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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」


名古屋での試写会が本日行われます。
大場家の方々も行かれるそうです。

同名のブックスも発売されています。

ご覧になった方は、また感想など
教えてくださいね。
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愈々(いよいよ)です(栄調www)

2月12日(土) 午後1時~午後6時
  13日(日) 午前9時~午後6時
蒲郡勤労福祉会館 3F 大研修室にて
入場無料

大場栄がよく分かる!
峯子とのラブレターに込められた
愛のメッセージとドラマティックな生涯を想う

両日とも午後2時より1時間程度、
「大場書簡を読み解く会」からのお話・説明を予定しています。

【重要】
駐車場が狭い(駅前の駐車場もやや狭い)ので、
公共交通機関のご利用をお願いいたします
蒲郡駅から北へ徒歩5分(もかからないと思う)。

以前にお知らせした時間と少し変わっていますので
ご注意ください。

長男一弘がもうすぐ幼稚園に行こうかという夏、
毎日、蝉取り遊びです。
アブラゼミやクマゼミでしょうか。
大分、腕をあげました」と峯子は自慢しています。
そして続けて、
自分の幼少の時には蝉は捕った覚えはないから
きっとあなた様の遺伝でしょう

とも書いています。

きっと、栄の小さいころも
蝉取りして遊んだのでしょうね。
15年の秋ごろと思われる峯子の手紙に
精神総動員(短くして精動)」という言葉が出てきます。
戦地で苦労をしている兵士たちを思い
華美を避けるのがねらいのようで、
あまりケバケバしい服装をしていると、
精動の方が注意のカードをつきつけるそうでございます
。」
昼間からのアルコールや、芸者の日本髪も禁止だったとか。



銃後の暮らし
お勤めを終えて、
知り合いの兵士が無事帰還してきますと、
最寄りの駅まで出迎えたり、
戦地の様子はどうだったか
話を聞きに家まで行ったりしたようです。
そういった情報は、
役場でアルバイトをしていたり
父が役場勤めだったりしていますから
結構早くから知っていたでしょう。

でも、
いそいそ嬉しそうに出迎える兵の家族と裏腹に
峯子は
帰っていらっしゃるのがあなただったら・・・
と、つい軍人の妻らしからぬ思いを抱いてしまいます。
もちろん、
口には出さなかったでしょうが、
お手紙では、ポロリと本音を吐いてしまうのです。

大場栄と峯子の戦火のラブレター」こんな感じになります。
hyousi
イメージは、峯子さんの後ろ姿
赤ちゃんをおんぶして、お手紙を持っています。
そして思い出の蜜柑の木

裏表紙は、
蜜柑の花に、
栄さんのお手紙(一部)

書店で探すときの参考になりましたら・・・

女性のおしゃれな髪型のひとつ
パーマネントのことを、当時は電髪と呼んでいました。
チリチリのカールですが、
もう少し大人しいウェーブをつけて
毛先だけクルクルするのは、淑髪とも言ったようです。
美しい女優さん達の美しいウェーブの髪は
女性のあこがれだったでしょう。
峯子も、晴れの帰還の節には
美しくなってお出迎えしたいと言っています。
だって、お見せしたいのはあなただけって
もう、ホントにぃwww

坊やが幼稚園に上がる頃、
兵隊ごっこは男の子の日常の遊びでした。
従兄と、おもちゃの刀を振り回しています。
はずみで転んだ時にも
「隊長、転んでしまった」と、
バツの悪そうに、はにかみながら立ち上がる様子を
「かわいいでしょう」と
峯子は書いています。

当時は、大きくなったら
兵隊さんになる、というのが
子ども心にも刻まれていたのだと思います。
どんぶらこ、と桃は流れてきませんが、
川でお洗濯していたようですね。
近くの川なのでしょう、
歩き始めたばかりの坊やを連れて、
洗濯をしていると、
水に入りたがっているので、
入れてやりますと、
ザブザブと入って行って
びっくりした、というようなエピソードがあります。
その続きもあって面白いんですけどね。
「栄と峯子の戦火のラブレター展」
2月12日(土) 午後1時~午後6時
  13日(日) 午前9時~午後6時
蒲郡勤労福祉会館 3F 大研修室にて
入場無料

大場栄がよく分かる!
峯子とのラブレターに込められた
愛のメッセージとドラマティックな生涯を想う

両日とも午後2時より1時間程度、
「大場書簡を読み解く会」からのお話・説明を予定しています。
17年秋になって、戦地の状況も落ち着き
家族を呼び寄せられる環境になると、
栄は満洲海城の家族官舎に、峯子と一弘を呼び寄せます。
じゃあ、やっと親子3人水入らずで暮らせるようになって
良かった、良かった・・・・
??筈なのに、なぜか18年と思われる手紙があるのは・・・???

栄は、本部付きになっても
出張や警備があったのか、
かなり家族官舎からは隔たった辺境地にも?
たびたび行っていたと思われます。
当番兵が行き来して手紙等持ってきていたようです。
遠方の赴任地から、非番に峯子たちの元に帰れず、
「もう次まで待っておれんから、こっちまで来いっ」
という熱い「ラブレター」が残っています。

そういう状況が理解できたのは、
手紙の「翻訳」し始めて
随分時間が経ってからですので、
何で?? と思うことがいっぱいありました。


靴の材料になる革が不足してくると
高騰してきて、内地ではなかなか靴が買えません。
そこで、下駄や草履を奨励するようになったんだそうで、
峯子の父は、職場の役場まで
ゲタでポクポク通うようになります。

しかし、帰って来る時によく
下駄を取り違えてしまうんだとか。
しかも、
そのたび古くなるのが、不思議だ
と、首をかしげる父に、
峯子は母と笑っていたんですって。

また、大陸の方が靴が安いらしいと聞き
峯子は、息子のお土産に買ってくださるんでしたら、
足のサイズはいくつのをお願いしますとおねだりしています。
大場栄大尉を偲ぶ会で、
ご応募いただいた「太平洋の奇跡」試写会の抽せん会が、
本日行われます。
ハガキを出された方には、明日以降の連絡になると思います。
2月7日 18:30~
ユナイテッドシネマです。
幸運を手にされた方々、
鑑賞後の感想をぜひ教えてくださいね。
ロードショーは、2月11日から、全国で上映されます。

三谷温泉の老舗として、乃木山に
白壁もまぶしい富貴貫(ふきぬき)ホテルができ、
峯子も、すばらしいホテルに泊まってみたいと
おねだりしています。
16年夏、栄の一時帰国には
その夢もかなったようです。


昭和14年の創業当初は、水車風呂など話題を呼び、
バブルの時代には増築し、巨大な観光名所・高級ホテルとして
関東・関西からの観光客で賑わったそうです。
しかし、
平成10年、30数億という多額の負債をかかえ倒産し、
現在は別の施設として一部利用され、
向かい側に「ふきぬき」と刻印された大石が残されています。
峯子には、二人の妹があります。
峯子が栄の出征を見送って、
数年のうちに二人とも、良縁があり嫁ぎます。
特に末の妹には、時節柄華美を慎む時代だったにも拘らず
両親はかなり豪華に嫁入り支度をしています。
峯子は自分の時と比べ、傍目で羨ましくもあったことでしょう。
栄への手紙の中で、
何度か、「恋人時代の蒲郡海岸からやり直しましょう」と
書いています。
栄も、その心を察して、
「なんなら結婚式も盛大にやりましょうか」
と応えています。
優しい一言だと思います。



栄は、
昭和9年に徴兵され
豊橋歩兵第十八連隊に配属されました。
昭和10年12月、甲種幹部候補生。
昭和12年12月、少尉となります。
昭和13年4月には、特志将校となり、
昭和14年8月、中尉に昇進。
昭和16年11月、歩兵第18連隊中隊長に就任、200名の命を預かります。
昭和17年より満洲警備につき、
昭和18年3月、歩兵隊では最上階級の大尉に進級。

お手紙は終わっていますが、以後
昭和19年2月、歩兵第十八連隊衛生隊長となり、サイパン島へ。
昭和20年8月7日死亡通知が届きます。
 同年9月30日、死後少佐に特進されましたが、
その後、生存が確認されて取り消しとなっています。
サイパンでの活躍は、映画「太平洋の奇跡」をご覧ください。

二人の「記念日」は、いくつかあります。
そのひとつ、七夕様

栄が一時帰国した16年7月7日、
3年9か月ぶりのお帰りを
峯子は名古屋まで出迎えています。
後に、出張で峯子が名古屋に出かけた時、
偶然、その出迎えた時に歩いた街角で
その時のことを思い出します。
(笹島辺りでしょうか? 納屋橋でしょうか?)
もちろん、栄も
峯子の髪形まで覚えているほど
再会のシーンは、深く記憶に刻まれていました。
この時は、1カ月ほどの帰宅で
離別の間、子どもの成長や社会の変り様で
「ハトが豆鉄砲」状態で過ごしてしまったとかww
峯子も「あなた」と呼ぶのに、
恥ずかしさの為しばらく時間がかかったとか
書いています。

でも、一時帰国の許された期間は、
あっという間に過ぎ
再度の離別の寂しさが訪れます。

昭和12年から始まった日中戦争は、
広い中国大陸の各地で長期間にわたっていて、
大きな戦いには名称がついています。
大場栄の豊橋十八連隊は、その第一線で戦い
激しい戦闘の中で大きな軍功をたてています。

内地日本では、戦況ニュースを新聞・ラジオで流しています。
峯子たち家族はそれを聞き、
心配もしながら、勝利を喜びあいます。
大きな都市が陥落すると、
地元では
神社巡りで万歳をしたり、提灯行列を出して祝ったそうです。
「結婚」は
当人同士の意志が一番なのですが
昭和当時は特に「家」同士のつり合いなど考慮され
見合い結婚(今でもありますが、)が普通でした。
戦国時代などは、極端な話、赤ちゃんの時から
もう(人質に出される)結婚話が家同士で決まっているなんて事があったわけですが。
しかし
峯子と栄の結婚は、
必ずしも周囲に賛成されたのではなかったようです。
理由は、「栄と峯子の戦火のラブレター」を読んでいただくとして、
それでも、二人の意志は固く
結ばれます。
戦争という時代でなかったなら、
きっとそのまま、ずっと一緒に
仲睦まじく幸せな人生を送られたのでしょうね。
●本日、完成披露ジャパンプレミアが東京にて開催されます。
大場家の方々も行かれるそうです。
全国ロードショーもあと1カ月、
沢山の方に、感銘を与えることになると確信しています。

原作の「タッポーチョ」復刻されるとか。
こちらも、期待。
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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

「大場書簡を読み解く会」
senkanoloveletter@live.jp
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