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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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17年1月18日新愛知新聞
目覚ましい功績を立てた日本軍の記事の末尾に
同姓同名の「大場栄」が負傷したと掲載されます。
二人の祖父は、住所が静岡県浜名郡芳川村になっているから、
榮ではなかろうと言います。
峯子の兄は、仕事で大阪へ行く折り、
名古屋で記事を見て下車し、
静岡の大場の間違いなり安心せよ
電報を打ちます。
でも、
峯子は住所は違っていても、胸がさわぎます。
何度も戦傷した栄ですが、もしやと
不安でまんじりともせず夜明けを迎えたことでしょう。
そのときのことを読んだ俳句も残っています。




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昭和17年1月18日の新愛知新聞に、
「静岡県の大場栄中隊長が、目覚ましい戦功たて負傷」
という記事が載ります。
峯子たち家族は、
静岡の大場とはいえ、音信不通の栄ではないかと
胸騒ぎもし、大変心配をします。
結局、静岡にも問い合わせをし、
記事の住所は間違いで、負傷したのは栄と分かります。
栄自らの知らせが届く2月初めまで
この間、傷の場所も具合も分からず
どんなに不安だった事でしょう。
峯子は、万が一の悲壮な覚悟もし、
栄の「傷み」も感じて
飛んで行って看病したいと書き送ります。





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峯子の寂しさ


















15年の正月、松の内の明けた8日の峯子の手紙には、
14年暮れに負った栄戦傷の知らせが、妹の挙式の朝に届き
動揺の中にも浅い傷でホッとした様子が書かれています。
台所で包丁さばきをあやまって指先に怪我したときにさえ痛むのに、
どんなにか、、、、と栄の痛みを思い遣ります。
新婚の幸せそうな妹夫婦を前に、
栄を看病できない辛さやもどかしい思いを

楽しい思い出が、
日の古につれてあせて行くのが淋しゅうございます。
余り遠い人なので、
面影すらも忘れてしまいそうで、尚更淋しい! 
お目にかかりたい!


と、恋しく背の君さまへと綴っています。



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「峯子の寂しさ















17年の元旦の夜、峯子は初夢を見ます。

===一部引用===

今朝明け方、
貴方様に夢でお目にかかりました。
初夢よ! 
とてもとても嬉しく楽しい夢でございました。
でも申し上げられないわ。
だって恥かしいんですもの・・・・
今年の中に夢で見たような生活が、
峯子の上に訪れる様な予感がして、
今日は朝からとても朗らかでございます。


=====

恥ずかしい夢の内容を聞きたいものですがwww
峯子はよく栄の夢を見ています。
栄の夢の朝は、
ウキウキ気分のようですね(^-^)♪


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峯子の寂しさ


しかし、一方









15年新春に、峯子の妹の結婚話があり、
14年の暮れは、その準備で
平野家は多忙な年末だったと思います。
峯子は、義理の弟になる福尾氏を、
親切そうな方と書いています。

===一部引用===
峯子 14年12月24日

これは内緒ですけれど、
総てに貴君の方がお兄様としての貫禄がございます。
(年齢は貴方様と同年)でも峯子のひいき目かしら?
いえ菊枝さんもそう申しておりますから、
ご心配なくお兄様振っていて下さいませ。


====

これはお惚気?
でも
幸せそうな妹を横目で見ながら
峯子は栄不在の寂しさを感じていたでしょう。


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「峯子の寂しさ










栄が12年の秋に出征した頃、
まだ峯子は8カ月の長男に乳をやっていました。
心労で乳の出も細り、
子どもにかまれて痛い思いもしたことでしょう。

===一部引用===

峯子 12年11月24日

この一ヶ月ばかりの精神的打撃で
お乳が細って難儀いたしております。
御主人の出征なされた乳飲児のある方は、
よくお乳が細くなるとおっしゃいます。
やっぱり女は弱い者ですね。
女々しさがペンに現れそうで、
思っている事が綴れません。


====

峯子は、つい弱気になりがちな気持ちを
押さえながら、栄に手紙を書き綴っています。

この手紙には

近くの神社で七五三詣の
お知らせが掲示してありました。
子どもが三歳になると髪置きの祝い
男の子は、5歳に袴を履き
女の子は7歳で帯解きとお祝いの意味が違っているんですね。


長男一弘君の髪置きの祝いについて書かれた部分
===一部引用===
峯子 14年9月

初節句のお祝いの時・・・
ご不在で遂延ばしてしまいました。
その節、牧山のお父様が髪置きにでもなったら
帰還して来るかも知れないとおっしゃいました。
その時は余りに前途遼遠な事をおっしゃると、
少々淋しゅう存じましたのに、
もうあれから一年数ヶ月経ってしまいました。

====

髪置き祝いに、実家の母が
お祝いに洋服をプレゼントしてくれたようです。
でも、羊毛禁止でつまらないとも。
もう、このころから物資不足の気配があったようです。


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峯子の寂しさ








激しい戦いで、郷里の知人が
何人も戦死しています。
峯子は、知人の戦死の報に
毅然とした奥方の心の内を察して
お気の毒ですと書きます。
次は・・・・?
と思うと、心配で溜らなかったと思います。
栄の竹馬の友の町葬を知らせる手紙に。

===一部引用===
峯子 14年11月8日

本当に人間の運命なんて一寸先も解らないものなのね。
何だか別れ別れに暮しているのが恐ろしくなりました。
同じ運命でも、目で見届けた運命なら仕方なく、
あきらめ出来そうな気がいたしますもの。
今日は人の話が耳に入って、
何か落着きのない事のみ綴りました。


====











峯子の手紙には、
熱い「ラブレター」の想いが見られます。

===一部引用===
峯子 14年11月
長い間、二年もお目に掛らないので、
心は日夜貴君のお姿を求めております。
この頃は夜毎、夢に面影を偲んでおります。
でも醒めてからの物淋しさ! 
ああ、また不甲斐ない事書きました。


=====

何時帰ってくるかも判らず、
に姿を追い求める峯子の寂しさ。
このあとに、
「一度で良いから、
優しい貴方様の声音が伺いたい!」
ひょっとしたら、
あっては欲しくはないが、お声が聴けないかも??
という気持ちで書いていたのでしょう。



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峯子の寂しさ







峯子は17年秋から
満洲海城で栄といっしょに暮らしています。
その準備に追われる10月
新しい生活への不安を漏らします。

===一部引用===
峯子 17年10月20日

今までのわがままがたたって、
これから始める堅苦しい生活が
峯子に上手に切り廻しが出来るかしらと、
昨夜も夜中頃から寝ないで案じられました。
お目もじ出来ます嬉しさよりも、不安の方が先立ちまして、
とにかく支度する手が鈍りがちでございます。


====

堅苦しい生活というのは、
軍隊の家族官舎ですから、
今までの実家のようには気ままには過ごせないと思うからでしょう。
また、栄の報酬
第一線の戦場より手当がつかない分
安かったからでしょうか。
新しい土地での暮らしはどんなだったでしょう。

海城では
一緒に暮らしていた筈なのに












続きは・・・
21年10月になって書かれた峯子の本当に最後の手紙には、
自宅葬のことや、
新聞で目にした「サイパン生き残り」の記事のこと
三河三谷駅で別れてからのこと、
急ぎ満州・海城へ帰り、一人で後片付けしたこと
兄弟などの消息、
その他、便箋8枚に綴られていますが、
最後に、あなたにお会いしたら
最初にお詫びしたい、と
書かれています。

きっと、
栄が海城から南方へ出立する時に
見送り出来なかったことを
ずっと悔いていたからなのでしょう。


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峯子の寂しさ






一度目というのも変ですが、
南方で戦死との通知が、
昭和20年8月、峯子の元に届きます。
その頃は
混乱の中でしたでしょう。
10月3日公葬(当時の新聞記事による)の後、
自宅葬が行われたのは、20年10月16日です。
その事は、翌21年10月15日に書かれた
峯子の最後の手紙にあります。

===一部引用===
峯子 21年10月15日

昨年の明日(十六日)は、
貴方様の自宅葬儀の日でございました。
黒の喪服に水晶の数珠をつまぐる峯子の姿は、
今考えただけでも瞼が熱くなります。
でもその時は、涙一滴落とさないで、
さぞ他人目には健気に見えました事と存じます。
昨年八月公報入手、
一昨年サイパン島玉砕の悲報より、
覚悟はいたしておりましたものの、
余りの悲しさ辛さに・・・・泣けるだけ泣いて
魂の抜けた人間のような日を過ごしていました。


====

この引用部分は、
8枚の手紙の1枚目にありました。










婚家の義父が代理で貰った勲章を見て
栄の胸に勲章が輝く姿を思い描く峯子です。

======
峯子 15年9月

昨日、牧山へ行って参りましたら、
お父様が院七位勲五等を御下賜下さったから、
戦地へ報告して呉れとおっしゃいました。
瑞宝章も見せていただきました。
早くあの懐かしい厚い胸にこの勲章が輝く日が来ます様にと、
胸をときめかせて見せて頂きました。


====

その下の薫六等は、付けないまま、
お返しすることになってしまったが、
今度の勲章を付ける日を
ひたすらお待ちするという峯子です。
あの厚い胸」は、大島での海水浴の
手紙にも出て参ります。




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峯子の寂しさ

栄には二人弟がいて、いずれも軍人になります。
直ぐ下の弟が、帰国の時挨拶に来ています。

===一部引用===
峯子 17年8月28日

昨夜七時頃、突然幸一様が三十分ばかりお立寄り下さいました。
昨年末にお目もじいたしました折には、
随分背丈が伸びてひょろ長い方だと感じましたけれど、
顔に肉がお付きになって、立派な士官さんでいらっしゃいました。
(中略)
「よくお太りになりましたね」と申し上げましたら、
飛行機は外の隊に比べると呑気だからいくらでも太るよと
おっしゃいました。
軍隊で錬成されて、
お人柄に重みが付いた様に存じ本当に嬉しく存じます。


======

幸一は、14年秋に入営し、
15年には北支の部隊にいましたが、
この時は老津にきていたようです。
当時はメタボもなく、「太る」のは、褒め言葉でした。

弟の入営屋出征の時には、
栄の時のことを思い出しては
過去にタイムスリップする峯子です。
15年の夏、長男一弘と従兄の利之ちゃん、従弟の勇次ちゃんは
そろってはしかにかかります。

===一部引用===
峯子 15年8月

利之さんは七月初めに「はしか」をいたし、
一弘と勇次も
二十日から発熱三十九度六分で高熱が数日続きましたけれど、
今は快方に向い家の中で少しずつ歩くようにまでなり、
やっと安心いたしました。


======

子どもの病気ほど、辛いことは他にないと
峯子は書いています。
特に勇次は、幼い命をこのはしかが元で失くしています。
一緒に心配してくれるであろう栄が傍にいないので
峯子の心細さは一層でしたでしょう。

でも、峯子ははしかにかかってすぐには書かず、
8月になってから書いているのは、
少しでも栄を心配させまいとしていたからなのでしょう。


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峯子の寂しさ
本には掲載されなかった話です。
知り合いの夫婦で、仲睦まじく農作業をしていたのを
羨ましく見ていた峯子ですが、
5年経って、三角関係から破局に至った二人の事を
「夫婦の縁なんてそんなに頼りないものかしら?」
と言っています。

===一部引用===
峯子 15年夏

五ヵ年有余を、
唯その人の為にのみ働いて苦労して・・・・
踏みにじられるなんて、
男性の横暴さを、
いいえ非常時の男性にはもう外に
こんな人は無いと信じます。


=====

男性の横暴さに憤慨している峯子です。
時には、栄からのお叱りを受けて
悲しい思いもする峯子ですが、
こうしたことをはっきり口に出せる女性
当時、珍しかったのではないかとも思います。
梅雨の晴れ間は、洗濯日和。
さっぱりした服を着たいものです。
峯子は、お側で洗濯できないのを
残念がっています。

===一部引用===
峯子 13年夏

本日の新聞で、
漢口へ御出発なさる趣、拝見いたしました。
日中の行軍、どんなにかお骨折りの事と
皆々様の御苦労感謝いたします。
わけても貴方様は汗性です故、御難儀なさいます事と、
お側でお洗濯させて頂けないのを残念に存じます。


======

映画「太平洋の奇跡」の出演の竹野内豊さん達俳優さんは、
少しでも当時の兵隊の気持ちに近づけたいからと
暑い撮影の40日間、
洗濯していない軍服を着ていたそうですが・・・
峯子は、お手紙の中でも俳句や短歌を詠んでいますが、
晩年も続けています。
辞世の句ともいわれるのは、
教育長賞をいただいた句です。

「春塵や 小箱に秘めし 軍事便」

ずっとお手紙のことは、誰にも言わず小箱に秘めていたのですね。


そろそろ田の作業が忙しくなりますね。
峯子は、日に焼ける農作業は好きでなかったようで、
栄もそれを心配しています。
戦地に渡る時、父親宛ての手紙にも
「峯子に農作業は無理だから
子守だけさせてやってくれ」と
気遣って書いていますが、
それでも峯子は居づらかった事でしょう。
農繁期には、農事や養蚕の手伝いをしてはいますが、
うまくこなせていたのかどうか、、、

女は三界に家なし
と、実感していた事でしょう。


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峯子の寂しさ
一弘君の初節句、13年の5月5日には
お祝いできませんでした。
父親不在なので、ご帰還まで延期とされたのです。

峯子は、
青空に翻る鯉のぼりを見て喜ぶ子どもの笑顔を
どんなにか見たかった事でしょう。


この頃は、日華事変もすぐに終わり
そのうち栄が帰って来るだろうと思っていたのかもしれません。
長男一弘のお祝いは、
3歳の髪置き祝いまで待つことになります。


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峯子の寂しさ
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性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
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