙にも記述が見られます。

昭和26年7月28日に、
第3種漁港指定されています。

三谷漁業協同組合の魚市場は、
あなご、たい類、あさり等の水揚げで
現在も朝早くから活気づいています。

豊橋から蒲郡を総括した「三河港」として
位置付けられています。
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HN:
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性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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