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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
昭和17年1月18日の新愛知新聞に、
「静岡県の大場栄中隊長が、目覚ましい戦功たて負傷」
という記事が載ります。
峯子たち家族は、
静岡の大場とはいえ、音信不通の栄ではないかと
胸騒ぎもし、大変心配をします。
結局、静岡にも問い合わせをし、
記事の住所は間違いで、負傷したのは栄と分かります。
栄自らの知らせが届く2月初めまで
この間、傷の場所も具合も分からず
どんなに不安だった事でしょう。
峯子は、万が一の悲壮な覚悟もし、
栄の「傷み」も感じて
飛んで行って看病したいと書き送ります。





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峯子の寂しさ


















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17年の正月前後は、
二人の人生の中でもドラマのクライマックスシーンのひとつでしょう。
11月に送ったセーターのことで何度もやり取りをした年末、
恥ずかしい初夢を見た正月です。
峯子は、正月に一年の計をたてています。

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峯子  17年1月14日

昭和十七年元旦から、
峯子は五日に一通、お便り差上げる事に定めました。
一日から五日までに、暇を見て一通、
また十日までに一通というように。
書けないでしまったら、
次の五日間には二通と思っております。


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このころの話題といえば、子どものエピソードの他
正月明けて、知人や親戚の消息や勤務先や義弟の新兵の事など
比較的のどかな話題が続く中、
17年1月18日の新聞記事から一変し、
不安な気持ちのよぎる手紙になります。














何度も確認のやり取りの出てくる栄の俸給。
兵士の俸給は、月ごとに郵便局で受け取ります。
この払出通知票には、
1月の俸給で、93円22銭とありますから
中尉のころでしょうか?
戦場に出ると、危険手当みたいなのも付くのかなぁ?
払渡局名は三谷局になっています。
峯子は、栄が体を張っての報酬に感謝しながら
毎月三谷の郵便局まで受け取りに行ったのでしょう。

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払出通知票

名古屋城廓内名古屋師団経理部

一金 九十三円二十二銭 現金払

通信文 従軍者に対する
      一月分俸給


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俸給とは別に、
栄が送金したりすることもあったようです。








新暦の1月15日を小正月といい
大正月(1月1日)とは違った行事があったようです。
16年3月ですが、峯子の手紙に、
今日は、いわゆる「もちい」とか申しまして、
お祖母さまはお団子を丸めて
餅の花を指していらっしゃいます
。」
とありますので、
花餅のお飾りを作っていたようです。


栄は、郷里離れて迎える4回目の小正月に
「もちい」とは懐かしい、と言っています。








飛騨高山では
峯子の手紙に、
職場の三谷小学校の改築工事の話が出てきます。

===一部引用===
峯子 17年1月14日

三谷校の校舎の材料がやっと整い、
本日、棟上げでお餅投げがございました。
階上階下共で十四教室でございます。
出来上りましたら、さぞすばらしい事でございましょうと、
今から期待いたしております。


====

棟上げの餅投げは、
今でも蒲郡市内でよく見られます。




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当時の社会








年末年始は、
祝い事や忘新年会などで酒席も多いと思いますが、
栄は酒が強い?
戦地ではさほど飲めないと思うのですが、
それでも本部にいる時などの正月には
お酒の配給もあったようですね。

===一部引用===
栄 16年2月

俺は酒は強いから
三本や四本呑まなければいい気持ちにならない。
土曜日の晩だけでもいい。
帰ったら気持よく飲まして貰うが、
喜んでお酌すると言っているが、
今まで一度もお酌した事もなかったお前が
果して出来るか。


====

この手紙に呼応する峯子の手紙があります。
土曜日の晩酌のできるような農作業をしながらの平和で温かい家庭
ささやかな夢の生活が訪れる日を
二人で楽しみにしています。












17年の1月、3ヶ月後の新学期から
幼稚園に通うことになる一弘君です。

===一部引用===
峯子17年1月

幼稚園に希望を持たせるべく、
折にふれては語り聞かせました所、
この頃は自分でも時々幼稚園の話をいたします。
先日等は「嬉しいなあ。僕もう直ぐ幼稚園へ行けるから」
と申していました。


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子どものエピソード















このブログも、2010年8月に書き始めてから
丸1年半、
10月7日からの毎日更新の連続記録からも
栄のサイパン島での戦い512日を裕に超え
記事数550を数えます。

そろそろ、毎日更新は厳しくなってまいりましたので、
マイペースで記事アップをしていこうかと
思っております。
峯子の手紙の頻度くらい書けると良いのですが・・・・

記事はアトランダムに並べておりますので、
初めての方は、カテゴリー別に読んでいただくと、
読みやすいかもしれません。

思い出の場所など
当時の社会
戦地の状況
栄の人柄・好み
峯子の寂しさ
子どものエピソード
読み解く会活動
作業の裏話
等のカテゴリーに分けています。
(左フレームにあります)

また、左フレームカテゴリー・コメントの下にある
白い枠で、ブログ内検索ができます。
キーワードを入れてみるのも
また面白うございますと思います(峯子調)。








寒中お見舞い申し上げます。
峯子 15年1月の時候の挨拶
===一部引用===

今日もまた、
灰色の空から冷たい粉雪がチラチラ降っております。
寒に入ってからめっきり寒さが厳しくなりました。
戦線のお寒さはひとしお肌をさす事と存じ、
ご労苦の程ご察し申し上げます。


====

「寒」(かん)は、二十四節季の
小寒から大寒までの約15日間と、
大寒から節分(立春の前日)までの約15日間の合計約30日間を、
1年で最も寒い時期ということで、
「寒(かん)」と呼んでいます。
この季節になることを「寒の入り(かんのいり)」といい、
小寒の日がその「寒の入り」になります。
2012年は1月6日でした。


冬の嫌いな栄は、
厳寒の戦線
春を待ち望んでいました。









昨日記事に書いた15年1月8日付けの峯子の手紙に、
米について記述された部分がありました。

===一部引用===
峯子 15年1月8日

一昨日発動機をお頼みして籾を曳いて頂きました。
今年は日照り続きで、
全収穫が昨年に比して十俵程少うございました。
それでも米の値上りで、金額に於ては大差ないそうでございます。
四十余俵を二時間で仕上げてしまいましたので、
本当に疲れて今日もまだ体の節々が痛みます。


======

2割方、米が値上りしたようですね。
国は、目減りを防ぎ脚気予防のため、白米禁止令も出します。
これ以降、どんどん食糧・物資不足になり
主な食料も、配給制度になります。









15年の正月、松の内の明けた8日の峯子の手紙には、
14年暮れに負った栄戦傷の知らせが、妹の挙式の朝に届き
動揺の中にも浅い傷でホッとした様子が書かれています。
台所で包丁さばきをあやまって指先に怪我したときにさえ痛むのに、
どんなにか、、、、と栄の痛みを思い遣ります。
新婚の幸せそうな妹夫婦を前に、
栄を看病できない辛さやもどかしい思いを

楽しい思い出が、
日の古につれてあせて行くのが淋しゅうございます。
余り遠い人なので、
面影すらも忘れてしまいそうで、尚更淋しい! 
お目にかかりたい!


と、恋しく背の君さまへと綴っています。



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「峯子の寂しさ















七草粥、食べられましたか?
1月7日の朝に食べる日本の行事食(料理)です。
春の七草や餅などを具材とする塩味の粥で、
その一年の無病息災を願って食べられます。
祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われるようです。
セリ、ナズナ、ゴ(オ)ギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ
これぞ七種

今では、スーパーでセットされて売ってますが、
当時は野にでて摘んだでしょうか?










昨年、蒲郡の主な出来事のひとつとして、
蒲郡新聞12月28日号に
大場栄と峯子の戦火のラブレター」出版が
数えられていました。
2月の欄に、知事選などと並んで
一番上段に掲載されています。


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マスコミ記事







峯子は、
オーバーコートを外套(がいとう)と言っていましたね。
一弘を連れて外出する時は、外套を着ていきます。
栄は、君は外套を持っていたかね?と
心配しています。

===一部引用===
峯子 16年12月

一弘ちゃんの外套の事、
先便で御心配下さいまして、有難うございます。
一昨年の冬、髪置きの祝いに、
純毛の少し大きい目のオーバーを、
三谷で買って頂きましたのが、
今年はちょうどようございますので、外出着にしています。
色は明るい灰色で胸にイカリの飾りがあり、
衿は黒い毛皮が付いていて、
一弘ちゃんではない様に可愛く見えます。


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一弘君の従妹たち(栄の妹)には、
峯子手作りのコートを仕立てて
プレゼントしています。







お正月三が日も終わりました。
お雑煮やおせち料理をいただきましたか。
伝統行事が続きますね。
1月は、ちょっと思いつくだけでも
お正月に松飾り、七草がゆ、鏡開き、成人式、どんど焼き、
寒の入り、大寒、小正月、など
列記できます。
それぞれ、独特の料理などで
季節の節目を祝いますね。

歴史文化の多様な島国、ニッポンです。
その時々に合わせてアレンジされたものもあるでしょうが、
由来など知ると、
なるほど、と納得することもよくあります。
生活様式もさまざまに選べる現代ですが、
お正月だけは、新たな気持ちになります。
文化の多様さ、伝統を、つづく平和の時代、
日本の誇りにしたいと思います。

栄達、国を背負って最後まで闘った日本兵の、
不利な立場になっても
日本人としての誇りを捨てずに生きた人々が
大切にした国ですから。
今、「大場栄と峯子の戦火のラブレター」を読み返してみて
崇高な精神を感じますね。

17年正月2日の峯子の手紙です。
===一部引用===

餅米の配給を受け、
家内中で美味しいお雑煮を祝い、
九時全国奉祝の時間に宮城遥拝をなし、
日本国民として生を受けた事の幸せを
沁みじみと感謝いたしました。


====

餅米の配給があったのですね。
13年ごろから、物資の不足の為綿糸をはじめ
15年には砂糖とマッチ、綿糸配給統制で
その後、主食である米穀・小麦粉、みそ・しょうゆなど
基本食料が配給制度になります。
(参考:配給制度

お雑煮は召しあがられましたでしょうか?











17年の元旦の夜、峯子は初夢を見ます。

===一部引用===

今朝明け方、
貴方様に夢でお目にかかりました。
初夢よ! 
とてもとても嬉しく楽しい夢でございました。
でも申し上げられないわ。
だって恥かしいんですもの・・・・
今年の中に夢で見たような生活が、
峯子の上に訪れる様な予感がして、
今日は朝からとても朗らかでございます。


=====

恥ずかしい夢の内容を聞きたいものですがwww
峯子はよく栄の夢を見ています。
栄の夢の朝は、
ウキウキ気分のようですね(^-^)♪


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峯子の寂しさ


しかし、一方









16年、
栄は出征して4回目の正月を迎えます。

===一部引用===

いよいよ皇紀二千六百年を送り、
茲に光栄ある新春を迎える事になりました。
我々にとってはその後四回目の新春に当る訳ですが、
共に元気でこの新年を迎え得る事は誠に嬉しく存じます。


====

峯子は、学校の展覧会で
♪年の初めのためしとて・・・♪
と歌います。


皆さまにも、幸多い年になりますように。







栄も峯子も筆まめな方たちです。
14年の年末、隊を移動する栄が
荷物の整理をしているとき、
綴じた手紙のことを書いています。

===一部引用===
栄14年 12月年末
峯子から来た手紙でも相当ありますからね。
過日表紙をつけて整理しましたら、
無筆なお前だからいくらも無いと思っていたが、
それでも厚さ一寸位あります。
時々前のからくり返して読んで見ますが、
味があってなかなか面白いです。
僕の分は、もう一尺位あると思いますが、如何ですか。


====

「僕のはもう1尺」は冗談だと思いますが、
栄は自分の方が沢山出している
という気持ちだったのでしょう。
愛情の尺度? www)
「無筆」と言われていますが、なんのなんの
峯子も随分書いています
文中の「一寸」(約3センチ)という厚さは
13年秋に出征して14年12月まで1年チョット分です。
15年末には二寸になり
峯子の手紙ファイルは、その後も2冊に増え
最終的には10センチ近くの厚みになって発見されています。

愛情深いお二人の仲睦まじさに感嘆します。

歴史に残る2011年ももう終わります。
記憶に残る出来事が多々ありました。
よいお年をお迎えください。















15年、栄は戦地にいて
便りを待ちわびています。
当時の郵便事情では、
かなり遅れたこともあったようです。
便りの届かない理由を想像するも、
多忙にまぎれているだろうからとか、
故障の多かった峯子が病気ではないか、
それとも???と
心配する栄です。

==一部引用===
栄 15年12月30日

多忙に取まぎれて学期末から書初めの準備と、
仕事に追われてつい無音に過ごしている事とは思うが、
しかし何か変った事があった様でしたら、
早速通知願たい。


====

ありのままに知らせよとは言われても、
峯子は、
悪い知らせで心配をかけては
士気が下がると、
筆をためらっています。






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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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