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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
今朝(2/9)朝日新聞に
本のこと載ってたわよ、と
友達が記事のスクラップを持ってきてくれました。
ネット版朝日comでは地域のトップに出ていました。(@0@)ワオ!

この内容は、
ローカルというより、
全国規模でもニュースソースになりそうな気がいたしております。(峯子調ww)
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長男一弘の満1歳(かぞえでは二つになる)のお祝いは、
栄不在で、5月の端午の節句
お帰りになるまで日延べをしていますので、
なかなか子どものお祝いができません。
3歳になる頃、「髪置きの祝い」という言葉が
出てきます。
これは、男女とも3歳の11月15日に、
初めて胎髪を切るという儀式だそうで、
子どもの成長を祝う節目なんですね。

3歳は髪置きの儀
5歳は袴着の儀(男児)
7歳は帯解きの儀または紐落とし(女児)
で、七五三なんですね。



知ってました?
峯子は、
学校の水泳の授業や農作業で
日に焼ける夏を嫌っています。
夏の嫌いな理由は、
栄が色白な女性が好きだったから?

冗談に、
早く帰って来ないと、
峯子、チョコレート色になってよ

などとも書いています。

でも、栄は
兵隊で色が白いのはいけない。
行軍で、すっかり日に焼けて
黒くなったが、
数日で色が抜けてしまう

というようなことも書いているので、
もともと色白だったらしい(?)ですね。

こちらでも少しずつ紹介してきましたが、
大場栄と峯子の戦火のラブレター
もし、お近くの書店で手に入らない場合には、
「これから出版」にお問い合わせください。
---------
TEL. 0532-47-0509
FAX. 0532-47-3109
Email. korekara09@tees.jp
所在地. 〒441-8052 愛知県豊橋市柱三番町79
---------

読み方については、
業界だけに通じる用語は、
どこでもあると思いますが、
軍で使う暗号なのか、
栄と峯子だけに通用するものなのか分かりませんが、
二人だけの『秘密の言葉』があったようです。
思い出のキーワードの他にも、
科学の勉強に行く」とか、
なんだか思わせぶりに
今度『海を見る』とお便り下さいますまで
峯子と一弘と二人ままの現状で待つ

とありますが、何のことでしょう?
当「大場栄と峯子の戦火のラブレター」の
書店での扱いはどんななんでしょう?
ちょっと気になって、
蒲郡市と豊橋市の書店をいくつか
見てきました。
流石に、地元は何冊も積んでありますね~。
in豊橋

in蒲郡
しとやかで優しい色白の女性が好み
(いつの世でも一緒ですかね?www)
そんな栄さんですが、
でもただ従順なだけがお望みでは無かったようで、
一時帰国の際に、
あなたにおまかせするわ
とばかりの峯子に、
協力者としては物足りないと言っています。
また、紙面には載らなかったかと思いますが、
峯子の家族(母と妹)でなかなか決まらないという時に
ピシャリと言った峯子の一言に
感心した」という栄ですから、
決断力のある女性に魅力を感じていたのかも。
最近、竹野内豊さん、出番が多いですね。
目がいってしまうだけ?
テレビに、雑誌に、CMに、
映画「太平洋の奇跡」ロードショー直前ですから
当然とは思いますが、試写会に取材対応に忙しいですね。
サイパン島のシアターでも上映しているのですが、
サイパンのフリーペーパーにも2回に渡っての
特集記事が載っていました。
公開初日の舞台挨拶もあるでしょうし。
どのインタビュー記事見ても、
大場栄役を正面から捕らえて誠心誠意演じた様子が
感じられます。
寡黙な中に、部下への思いやりや、
生命への尊厳、武人として使命感
人間としての誇り・・といった言葉では語りつくせませんが
とても好感が持てます。

映画は、戦場での栄大尉ですが、
「大場栄と峯子の戦火のラブレター」では
魅力ある男性として、家庭人として、父親としての栄像が
人間味溢れております故、
また、一味違っておもしろうございますと存じます(峯子調w)

何が一番辛いかといって
子どもの病気の時ほど、
父親不在の責任の重さを感じたことはなかったでしょう。
口内炎、腹痛・下痢、湿疹、目の病気、など
子どもの病気はあれこれ多いですから。
また、いろんな場面で、ひとりで心配するだけで
親身になって相談する人もいなくて
困ったこともあったでしょう。
峯子は、
しみじみ淋しく思います。
坊やが病気をするたびに峯子も痩せそう

といいながらも、
戦地の夫に心配をかけまいと、
悪い事は終わってからの報告だけにしている
と決めています。
私どもの事はお気にかけずに
軍務にお励みください
]」と、
健気にも留守宅を守っているのです。

いよいよ書店に並びます。
大場栄と峯子の戦火のラブレター」です。
大変内容の濃いお勧めの本と存じます(峯子調ww)。

本日、大場栄大尉の息子さんが新聞折込みしたおかげで
出版社への問い合わせが殺到(オーバーですか?ww)
急遽、仕事場への出勤時間遅らせて
市内書店に持ち込みしました(やっぱドロナワww)。
S文館書店とかKさわ書店とかで入手できますことと存じます。
これから出版または東雲座カンパニーにお問い合わせいただいてもOKです。
戦地の兵に差し入れる「慰問袋」は、
家族からの便りとともに
不便な戦地生活で楽しみの一つだったと思います。
峯子は、衣類(軍服、ワイシャツ、襦袢など)や
入り用な日用品(カミソリ、便箋、タバコ)や菓子などを
送っています。
栄の好物の、辛いセンベイは、
何度も送っています。
家族だけではなく、
知人も慰問袋を送ったり、
慰問袋にしてと数円を峯子に託しています。
5円~10円くらいだったようですね。
その中に、子どもの写真などもあったのでしょう。
受け取るときの
栄の笑顔が、目に浮かびます。
映画「太平洋の奇跡」の原作となった
ドンジョーンズ著「タッポーチョ」ですが、
絶版でしたのが、このたび
タッポ-チョ 太平洋の奇跡
玉砕の島サイパンで本当にあった感動の物語
」として
2月5日に発売されます。

映画の関連書籍が
増えてますね~。
詳細図解 サイパンの戦い 大場大尉を読み解く」も。
戦火のラブレター」は表紙も出て
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!
wwですが、下の方にありますから
画面スクロールしてね。
手紙の束が発見された時、
峯子からの手紙は、
綴じひもでひとまとめにしてありまして、
栄の几帳面さが窺われます。
栄の手紙の中でも、
何度か峯子からの手紙について記述されていて
数十通あるので整理したとか、
綴じた物が
2寸ぐらいとか、
何百通になって1寸2冊になっているとか
書かれていました。
まだ内容を読んでいなかった初期の頃
きっと年代順に綴じてあるのだろうから

思ったのですが、
それは大きな間違いでした(><;)
ぜ~~~んぜん、バラバラwwww
届いたのも、書いた順とは無関係だったみたいですし・・・
前の手紙も何度も読み返していたのでしょう。
封筒がないから、消印も無かったので
順番は分からなかったのです。
かろうじて、月日は書いてあっても
何年のものなのかが分からないまま。
何しろ昭和9年くらいから18年までありましたから。

ウワ~ン
今から思うと、
このバラバラなのを、
書かれた順番に並べ直すという
謎解き作業に費やした時間が
一番大変でしたね。
戦争について思うこと。

戦場は、どこであっても悲惨です。
通常の社会であれば、
極悪犯罪になる殺人が、
「国の為」に合法化されるという矛盾。

争い事は話し合いでは解決できないものでしょうか。
お互いを理解の上でないと
難しいのでしょう。


【追記】

編集長の日記にありました、
出版社に-1当時の事を知る方が・・・・
サイパンプレミア観覧ツアー本日試写会ですね。














ちょっと行って見てきますww
峯子は、17年11月ごろから19年春ごろ
日本に戻って来るまでの間
満洲の海城という町で暮らしています。
家族官舎は、水道も電気もひけて
文化的な生活ができていたようです。

17年9~10月、
渡満が決まり、嬉しくて落ち着かず
引っ越し準備もソワソワと、何を持っていくのか、
出発の日まで、あれこれ迷っている頃の手紙も
なかなかに興味深いものがあります。
峯子の心配は
家財道具のことばかりでなく、
学校に上がる年齢になる長男の教育のこと、
窮屈な生活になるのでは、と
知らない土地で暮らすこれからの生活に
あれこれ不安はいっぱいでしたでしょう。
しかし、栄のお側に行ける喜びは
待ち焦がれていただけに、
ひとしおだったことだと思います。








ブック版「太平洋の奇跡」お読みになった方もいらっしゃいま
すでしょうか。
私の町の書店では、地元の方がモデルの本だからと、
大場栄と峯子の戦火のラブレター」のPRをしてきましたおかげか
割と目につきやすい所に置いてありました。
今後、映画も公開になれば、また話題にもなると思います。
映画を見てから読もう、という方も多いでしょうから、
ここでは、内容には触れません。
スリムな本ですので、
記述されていない場面も映画にはあるのでしょうかね?
タッポーチョとは、
少し変わっているところもあったみたいです。
もう、今夜にも、10,000アクセス達成か?!

映画の公開直前で、マスコミにも「大場栄」が
チラチラ見かけますから、
関連でこの「戦火のラブレター」ブログにも
訪れてくださる方が増えているのでしょうか。



楽しみにしています。2000間違い10,000番。
(勘定ができてないわ?ww)
切り番ゲットの景品は何もありませんがwwww
往復書簡は、1000通にもなるか?
という膨大な量ですので、
すべてを1冊の本に納めることはできませんでした。
当時の郵便事情で、
内地から軍宛てのものは、
番地でなく、所属の隊名で出していますが、
進軍中は、場所がどんどん奥地へ移動するので
届けたり受け取るのが困難だった事でしょう。
届く順番も前後するのも、珍しくなかったようです。
そんな事情で、同じ内容が何度も書かれていましたので
重複する部分は、削除してしまいました。
また、手紙に登場する人物が多すぎるので、
ご本人に直接関わらない知人の話題は
随分カットしてしまいました。

でも、面白いお話が沢山あったんです。

ご夫婦仲良しで農作業していたK夫妻の事、
峯子の「トーチカ心臓」の女友達の事、
浜松のデパート屋上の池の鯉を捕まえようと水浸しになった長男の事件(ww)、
榮の弟たちのエピソード
妹の夫の赴任先に面会に行った際の電車でのエピソードなどなど

また、チャンスがあれば、御紹介したいと思います。

日中戦争が落ち着いた17年ごろ
満洲の海城というところで
18連隊は警備を担当するようになったのでしょう。
日本人街もでき腰を落ちつけられるので、
家族官舎が用意され(17年9月)
家族を呼び寄せた兵がたくさんいます。
栄もさっそく許可を願い出て、
峯子も渡満の準備に忙しくなります。
17年の秋の手紙の話題は、この件ばかりです。

===一部引用===
栄 17年9月 s10263
官舎は独身官舎と家族官舎になっています。
勤ム先から約八00米位の所にまとまってあります。
煉瓦造りの洋館調屋敷です。
一家族八畳一部屋、六畳二部屋、炊事場、入浴場、
それに水道・電気もあります。 
生活には不便はない事と思います。

===ここまで

同じように、当時海城まで行った体験を記した
東三河出身の方の手記にも
当時の海城までの道筋
海城での様子が描かれています。

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プロフィール
HN:
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性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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