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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
今朝は激しい雨になりました。

栄に召集礼状が届いた日も、
きっとこんな雨だったのでしょう。
雨の日は
15年10月10日、になって
3年前のあの日、二人の別れ始まりを思い出し、
雨は嫌い、と
峯子は言っています。








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潮干狩りシーズンです。
竹島海岸では、潮が引く大潮には
歩いて竹島まで渡れるほどで、
広がる浅瀬は、
貝より多いかと思われるほどの人出でにぎわいます。


竹島海岸は、当時から潮干狩りもしていたでしょう。
峯子と栄にとっては、
思い出の紀元節竹島海岸
恋人時代の始まりの記念日だったのですけれどね。


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思い出の場所など






日本人は桜が好きですね。
ソメイヨシノが代表的な「日本の桜」って気がしますが、
峯子の桜は八重桜?
塩漬けにして栄に送ります。
===一部転載===
峯子 17年3月21日
八重桜を塩漬けにいたしてみました。
一輪を白い湯飲みに入れて、
上から熱湯をお注ぎ下さいませ。
萎れた様な桜が、満開の八重桜となり、
故郷の・・・・・五号の八重桜
きっと偲ばせてくれる事と存じます。
花の便りを通じて
峯子の真心を思い起して下さいますれば、
こよなき幸せと存じます。


====

でも、栄は
薄めすぎたり、冷め過ぎたりて、
どうもうまく
桜茶を飲めなかったようです・・・・
また、やってみる、と書いていますが。

でも、
桜茶なんて風流ですね。
17年ごろは、
今年は、寒い冬のせいか
桜の開花が遅れています。
ちょうど入学式の頃が見ごろになるかしら??
峯子は、思い出深い五号の桜についても、
こんなことを言っています。

===一部引用===
峯子 14年3月29日
五号の桜は主不在でも、
今年の春も美しく八重に咲く事でしょう。
峯子も一弘もまだ一度も
花盛りを見た事はございません。


====
よほど桜に嫌われていたと、
言うほど我が家の春を待ち侘びるのです。
峯子は、春の好きな栄
郷土の香りがしませんか?と
桜の押し花桜茶を送っています。




4月になりました。
新学期が始まります。
栄は、御津(現豊川市内)や吉田方(豊橋市)で、
峯子も三谷(当時宝飯郡、現蒲郡市)で、
教師をしていましたから、
新学期の始まる4月は、
新入生を迎える準備や未来への希望で
身も引き締まる時期でしたでしょう。



すべての意識が、戦争に向かっている社会。
当時は、軍隊式に統制されていたとはいえ、
16年当時には
ささやかな市民の楽しみはあったようです。
でも、酒を飲む兄の事を峯子は愚痴をこぼしています。

======
峯子 16年4月27日
兄もこの頃は、益々酒好きになり、
日が暮れてから深夜まで家にいることは殆どございません。
こんなの典型的な非国民ね。


=====

まあ、冗談のような口ぶりですが、
少々のことは大目に見られていたのでしょう。
お酒については、
栄は帰ったら、
土曜の夜くらいは峯子のお酌で飲みたい
温かい家庭での暮らしを描き希望を語っています。













毎月19日は、子育ての日
ということに、愛知県ではなりました。
育児のいくだからってゴロ合わせですね。(^^;)

峯子の子育て中には、
行政の支援は無かったかもしれませんが、
親や家族や地域が一緒になって、子どもをはぐぐむ環境があって、
今のように核家族化した時代とは違って
一人悩むということは無かったでしょう。

でも、峯子は父親不在の淋しさ
子どもの成長を喜びながら
乗り越えていたのでしょう。
手紙の中に、
「母」としての峯子の成長も見えます。





太平洋戦争の終戦直前
徴兵され家族と離れて出兵せざるを得ない状況下、
兵を送りだす家族の心情は、複雑です。
国の為にという大義名分で
自分の不安や寂しさは
覆い隠して過ごしていた方が多かったでしょう。
「国の為」が最優先で、
異を唱えれば、「非国民」と蔑視される世の中だったのですから。

そんな時代でも、
「大場栄と峯子の戦火のラブレター」に収録されたものを見ると、
峯子は、随分と率直です。
栄の手紙の中でも、
人間としてあたりまえな感情が
僅かですが吐露されている部分もあります。
手紙を通して
離れているからこそ、の
絆が生まれているようです。
このような絆は、
栄と峯子だけでなく
多くの若い兵士たちやその家族にも
見られたことと思います。




当時の兵隊さんは、身分証明書として
軍隊手帳を持っていました。
入隊、配属、除隊等の記録をしたもので、
履歴書にもあたるのでしょう。
冒頭には「勅語」として
軍隊の心得のような事が朱で記述されています。


この軍隊手帳は、
今日はホワイトデーということで、
クッキーをいただき(同性からですが)気を良くしています。


峯子の手紙の中で、
夢の中の話ですが、
友達と映画を見に行って、、、という部分で、
「同性の友達」と書く所、
「同姓」と綴って栄に間違いを指摘されていました。
本には掲載されていませんが、
このやり取りで、お手紙の出された時期が分かって
記憶に残っている部分です。
峯子は、よく夢を見ていました。
また、映画好きで、栄とデートもしたことでしょう。








このところ、雨降りが続いています。
でも、さほど寒く感じないのは、
春の雨だからでしょうか?
作物には慈雨。
菜の花の蕾もあがってきました。

栄も、峯子も
菜の花や桜の春を
待ち遠しく望んでいました
春はもうすぐ。
峯子は、なかなか帰らない栄を
季節の春は巡ってきても
我が家の春」はいつ?と
何度も書き、
家族のそろうことを待ち侘びていました。






まだ水の冷たいうちから
一弘君は、貝とりを楽しみにしています。
三谷や竹島海岸では
潮干狩りと言えば、大方アサリですが、
五号では、シジミもあったのでしょうか?

===一部引用===

峯子 16年3月2日

一ちゃんは時々思い出した様に
「お母ちゃん暖かくなったら五号へ貝々取りに行きましょうね」
と申します。
その希望も、春休みには入れてやりたく存じます。
でも海水に浸るのは、まだ冷たくて無理かしら。


====
昨日は4年に一度のうるう年の2月29日。
それに、10年に一度(?)の
惑星が一同に会するチャンスということで、
夜空を見るはずだったのですが、
ちょっと雲多くて、今夜に期待。


希有なできごとは、たくさんあるのでしょうが、
大場栄さんの人生はドラマティックで
砂浜に光る宝石のように輝きます。
数々の戦傷から蘇り
撃沈された軍艦からも脱出し
激戦のサイパンでも生き残ります。
幸運の女神は、栄とともにあるかのようです。









栄たちを乗せた崎戸丸
太平洋沖で撃沈されるのは、
19年2月28日。
船上では、大混乱を極めたでしょう。
救い出されるまでの重油漂う洋上での一昼夜、
僅かの兵が生死の淵から這い上がります。
当時の状況はこちらに詳しく書かれています。
次世代への橋渡し 海没した歩兵第18連隊









峯子が、栄の電報を受け取って
海城についた19年2月23日、
官舎の方たちから留守の間の様子を聞き
白々と夜が明けるまで悲しみに暮れます。

===一部引用===
峯子最後の手紙より

官舎の皆々様から留守中の御話を伺い、
申しわけ無さにさぞお淋しかったでしょうにと
一晩中泣き明かしました。
ペーチカの火も消えて、
ヒシヒシと身を刺す満州の厳寒の余りの冷たさに、
夜の白む頃やっと気を取り戻し、
子どもの為強くなろうと故郷の氏神様にお誓い致しました。


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峯子の寂しさ







以前、栄の勤めていた思い出深い豊川の御津南小に
米国から送られた青い目の人形の話題
描きましたが、
今回、新城と幸田に保存されている人形が
海を渡ってアメリカの展示会に出品されるそうです。
東日新聞2012.2/21より

昭和初期のころに送られてきた12,000体もの人形ですが、
現存するのは、愛知県でも9体しかないそうです。








===一部引用===
栄 17年2月

寒いといってもすでに二月の事。
間も無く春が来る事と思う。
何分我々の居る所は、楊子江-岸に近く平坦地に□するので、
昔の山の中と異って春の来るのも一足早い事と信ずる。
毎年菜の花が黄色に咲くので、
今年も早く花が咲かないかとそれのみ待っている。


====

【注】 手紙文中□は、判読不明

春の花を思い浮かべ
春を待ちわびる栄です。





栄達18連隊が、
厳寒の満洲から新たなる戦場・南方への任地に向かったのは、
昭和19年2月20日ごろ(?)。
この時、まだ歩兵たちは目的地を知らされていませんでした。
しかし、太平洋戦争が激化する中、
日本軍最後の砦となる南方へ向かうことは
うすうす感じていたでしょう。
将校には知らされていたかもしれません。

栄が満洲海城を出る時、
峯子は、第二子出産の為里帰りしていたようで、
栄の見送りができませんでした。
峯子は16日に受け取った電報で知り
あわてて海城に向かいますが隊は出立したあと。
そのことを峯子はずいぶん悔んでいたようです。
本当の最後の手紙より)


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戦地の状況












今年のブルーリボン賞 主演男優賞に輝いたのは
『太平洋の奇跡』の竹野内豊さん。
おめでとうございます。
うれしいですね。
栄さんたち、日本兵の誇りを胸に演じたという竹野内さんですので
きっと、その意気込みが通じたのでしょう。
記憶にも、記録にも残る映画となりました。

このブログでも“映画「太平洋の奇跡」”カテゴリー
いくつか記事を書いていますので、ご参考までに。





昨年2011年の2月11日は、「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」全国一斉ロードショーでした。
栄と峯子にとっては、
思い出の紀元節ですね。
恋人時代、沖の白帆を数えた蒲郡海岸での思い出は、
甘美に蘇り、
帰っていらしたら恋人時代からやり直しましょうという
スタートラインになる日でした。


しかし、この符合は
何かしらの縁を感じますね。













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HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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