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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。

明後日の8月20日土曜日チャンネル4 午前9:30~10:25、
テレビ信州のドキュメンタリー
『チャンネル4』という番組でサイパン生き残りの
特集が組まれ、
大場栄さんの事にも触れられるようです。
「太平洋の奇跡」といわれて
~いま語る“玉砕の島”からの生還~

というタイトルになるそうです。
信州テレビ圏内の方、是非ご覧くださいね。
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17年8月の峯子の手紙

===一部引用===

今宵、学校で納涼映写会がございますので、
一弘ちゃんを涼みがてら連れて参ろうと存じます。


====

校庭にスクリーンを作ったのでしょう。
どんな映画が上映されたのか
分かりませんが、
きっと、夏休みの子ども向けのものだったのかしら?
それとも娯楽映画かしら?
映画好きの峯子ですから、
峯子も嬉しかったでしょう。
posta-1
前にもご紹介
しましたが、
劇場での感動をもう一度味わいたい方にどうぞ。
「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」DVD&ブル-レイとも
本日発売!

太平洋の奇跡

蛇足ですが、
この映画は栄のサイパンでの活躍を描いたものです。
ですから、峯子とのお手紙の話は出てきません。
「大場栄と峯子の戦火のラブレター」は、
サイパンに渡る前の日中戦争時代に書かれたものなのです。
映画化の中で、二人の膨大な手紙が発見されたわけです。
アンビリバボーをご覧になれば、そのいきさつもよくお分かりの事と思いますが、
時に、時代がごっちゃになって、
映画(「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」)に手紙が出てこない、
とおっしゃられる方もおられるようなので、、、、

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映画「太平洋の奇跡」





旧暦の八月十五日という日は
秋の真ん中の月の真ん中の日、
つまり秋全体の真ん中の日と考え、
この日のことを特別に「中秋」と言うことがあります。
旧暦の日付は空の月の満ち欠けの具合によく対応します。
15日の夜の月は必ず満月か満月に近い丸い月が見えたことでしょう。

栄も峯子もロマンチック
月を見ながら、
お互いに「月を見てるかい?
月の面に峯子が写っていませんかの?」と
満月の空を見上げています。

昔から満月の「十五夜」だけでなく、
16日の月を「十六夜(いざよい)」と、
呼び名は毎日変わります。
17日の月は「立待月(たちまちづき)」、
さらに次の日は「居待月(いまちづき)」、
またさらにその次の日は「寝待月(ねまちづき)」と呼びます。
月が出てくる時間は日に日に遅くなるので、
十六夜の次の日は“立って”待ち、次は“座って”待ち、
“寝て”、名月を待つという呼び名があるくらい
名月を楽しんだのですね。


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手紙内容チョットだけよ
「大場栄と峯子の戦火のラブレター」は、
蒲郡で豊橋でと開催しましたが、
来月は豊川でもパネル展の開催を予定しています。
御津ハートフルホールにて
9月15日(木)~9月25日(日)
入場無料(と思います)
どうぞお出かけください。
なお、19日には、
戦火のラブレターを題材とした朗読劇もあります。


この他
年末に、豊橋市内での展示会も準備中です。
8月15日を終戦記念日、、、と思っていますが、
国際的な「終戦の日」は、9月2日とか3日なんですって。
それ何の日?ですよね?
(エ?ワタシダケ?)

実は、
8月15日は「戦争が終結することをラジオ放送で国民に知らせた日」であって、
9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で
日本政府及び軍代表が降伏文書に署名した時を持って
『太平洋戦争は終了』としているからです。
アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、
9月2日を対日勝戦記念日(VJデー)と呼んでいるそうです。
ソビエト連邦(現ロシア連邦)や、中華民国(現台湾)と中華人民共和国のように、
9月3日を「終戦の日」とする国家もあるというのです。
国により、日本に対し戦勝したとする記念日は
いろいろ違うのですね。

高等学校日本史教科書の多くは、
終戦の日を9月2日としているそうですが
・・・・記憶にない・・・・・レキシオンチ。(>◇<);


でも、
一時帰国の後の子どもの成長ぶりには、
峯子も驚いています。
父としての栄」の存在が大きかったのでしょう。

===一部引用===
峯子 16年8月14日

是は少し言いわけになりますけれど、
御在郷当時、取りわけ一弘ちゃんが甘えましたのは
久々の御目もじで恥ずかしさを子供心にも感じ、
その気持を紛らす為に、なおさら甘えました事と存じます。
でございますから、
この頃は一人でとてもよく遊べる様になりました。
この頃は御目覺めにも眠るにも絶対に泣きはいたしません。
お顔も一人で洗います。
お布団をのべれば
一人で枕を探して「お休みなさい」と
お写真に御挨拶して休みます。


====

「父」の存在感が子どもの成長に大きく影響したと
感じるお手紙です。
一弘君が8カ月の時に、栄は出征したので、
5歳になるまで、父親は
「毎朝、手を合わせる写真の人」だったことでしょう。
しかし一時帰国
父親像がしっかり刻まれます。

===一部引用===
峯子 16年8月

お父様のお顔を知らなかった一弘ちゃんにも
しっかりと覚え込ませ、
尊敬と小さい誇りとを得させた事は
本当に大きな喜びだと存じます。
あれ以来、御教訓が幼いながら身にしみました如く、
素直な子になりました。
「お母様のおっしゃる事をよく聞いて、良い子になりなさい」
このお言葉を誓詞となして、
練成して行きたいと存じます。


=====

「あれ以来」というのは、
一時帰国の時に栄が一弘君に
何か言い聞かせしたのでしょうか?
栄も、15~16年ごろから一弘宛の手紙を書いています。
16年の7月~8月、栄は一時帰国しますが、
その前後で、長男一弘君の中の「父親像」が
変わった事と思います。
栄が戦地に行った12年10月は、
まだ8カ月で幼かったため、
父の顔もよく分からずにいた事でしょう。
でも、一時帰国をした夏、数えで五つの一弘君は、
しっかり父親の存在感を感じます。

===一部引用===
峯子 16年8月15日

今朝、一弘ちゃんがお早うございますの御挨拶の後
こんな事申しました。
「お父ちゃんのお写真を下へ降ろして下さい」
「どうして?」
「お父ちゃんのお顔忘れてしまいそうだから、よく見たいから」
一弘ちゃんの手の届く処へ降ろしてやりました。
私の口癖を覚えた事と存じます。
「淋しいねえ、お母さん。お父様がいらっしゃらないから」と
ませた口調で申します。


====
16年の栄の一時帰国のあと
再度の離れ離れ生活が続きます。
峯子は、寂しく思いながらも
心強く生活しようと健気です。

===一部引用===
峯子 16年8月

瞬く間に過ぎ去った一ヶ月よ!
でも色々な楽しい思い出だけは、胸の中に何時までも
燃えています。
再会
その日まで、一弘と共に思い出をまさぐりながら、
強く生活して行こうと存じます。


======
16年夏に1ヶ月間の一時帰国をした栄。
8月に、栄が隊本部に帰る際、
峯子は別離忍びがたく
病弱な体ながらも、長男を連れて
門司まで見送りに行っています。
その距離800km!?!

===一部引用===
峯子 16年8月13日

出帆が五時になりましたのに、
おっしゃるままに十一時の急行に乗ってしまいました事を、
汽車が東へ走れば走る程、
沁みじみ淋しく存じました。
一時間でも御一緒にいたいと思えばこそ
御見送りに遠くまでお供させて頂いた私だったのに・・・・


=====

途中、名古屋の動物園にも寄り、
無事の帰宅を栄に知らせる手紙です。
門司では、
船の出版時間が変更になったような事も書いてありますが、
立てた予定通りの列車に乗った峯子。
帰りの汽車の中で
またこれから続く寂しさを思い泣いたとも。


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思い出の場所など
15年の夏です。
峯子の手紙に、
牧山の手伝いに行ったと書かれていたのでしょう。

===一部引用===

牧山の手伝い、御苦労だったね。
本当をいえばそんな事さしたくないんだがね。
それ以上色が黒くなっては御免だからね。
女房は、
いつまでも綺麗でいた方がいいんだからね。解る?

======

色白の綺麗な女房がいいって、
この書き方がとっても
茶目っ気が感じられるんですけど・・・・
===一部引用===
峯子 16年8月

先日、講習会が御津南部小学校にございまして、
五日間出席いたしました。
(貴方様に)お目に掛りたくて、
初めて学校の近くまで伺ったのも、
ちょうど今のように暑い最中だったと存じます。
青い葉っぱに囲まれた校舎をとても懐しく眺めました。
淋しい生活に馴れてしまったものと信じておりましたのに、
ふと甦った思い出に胸が疼くのは・・・・
余りにも大いなる敬意と深い愛故にでしょうか?


====

おでんの思い出のある御津南ですが、
暑い最中に栄に会いに行ったのは、
恋人時代だった時の思い出でしょうか。
きっと、青い目の人形
校長室に飾ってあったでしょうね。


栄の家は、牧山にあります。
嫁の立場の峯子ですが、牧山ではなく
勤め先にも近い
三谷にいる事が多かったようです。
でも、農作業が忙しい時などには
よく手伝いに行っています

牧山という地名は今は残っていませんが
今で言う豊岡という
蒲郡の北部地域になります。
栄は、峯子の手紙が届かない
といってはがっかりしたりムシャクシャしたりしていますが、
峯子は筆まめに書いています。

===一部引用===
峯子 13年8月

便りを書き始めると、
あれもこれもと、書く事ばかりで
つい長々と読み飽きそうな程でごめんなさいね。


====

栄の遠征中の間でしょうか?
4月~7月にたった3通でがっかりしたとありますが、
その頃の峯子の手紙で該当すると思われるのは
4/10、4/20、
5/1、5/9、5/10、5/20、5月不明
6/1、6/9、6/15、6/23、6/27、6/28
7/7、7/16、7/29、
少なくとも16通はあります。
平均すれば1か月に約4通くらいも書いていたのですから。
きっと郵便事情があって遅れてすぐには届かなかったのでしょう。
何かの加減で、
一度に50通も受け取って
クリスマスプレゼントをもらった子どものように
はしゃぐ栄の手紙もありましたから。

毎日が記念日ww
8月5日はタクシーの日です。

峯子は、昭和11年
吉田方尋常小学校の教師をしていた栄の元に
身を寄せるために、五号までタクシーを使います。
当時は、タクシーに乗るのは、
相当贅沢だったでしょうから、
身一つで行く時には、
かなりの距離があっても歩いています。
でも、五号に初めて車で行った6月9日
峯子の忘れられない記念日なっていますから、
嫁入り」と同じような意味を持つ日だったと思います。
===一部引用===
栄 13年8月

十日程前から本部へ手紙及び慰門袋を、
当番のと一緒にまとめて送る様に再三依頼しておいたら、
やっと今日の連絡自動車で送って来た。
七月十五、二十二、二十九日の三通。
四、五、六、七、八月と
少くとも十通位はあると無理にやかましく言っておいたのが、
たった三通でがっかりしました。
慰門袋は一つも無かったが、
今ここで貰わなければ価値が半減します。


====

本部と離れた部隊にいる栄は、
手紙や慰問袋を心待ちにし大切にしています。
何が欲しいと言って、峯子の手紙さえあればいいんだから、
という栄です。
自分には届かなかったが、
部下にふたつも慰問袋があったりした時には、
ちょっとご立腹

13年の夏頃というのは、
徐州作戦の後移動して
漢口・応山あたりにいたのでしょうか?
自動車の通る道路があったようですが、
きっと前線は不便なところだったのでしょう。



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栄の人柄・好み
峯子の勤める三谷小学校の窓から見えた乃木山。
三谷温泉街に続く乃木山の頂上に
日露戦争で有名な乃木希典将軍 の像があります。

この像は乃木将軍が1891年(明治24)5月、
名古屋歩兵旅第五団長として伊勢神宮逢拝の際に
弘法山を訪れたのを記念して、大正9年に建立したものということです。
14年創業の東洋一とも呼ばれたふきぬき温泉
ここにあり、栄の一時帰国の後は、
日直の折、校舎の窓から蝉しぐれを聞きながら
ふきぬきの白い壁を眺めては
思い出していたことでしょう。

その後昭和33年(1957)に弘法山から国道23号線上を横切って
蒲郡弘法山観光ロープウェイ(のちの三谷温泉ロープウェイ)が開通した。
翌年のプラネタリウムやバンビセンター(鹿の動物園)と合わせ
乃木山あたりは、大変賑わった観光地だったらしいですね。

栄と峯子の思い出にある御津(みと:現在の豊川市)南。
手紙文中では、約されて「御南(みなん)」とも書かれています。
正月のおでんの味が忘れられないという思い出の学校です。

調べてみると、
昭和2年にアメリカから全国の小学校に送られた1万2千体もの青い目の人形のひとつ「ヘレン」も、御津南部小学校に来ているんですって。
ここでもアメリカとのつながりがあったんですね。
残念ながら多くは、太平洋戦争の時に処分され残ってはいないようですが。
東三河圏内では、
田峯小グレース豊橋市西郷小コネタなど、
愛知県内では9体が現存しているのみです。


2011東三河演劇祭のひとつ
「大場栄と峯子の戦火のラブレター」朗読劇
こと語り「戦争の記憶」のご案内をしましたが、
このイベントの前後に。
御津ハートフルホールにて
9月15日(木)~9月25日(日)
豊川パネル展開催です。
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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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