日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。
栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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坊やが幼稚園に上がる頃、
兵隊ごっこは男の子の日常の遊びでした。
従兄と、おもちゃの刀を振り回しています。
はずみで転んだ時にも
「隊長、転んでしまった」と、
バツの悪そうに、はにかみながら立ち上がる様子を
「かわいいでしょう」と
峯子は書いています。
当時は、大きくなったら
兵隊さんになる、というのが
子ども心にも刻まれていたのだと思います。
兵隊ごっこは男の子の日常の遊びでした。
従兄と、おもちゃの刀を振り回しています。
はずみで転んだ時にも
「隊長、転んでしまった」と、
バツの悪そうに、はにかみながら立ち上がる様子を
「かわいいでしょう」と
峯子は書いています。
当時は、大きくなったら
兵隊さんになる、というのが
子ども心にも刻まれていたのだと思います。
どんぶらこ、と桃は流れてきませんが、
川でお洗濯していたようですね。
近くの川なのでしょう、
歩き始めたばかりの坊やを連れて、
洗濯をしていると、
水に入りたがっているので、
入れてやりますと、
ザブザブと入って行って
びっくりした、というようなエピソードがあります。
その続きもあって面白いんですけどね。
川でお洗濯していたようですね。
近くの川なのでしょう、
歩き始めたばかりの坊やを連れて、
洗濯をしていると、
水に入りたがっているので、
入れてやりますと、
ザブザブと入って行って
びっくりした、というようなエピソードがあります。
その続きもあって面白いんですけどね。
靴の材料になる革が不足してくると
高騰してきて、内地ではなかなか靴が買えません。
そこで、下駄や草履を奨励するようになったんだそうで、
峯子の父は、職場の役場まで
ゲタでポクポク通うようになります。
しかし、帰って来る時によく
下駄を取り違えてしまうんだとか。
しかも、
そのたび古くなるのが、不思議だ
と、首をかしげる父に、
峯子は母と笑っていたんですって。
また、大陸の方が靴が安いらしいと聞き
峯子は、息子のお土産に買ってくださるんでしたら、
足のサイズはいくつのをお願いしますとおねだりしています。
高騰してきて、内地ではなかなか靴が買えません。
そこで、下駄や草履を奨励するようになったんだそうで、
峯子の父は、職場の役場まで
ゲタでポクポク通うようになります。
しかし、帰って来る時によく
下駄を取り違えてしまうんだとか。
しかも、
そのたび古くなるのが、不思議だ
と、首をかしげる父に、
峯子は母と笑っていたんですって。
また、大陸の方が靴が安いらしいと聞き
峯子は、息子のお土産に買ってくださるんでしたら、
足のサイズはいくつのをお願いしますとおねだりしています。
三谷温泉の老舗として、乃木山に
白壁もまぶしい富貴貫(ふきぬき)ホテルができ、
峯子も、すばらしいホテルに泊まってみたいと
おねだりしています。
16年夏、栄の一時帰国には
その夢もかなったようです。
昭和14年の創業当初は、水車風呂など話題を呼び、
バブルの時代には増築し、巨大な観光名所・高級ホテルとして
関東・関西からの観光客で賑わったそうです。
しかし、
平成10年、30数億という多額の負債をかかえ倒産し、
現在は別の施設として一部利用され、
向かい側に「ふきぬき」と刻印された大石が残されています。
白壁もまぶしい富貴貫(ふきぬき)ホテルができ、
峯子も、すばらしいホテルに泊まってみたいと
おねだりしています。
16年夏、栄の一時帰国には
その夢もかなったようです。
昭和14年の創業当初は、水車風呂など話題を呼び、
バブルの時代には増築し、巨大な観光名所・高級ホテルとして
関東・関西からの観光客で賑わったそうです。
しかし、
平成10年、30数億という多額の負債をかかえ倒産し、
現在は別の施設として一部利用され、
向かい側に「ふきぬき」と刻印された大石が残されています。
「結婚」は
当人同士の意志が一番なのですが
昭和当時は特に「家」同士のつり合いなど考慮され
見合い結婚(今でもありますが、)が普通でした。
戦国時代などは、極端な話、赤ちゃんの時から
もう(人質に出される)結婚話が家同士で決まっているなんて事があったわけですが。
しかし
峯子と栄の結婚は、
必ずしも周囲に賛成されたのではなかったようです。
理由は、「栄と峯子の戦火のラブレター」を読んでいただくとして、
それでも、二人の意志は固く
結ばれます。
戦争という時代でなかったなら、
きっとそのまま、ずっと一緒に
仲睦まじく幸せな人生を送られたのでしょうね。
当人同士の意志が一番なのですが
昭和当時は特に「家」同士のつり合いなど考慮され
見合い結婚(今でもありますが、)が普通でした。
戦国時代などは、極端な話、赤ちゃんの時から
もう(人質に出される)結婚話が家同士で決まっているなんて事があったわけですが。
しかし
峯子と栄の結婚は、
必ずしも周囲に賛成されたのではなかったようです。
理由は、「栄と峯子の戦火のラブレター」を読んでいただくとして、
それでも、二人の意志は固く
結ばれます。
戦争という時代でなかったなら、
きっとそのまま、ずっと一緒に
仲睦まじく幸せな人生を送られたのでしょうね。
峯子さんの妹さんが、栄養の勉強?に東京に行くのですが
帰ってきたら代用食攻めでしょうとの記述があります。
代用食って、主食の米(白米)の代わりにカサを増やすのに
麦やら芋やら、大豆やら、大根も?交ぜたもののようです。
芋のツルとかカボチャとかね。
1939年(昭和14年)には
白米禁止令がでています(@0@);
食べものに関して命令が出るなんてちょっとびっくり。
かえって麦ご飯とか分搗き米の方がヘルシーだし、
今ならご飯よりシリアル食べるからい~わ、
なんて言われそうですけど。ww
帰ってきたら代用食攻めでしょうとの記述があります。
代用食って、主食の米(白米)の代わりにカサを増やすのに
麦やら芋やら、大豆やら、大根も?交ぜたもののようです。
芋のツルとかカボチャとかね。
1939年(昭和14年)には
白米禁止令がでています(@0@);
食べものに関して命令が出るなんてちょっとびっくり。
かえって麦ご飯とか分搗き米の方がヘルシーだし、
今ならご飯よりシリアル食べるからい~わ、
なんて言われそうですけど。ww
数通に1回は、俸給の話題が出てきます。
送ったものが届いたかどうかの確認が欲しいと
栄が言っているので、峯子は受け取るたびに額も記載しています。
昇進に伴って額が上がると
「今月は従前通りでしたが、よろしゅうございましたか?」
と確認のやりとりも結構あります。
軍人さんのお手当は、当時の一般人の給料より
随分と良かったのでしょう。
まあ、当然だと思いますけど。
峯子さんがアルバイト(?)のお勤めで
薄給33円とか言っていました。
栄が教師時代の俸給とボーナスで50余円くらいに比べ、
(たぶん少尉だと74~75円くらい)
中尉で84円15銭、大尉で93円22銭
年末賞与はもっとよくて100円以上支給があったようですので。
当時の郵便切手代が17年に郵便法改正で上がって5銭になったそうですから、
それを考え合わせると、今だったら、えーとどのくらいだ?
×1500倍くらい?
換算してみてください。
ということは、
送ったものが届いたかどうかの確認が欲しいと
栄が言っているので、峯子は受け取るたびに額も記載しています。
昇進に伴って額が上がると
「今月は従前通りでしたが、よろしゅうございましたか?」
と確認のやりとりも結構あります。
軍人さんのお手当は、当時の一般人の給料より
随分と良かったのでしょう。
まあ、当然だと思いますけど。
峯子さんがアルバイト(?)のお勤めで
薄給33円とか言っていました。
栄が教師時代の俸給とボーナスで50余円くらいに比べ、
(たぶん少尉だと74~75円くらい)
中尉で84円15銭、大尉で93円22銭
年末賞与はもっとよくて100円以上支給があったようですので。
当時の郵便切手代が17年に郵便法改正で上がって5銭になったそうですから、
それを考え合わせると、今だったら、えーとどのくらいだ?
×1500倍くらい?
換算してみてください。
ということは、
慰問品にたびたび入れてくれと催促のある
「辛いせんべい」
それから「タバコ」
タバコは兵士と付きもののようで、
ポケットには必ず一箱入っていたみたい?
手紙の中にも登場する
映画「五人の斥候兵」の1シーンに
慰問品のタバコが登場しています。
ゴールデンバットが人気銘柄のようで、
一番に吸うというのが、
いつ戦闘があるやもしれぬ兵士らしい選択。
でも、峯子は、
吸い過ぎ気味の栄の
健康を心配しています。
=== 一部引用 ===
峯子 00196
三谷のお父様も、
あんなにお好きでした煙草を止めておしまいになり
(中略)喘息のような不気味な咳は
もう一寸も出ないようになりました。
無理にとは申し兼ねますけれど、
貴方様もこの便りをお読みになってその気になって下されば、
貴方様のご健康の為にどんなに嬉しい事でしょうと存じます。
「辛いせんべい」
それから「タバコ」
タバコは兵士と付きもののようで、
ポケットには必ず一箱入っていたみたい?
手紙の中にも登場する
映画「五人の斥候兵」の1シーンに
慰問品のタバコが登場しています。
ゴールデンバットが人気銘柄のようで、
一番に吸うというのが、
いつ戦闘があるやもしれぬ兵士らしい選択。
でも、峯子は、
吸い過ぎ気味の栄の
健康を心配しています。
=== 一部引用 ===
峯子 00196
三谷のお父様も、
あんなにお好きでした煙草を止めておしまいになり
(中略)喘息のような不気味な咳は
もう一寸も出ないようになりました。
無理にとは申し兼ねますけれど、
貴方様もこの便りをお読みになってその気になって下されば、
貴方様のご健康の為にどんなに嬉しい事でしょうと存じます。
ラジオは、昭和の初期から10年代には
何軒かに1台はあったようで、
中流以上の家庭にはかなり普及していたらしい。
こんな感じのラジオだったかも。
峯子は、実家でも
ラヂオニ(ュ)ースの戦況放送を
良く聞いています。
新聞では、場所や隊の名前が伏せ字になっていることもあるようですが、
ラジオでは、どうやって放送していたんでしょうね~?
何軒かに1台はあったようで、
中流以上の家庭にはかなり普及していたらしい。
こんな感じのラジオだったかも。
峯子は、実家でも
ラヂオニ(ュ)ースの戦況放送を
良く聞いています。
新聞では、場所や隊の名前が伏せ字になっていることもあるようですが、
ラジオでは、どうやって放送していたんでしょうね~?
私の持っている戦争時代のイメージというのは、
君死にたもうなかれとか
戦後の困窮した耐乏生活とか
塗りつぶされた教科書だったらしいとか
外来語のカタカナは使ってはいけなかった窮屈な時代とか
たいしたものは無いんです。
それが、お手紙の中では、
ラヂオニュースとかタイプライターとかマイアミーとか、
カタカナ言葉(外来語)結構出てきて
「え? 使っちゃいけないんじゃなかったの?」
と一瞬戸惑いました。
よく考えてみれば、
栄のお手紙の頃の対戦相手というのは
「支那」でアメリカじゃなかったんです、まだ。
だから、その考えを当てはめて
漢字使えないことになったら・・・・・
日本語書けませんわねwwww
アホらしいこと。
ともかく、断片的な知識しかなかったことに
あらためて恥ずかしくなりました。
君死にたもうなかれとか
戦後の困窮した耐乏生活とか
塗りつぶされた教科書だったらしいとか
外来語のカタカナは使ってはいけなかった窮屈な時代とか
たいしたものは無いんです。
それが、お手紙の中では、
ラヂオニュースとかタイプライターとかマイアミーとか、
カタカナ言葉(外来語)結構出てきて
「え? 使っちゃいけないんじゃなかったの?」
と一瞬戸惑いました。
よく考えてみれば、
栄のお手紙の頃の対戦相手というのは
「支那」でアメリカじゃなかったんです、まだ。
だから、その考えを当てはめて
漢字使えないことになったら・・・・・
日本語書けませんわねwwww
アホらしいこと。
ともかく、断片的な知識しかなかったことに
あらためて恥ずかしくなりました。
昭和15年の年末から16年初頭のお手紙に、
「弾丸列車」の話題があります。
計画は14年に出来ていたもののようですが、
実際に測量等工事にかかって民間に知られるようになったのは
15年ぐらいのことらしい。
新幹線?って早とちりしましたが、
東三河のおおむねのコースは、この戦前の弾丸列車計画の時に
買収確保した所を通って新幹線ができたらしいですね。
豊橋駅が高架でなく唯一地上駅だという今朝の
東日に、弾丸列車の言葉が出てきてちょっとびっくり。
=== 峯子のお手紙(75)より 一部引用 ===
15年12/29 峯子
十カ年計画で下関から東京まで
東海道線に平行にもう一本鉄道線路が出来ます由。
内々で測量しておられます。
弾丸の様に早くて五カ所位停車するだけの弾丸列車とか?
ちょうどあの辺を通りますのよ。
「弾丸列車」の話題があります。
計画は14年に出来ていたもののようですが、
実際に測量等工事にかかって民間に知られるようになったのは
15年ぐらいのことらしい。
新幹線?って早とちりしましたが、
東三河のおおむねのコースは、この戦前の弾丸列車計画の時に
買収確保した所を通って新幹線ができたらしいですね。
豊橋駅が高架でなく唯一地上駅だという今朝の
東日に、弾丸列車の言葉が出てきてちょっとびっくり。
=== 峯子のお手紙(75)より 一部引用 ===
15年12/29 峯子
十カ年計画で下関から東京まで
東海道線に平行にもう一本鉄道線路が出来ます由。
内々で測量しておられます。
弾丸の様に早くて五カ所位停車するだけの弾丸列車とか?
ちょうどあの辺を通りますのよ。
現代ほどは音楽は溢れていませんでしたが、
女工さんたちも休日には映画や音楽を楽しんだようです。
当時の蓄音機はどんなんだったんでしょう?
こんなマークの会社の蓄音機だったかも。
峯子が聴いたのか、女工さんの宿舎から漏れ聴こえてきたのか
映画「人妻椿」(小島政二郎の小説・映画:作詞:高橋掬太郎 作曲:竹岡信幸)のレコードの話。
そして、歌詞にある佳子の気持ちに
自身をなぞらえています。
==
昭和13年7月 峯子の手紙より
明日は公休なので、蓄音器を遅くまでかけています。
いとしの妻よ泣くじゃ無い
例へ別れて住めばとて
仰ぐみ空に照る月は
西も東も同じ事
浮世の風よ吹くじゃ無い
巡り合うまで帰るまで
吹けば涙の白露に
濡れて傷付く紅椿
大好きなあの歌が微に聞こえて来ます。
人妻椿の佳子の様に、私も一弘を抱いて
健気に貴方様のお帰りをお待ちしています。
浮世の風よ、峯子達にも静にあれ。
女工さんたちも休日には映画や音楽を楽しんだようです。
当時の蓄音機はどんなんだったんでしょう?
こんなマークの会社の蓄音機だったかも。
峯子が聴いたのか、女工さんの宿舎から漏れ聴こえてきたのか
映画「人妻椿」(小島政二郎の小説・映画:作詞:高橋掬太郎 作曲:竹岡信幸)のレコードの話。
そして、歌詞にある佳子の気持ちに
自身をなぞらえています。
==
昭和13年7月 峯子の手紙より
明日は公休なので、蓄音器を遅くまでかけています。
いとしの妻よ泣くじゃ無い
例へ別れて住めばとて
仰ぐみ空に照る月は
西も東も同じ事
浮世の風よ吹くじゃ無い
巡り合うまで帰るまで
吹けば涙の白露に
濡れて傷付く紅椿
大好きなあの歌が微に聞こえて来ます。
人妻椿の佳子の様に、私も一弘を抱いて
健気に貴方様のお帰りをお待ちしています。
浮世の風よ、峯子達にも静にあれ。
戦地での栄の大きな楽しみのひとつは
長男:一弘くんの成長です。
出征した時はまだ半年ばかりの時で
おしゃべりもあんよもできない頃。
どんなに大きくなっただろうかと
たびたび、写真を送れと催促しています。
もちろん、最愛の妻、峯子の写真も。
当時のカメラは高級品ですから
今のように誰でも簡単に写せるような時代ではなく、
写真屋さんで撮って貰ったわけですが、
どのくらい代金がかかったのでしょうね。
峯子のわずかな俸給や小遣いでは、
結構懐具合が心配されるくらいだったのではないでしょうか。
長男:一弘くんの成長です。
出征した時はまだ半年ばかりの時で
おしゃべりもあんよもできない頃。
どんなに大きくなっただろうかと
たびたび、写真を送れと催促しています。
もちろん、最愛の妻、峯子の写真も。
当時のカメラは高級品ですから
今のように誰でも簡単に写せるような時代ではなく、
写真屋さんで撮って貰ったわけですが、
どのくらい代金がかかったのでしょうね。
峯子のわずかな俸給や小遣いでは、
結構懐具合が心配されるくらいだったのではないでしょうか。
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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。
「大場書簡を読み解く会」
senkanoloveletter@live.jp
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