忍者ブログ
日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
さて、このブログを初めてちょうど一周年です。
峯子さんも8月がお誕生
おめでとうございます。
大正1年8月生まれの峯子さんは
大正3年3月生まれの栄さんより
1年半ほど年上になります。
学年で言うと1年上。
姉さん女房というところです。
熱烈な恋愛結婚のお二人、
そんなこと大した事とは思いませんが、
当時は、お嫁さんは年下が普通だったのですから
峯子さんは気にしていたのでしょうか?
PR
支那事変は長期に渡り、
戦場は奥地へと変わっていきます。
一つの町が陥落し日の丸が揚がるごとに、
日本ではお祝いの祝賀行事をしたとあります。
国民は、日本軍の活躍を喜び
お祭り騒ぎだったのでしょう。

===一部引用===
峯子 12年11月24日

ラジオで新聞で、皇軍のめざましいご活動を伺う度に、
皆様のご労苦に咽んでおります。
利之(峯子の兄の子・一弘の従兄で当時3歳)までが、
南京が落ちたら提灯行列だと楽しんでおります。


====

栄が出征して約ひと月半ほどの頃です。
峯子は、もうこの頃からすでに
御凱旋を今から待ち、
「波止場までお迎えに行く」と言っては、
実家の母に笑われています。
学区の方からのお話で知ったのですが、
御津北部小学校の校歌のメロディ-が、
映画「太平洋の奇跡」で栄達47人が山を下りてくるときに歌った
歩兵の本領」と一緒なんだそうです。
ちょっとびっくり。
歌ってみます?

1.金野・豊沢 山高く
 三河の海の底深く
 田園広き 広石の
 礎固き 御津北校

2.此処に集える我が友よ
 国の掟に従いて
 あの山のごと 海のごと
 品位は高く 智は深し
 
3.その身も遂に光るまで
 蛍に雪に磨きえて
 父と母とにつくさなん
 家と国とに尽くさなん


なじみやすいのでしょう。
他にも同じようなメロディーの歌があるらしい。
栄の所属はたびたび変わっています。
峯子の出す郵便のあて先は、
一か所に留まらない進軍中、
栄の所属の隊の名前で出されます。
でも、隊名が変わると、転送されて
手元に届くのに時間がかかっています。
早く知らせたい時には航空便を出しています。

===一部引用===
峯子 13年7月29日

航空郵便本日(二十九日)拝見いたしました。
折角お馴れなさいましたのに、
どうして部隊をお変わりなさいますんでしょうね。
昨日、コーヒー、あづき、御煎餅等少々お送り申し上げました。
まだ航空便を頂いて居ませんでしたので、
元の怡土隊宛にお送りいたしました。
本当に惜しい事をいたしたと存じます。
(お手元に届くのが)遅れます事と存じますから、
また近いうちに都合して何かお送り申し上げたいと存じます。

====
峯子の15年の夏の手紙に、
赤十字の少年保養所という話題が出てきます。
病弱な子供を集めて、保養のために
夏の間集団生活をさせていたのでしょう。

======
峯子 15年7月28日

今日は日直で学校へ来ております。
赤十字の少年保養所が学校へ出来て、
都会の弱い児童が来ておりますし、
岡商も学校におります。
お隣のお寺には岡中がおりますので、騒々しい限りです。


====



蒲郡は温暖で気候も良く、
三谷は、明治13年より、
優れた漁港として、
背後に蒲郡市、豊橋市などの消費地を控えるとともに、
陸上輸送の面でも好条件を備えていたため、
県内における有数の遠洋、沖合沿岸漁業の
根拠地として発展してきました。
昭和9年からの修築工事は、15年に竣工となり、
峯子の父伊助が町長の時期)
峯子の手紙にも記述が見られます。

昭和26年7月28日に、
第3種漁港指定されています。

三谷漁業協同組合の魚市場は、
あなご、たい類、あさり等の水揚げで
現在も朝早くから活気づいています。

豊橋から蒲郡を総括した「三河港」として
位置付けられています。
こと語り「戦争の記憶」
大場栄と峯子の戦火のラブレターより~
箏と語りのイベントです。

9月19日(祝・月)
開演15:00~(開場14:30)
ハートフルホール(豊川市御津文化会館)
前売り2,000 (当日2,500)




栄と峯子の熱い想いが
広がっていくような気がいたしております。
3日間にわたり開催いたしました「「大場栄と峯子の戦火のラブレター 豊橋展」
無事終了いたしました。
吉田方小学校学区にお住まいの方、
御津南にまつわるお話をしてくださった方、
地元の方ばかりでなく、
遠方からも興味を持って来場いただきました方々、
会場に日参していただきました方、
関係者と話し込んで行かれる方、
いずれも丁寧に興味深く見ていただきまして
ありがとうございました。

歴史絵巻物も好評(新城在住S氏展示協力)で、皆さん感心して見ておられました。

「戦火のラブレター」を題材にした朗読劇の紹介
9月の企画(御津ハートフルホール)もあり

充実したものになりました。
映画「太平洋の奇跡」を見たかった!
という方には、8月17日のDVD発売をお知らせしました。
待てない方は、
文庫版「太平洋の奇跡」でどうぞ。
大場栄と峯子の戦火のラブレターパネル展豊橋
初日には遠くからいらしていただいたかたもありました。
二日目には、熱心に仕事の前後に2度も訪れ、
スタッフと長時間お話下さった方々もありました。

展示内容も充実いたしまして、
今日が、最終日になります。
昨日、近くのお店などにも
パネル展のチラシを持って行きましたが、
さて、日曜の入りはどうでしょうか?
本日も、特別ゲストを迎えてのお話会は
午後2時からになります。

会場にいらっしゃれなかった方にもと思い、
VTR記録もしますが、
ぜひとも現物を会場にてご覧いただけると
嬉しく思います。
昨日のパネル展豊橋
編集者と読者の集いの中で、
元郵便局員さんのお話がありました。
戦地の部隊は、どんどん移動していくと、
逓信省(今でいう郵政省)からの派遣で郵便局員が
戦地先で野戦郵便局を開設して、
戦地からの郵便物をまとめて
本国に送っていたといいます。
また、日本では、大きな袋で届いた郵便物は、
それぞれの地区に仕分けて届けるのは、今も一緒ですね。
豊橋の局では、十八連隊もあり、多くの郵便物を扱っていたのでしょう。
また、検閲の判がないと送れない決まりで、
ハガキが多かったとも語ってくださいました。

栄から峯子への手紙
検閲の印

13年(?)の航空郵便には、30銭の切手が貼ってあります。


===一部引用===
17年の峯子の手紙

五月から郵便法改正で、
切手代が五銭に値上がりいたします。
一寸こたえます。


=====

といいますから、航空便の30銭はかなり出費?
栄は、自分でもせっかちと言っていますが、
普通郵便だと
さっき出した手紙がまだ届かないうちに
前の手紙の返事が来るのが
「話がトンチンカンになっていけない」と
もどかしかったのか
時折航空便を出していたようです。
ご来場いただきました方々、
大場家所縁の方々、知人、
所縁の恩師、
豊橋市内はもとより、
蒲郡市・豊川市・
遠くは東京八王子から(@0@)ワオ!
ネットで検索して来ていただきました方も
ありがとうございました。
カリオンビル館内運営の事務の方、
タクシーの運転手の方、
じっくりパネルに顔を近付かて
食い入るように文面を読んでいかれる方もあって
とても有難いことだと思いました。

うちわやお饅頭他、
差し入れいただきました方々、
ありがとうございました。

まだ展示準備中の午前中に来場されて
パネルが見られないままお帰りになった方、
ゴメンナサイ。
準備が間に合わず、失礼いたしましたところは
深く陳謝いたします。

予告したものの初日には展示しきれなかったものも
2日目にはご覧いただけるようにしたいと思います。
また、ゲストで当時郵便局員だった方のお話も交え
本を読まれて疑問に思った事、また登場人物のその後の消息など
質問も出て読者と編集者の集いも
予定時間をオーバーするほど盛り上がりました。


「大場栄と峯子の戦火のラブレター豊橋展」は
あさって日曜までの展示会です。
どうぞお時間をつくってお出かけください。
23日(土)は10:00~18:00
24日(日)最終日は~17:00開催です。



愈々(栄調ww)
本日より「大場栄と峯子の戦火のラブレター 豊橋展」の開催です。
7月22日(金) 午後1時~午後6時
  23日(土) 午前9時~午後6時
  24日(日) 午前9時~午後5時
豊橋市カリオンビル(豊橋駅より徒歩8分)
いずれの日にも、午後2時より
編集者と読者のお話会があります。

今年2月に開催した蒲郡の展示会に加え、
その後に発見された「本当に最後の手紙」や、
新城の在郷歴史絵巻なども合わせて展示します。

栄の勤めた吉田方小学校や
峯子との新婚時代の五号での暮らしなど
思い出の地の数々ある豊橋市内で
パネル展ができる事は、
感慨深いものがあります。


子どもの話題は、栄が一番関心を持っているからと
毎回のように触れられています。
まだようやっと歩きだした頃の一弘君の逸話です。

===一部引用===
峯子 13年7月

利之ちゃん(峯子の兄の子:一弘の従兄)の
する事は、良い事でも悪い事でも、
直に真似をするのには本当に困ってしまいます。
利之ちゃんが大きな声で
お母様に一銭おねだりしているのを聞いていまして、
私の前へ来て可愛い手を出して
「あゝちゃんゼンゼン一セン、ゼンゼン」って
負けないぐらい大きな声で言いますので、大笑いいたしました。


======

1銭て、子どものお小遣いくらいなんですか。
当時の貨幣価値ってどのくらいなんでしょう。
俸給と比べると分かるかな。
もう夏休み。
今年はあまり蝉が鳴きませんが、
蝉取りしたり、海で泳いだりと
二人の長男一弘君もたくましく育っていきます。


このカテゴリーの記事を読む
子どものエピソード
初めての方には
このブログの読み方
今年も、日本列島を大きな台風が狙っています。
昭和16年の8月には、四国に大きな台風が上陸していたようです。

===一部引用===
峯子 16年8月

今朝の気象特報で、午前六時四国へ暴風雨が上陸いたし、
午前九時頃徳山を過ぎる見込とラジオが報じていました。
その為、東海地方も多少その余波を受けて、
海上は浪高くございますが、
農作物には大した被害も無さそうでございます。
午前八時から、新校舎の階上で日直をいたしております。
何時もの碧い海の色はどこへやら。
今日は、泥色で白い浪のうねりが高く、
恐ろしい様な気がいたします。


====

いつもは穏やかな三河湾も
台風の影響で、大きくうねっていた様子が表現されています。
(内閣情報局発行の『週報』、昭和19年7月19日号 アジア歴史資料センター レファレンスコード A06031056100 から)

サイパン島玉砕陥落の直後、
大本営は陸海軍報道部長談話として、
全国民に次のように通達しています。
「サイパン島在留邦人は六月十五日、敵上陸するや、
老若男女を問わず皇軍に協力一体となって挺身し、
銃を執り得る者は悉く銃を執って、
皇軍将兵と共に敵軍に突入して、壮烈な戦死を遂げ、
また銃を執り得ざる者は
概ね自決して護国の華と散ったものと信ずる。」

「我等は在留同胞のかくの如き殉国精神の顕現にこそ、
日本民族絶対腐敗の潜在力と必勝の信念を力強く感得するのである。
敵の誇示する機械力と物量力は、
時に山嶽崩すべく大海をも翻すべし。
されど絶対に奪うべからずは一片殉国の志である。」



とありますが、
死ぬ気で働く事はあっても、
死ぬ事が国の為になるなんて、おかしいじゃないの?
当時はそう、信じていたってことなんですね。

【参考】
玉砕命令はすでに下されていた
あ、そうそう、海の日でしたね。

峯子さんたちが泳ぐのは、
三河湾に浮かぶ無人島、三河大島の海水浴。

三谷の港・蒲郡の港からも夏だけ渡船が出ます。
(現在は蒲郡埠頭からだけ)

===一部引用===
峯子 17年7月

大島の渡船も、例年通り七月一日から始まりました。
昨日は、高等科の生徒が全部で大島の浜掃除に行きました。
今日の日曜日は、さぞ島も賑わっています事と存じます。
一弘ちゃんが今朝も
「日曜日だから大島へ連れて行ってよ」と申しますが、
忙しいので夏休みにしてね、と延しています。


====

大島での海水浴は、
峯子にとって恋人:栄を見染めた海水浴としても
忘れえない思い出だったのです。
栄は軍人を武士にたとえて、
その妻たるものの資格を問うています。

===一部引用===
栄 15~16年ごろ 


たびたび、男性の横暴云々の言葉を聞くが、あながち男のみの横暴では無い。
男は昔から横暴の者と相場は定っている。
それを操縦出来ないのは、女の足らなさなのである。
つまらぬ女だったなら、軍人の妻としての価値が無いのであるから、
命令でなくても自然そうなるであろう。
然らされば、自ら職を退くより外に道は無いから。
結婚には身元が厳しく厳選され許可無くては成立しない。
学力は女学校卒業以上たる事。
家庭厳格にして武人の妻たるに適する者でなくしては合格しない。
勿論玄人では許可されない。
下士官以下については、学力の点は此の限りで無いと思うが、
その他は同様である。
従って、いかなる事情か知らないが、
君の友人にも何か欠点があった事と思う。
あながち安っぽい涙を流すには早過ぎる。
我々には所詮、昔の武士である。武士は町人とは異なる。
妻たるべき者また町人の妻と同じであってはならない。


======

このカテゴリーの記事を読む
栄の人柄・好み

初めての方には、
このブログの読み方
満洲は黒ダイヤが名産品だった?
黒ダイヤって、石炭の事みたいですけど、
そうなんですか?

======
峯子 14年7月

三谷のお祖父様は、
一昨日満州から三週間振りに
視察を終えて帰っていらっしゃいました。
お土産物に黒ダイヤの指輪を、姉妹皆頂きました。
この頃は金の統制で、
金指輪等麗々しく外へはめても出られなくなりましたので、
国策に添ってサンプラ指輪です



======

華美を避けた時代、
サンプラというのは、サンプル(?)
模造品のようです。
しかし、峯子の妹の子どもさんは、
そのときの指輪を
形見として大事に取ってあるという話を聞きました。


このカテゴリーの記事を読む
当時の社会
子どもは汗をかきながらも遊びまわります。
17年 7月
===一部引用===
峯子

一弘さんも急激な暑さに、
汗もを大分作りました。
それでも子供でございますわね。
日中でも体中を汗でじとじとにいたして、
戸外で元気よく飛び廻っています。


====
栄も汗かきだったようですから、
一弘君の汗かきも、遺伝でしょうか?
16年の7月7日から約1ヶ月間
栄は一時帰国をします。
その間は、もちろんお手紙を出していませんから、
濃密に過ごしたであろう一カ月の出来事は、
その後の手紙の中から想像することしかできません。
分かっている事は、
峯子が「あなた」と呼べるまでにしばらく時間がかかった事、
念願だった「ふきぬき」観光ホテルに泊まった事、
栄が留守をしていた3年9カ月の間の世の中の変わりようにビックリした事、
子どもが最初は恥じらっていたが、とても父親の存在が大きくなった事など。
その後の文面でこの一時帰国のエピソードが
しばしば出てくることで
二人にとっても忘れ難い日々だった事が分かります。
カレンダー
09 2025/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

「大場書簡を読み解く会」
senkanoloveletter@live.jp
最新コメント
[08/30 大場書簡を読み解く会]
[08/06 大場書簡を読み解く会]
[08/06 kazoz]
[05/28 大場書簡を読み解く会]
[05/24 ファン]
最新トラックバック
お問い合わせメール
メールはこちら
ブログ内検索
バーコード
アクセス解析
カウンター
Copyright ©  -- 大場栄と峯子の「戦火のラブレター」 --  All Rights Reserved
Designed by CriCri Material by 妙の宴
powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]