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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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峯子の手紙には、何人かの女友達が出てきます。
女学校時代のお友達や幼馴染らしいですね。
本には掲載されなかった部分でしたが、
仲良しだったお友達も、
結婚は出来ても相手が子持ちの再婚で
想いが叶えられなかったり
いろいろな家庭の事情から憂鬱な日々を暮らしていたり
精神の病に冒されたり
早くに亡くなったりと、
時代の波に翻弄されています。
そんな時代でしたから、
峯子は、まだ自分は幸せだと
思い込もうとしていたようです。
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峯子は、
栄が戦地に行く前に
「お約束してくださいね」と契っています。
言いたいことは書かなくても分かるでしょう?
と念押しする峯子に、
栄はもちろん、約束は守ると言っているのですが、
手紙が届かないと、
「そうだな。お前の嫌がる約束を反故に・・・」と
脅迫(?)しています。
もちろん、戦場に女性はいませんが、
大きな都市などには、クーニャンを見かけるとか
栄は書いています。
女優さんのプロマイドなどが
慰問袋に入っていた折には、
「妬きもち焼きのお前にしては上出来」と
栄も喜んでいる風でした。(^0^)

峯子は、
妬きもちより、
栄に喜んで欲しかったからなのでしょうね。


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「峯子の寂しさ」
峯子は、他人の前では気丈に振舞っていますが
お手紙ではつい甘えてしまします・・・
と、寂しい胸のうちを綴ります。

===一部引用===
峯子 昭和17年4月

待ち侘びて四年半!

三月三年会はずとも、
いとし恋の若奴に

こんな歌の流行った事もございましたわね。
四年半なんですもの随分長い年月と存じます。
一日千秋の思いとか申しますのに、
別れ別れて千四百余日になるんですもの。
神様は、私達の存在をお忘れではございませんかしら?


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峯子の寂しさ
峯子は、長男を育てながら、
周りで妹や義理の姉に
次々と生まれる女の子を見ているのは、
羨ましく辛かったと思います。
長男一弘も、
そんな峯子の気持ちを知ってか知らずか
赤ちゃんが欲しいと子どもらしいおねだりを口にします。

峯子が第2子を授かったのは、
満洲海城にいる時だったのですが、
榮は、その子の顔を見ることなく
南の海に向かうのでした。



でも
峯子は、時折俳句を詠んでいます。

===一部引用===
17年 冬

胸に浮んだままを三十一文字に納めてみました。
拙い腰折れ御笑読下さいませ。

  ぼんやりと 唯物思ふ 癖つきぬ
   君のいたつき 耳にしてより

  夜もすがら 君を思ひて いねられぬ
   まぶたにいたし 朝の光りぞ


======
いずれも、「君」を詠んでいますね。
栄と峯子の長男の誕生日です。
栄も3月生まれなんですが。
栄の手紙には、
長男への誕生日にプレゼントを贈りたいが、
戦地ではどうすることもできない
と気にしています。
誕生記念に、写真を撮って送れと催促します。
峯子は、長男の成長を一緒に祝うべき
栄が不在で、
どんなにか寂しい思いをしていたでしょう。

3月、そろそろ年度末。
学校勤めの峯子も、忙しい時期です。
でも、そんなときでも
お手紙を書いてしまうのです。

===一部引用===
峯子 17年3月

煙の様な春雨が音も無く降っています。
鉛色の空の様に、峯子の心も何故か物うく重うございます。
年度末の総決算で事務が山積していますのに、
整理する気になりません。
多分生理的或現象の為でしょうとは存じますが・・・・
所在なさに今朝御便り差上げましたばかりですが、
またお便りいたしたくなりましたので、
思わずペンをとりました。


======
榮の好きだった春。
春になれば咲く花を見て、
峯子は、こんな歌を思い出し
もの悩ましい春!と書きます。

名もなき花も 春を知り
  山の小鳥も 歌を知る
  何ゆえ悲し 人の子は・・・・

この歌詞は、『夕日は落ちて
作詩:久保田宵二 作曲:江口夜詩(昭和11年)
の4番にあります。
二人の恋人時代は、
昭和8~9年ごろから?
栄が予備役に行っている頃とか
最初の満洲時代からのようです。
峯子が
3年の清い交際と言っています。
でも、その後1年半の新婚時代より
離れて暮らす期間が長くなると、
恋人時代のように
お手紙だけで結ばれているんですもの
と、
懐かしくも淋しげです。
マンネリにならずに良い?
いえいえ、
夫婦ですもの、
一緒に生活したかったでしょうね。



「峯子の寂しさ」
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栄の実家は農家で、米作や養蚕をしています。
嫁に行った峯子は
手伝うのが当然となるのですが、
子どもにはまだ手がかかるし
育った環境から、なかなか農作業はできません
栄も、両親に宛てた手紙で、
「峯子には、子守だけさせてやってくれ」と
援護しますが、
きっと両親からは間に合わない嫁と思われていたかも。
体にきつい労働も
日に焼ける作業で黒くなるのも
峯子には辛い事だったでしょう。

ですから、峯子は婚家では居づらくて
実家(三谷)によく帰っています。
しかし実家には、兄嫁も、まだ嫁がない妹もいて
そこも安住の地ではないと、
峯子は書いています。


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「峯子の寂しさ」
峯子は、当時の女性として
なかなかお洒落だったと思います。
豊橋(東三河では一番大きい都市)では
見かけても、三谷ではまだまだ珍しかった(でしょう)
電髪をかけたり、
着物があたりまえな時代に、
職業婦人として洋装で靴を履いて出かけたり
子どもにも、軍人さん風(国民学校かも)の(?)制服を着せて
写真を撮ろうとかしていますから。
既成品が珍しい時代ですから、
たいていのものは手作りしていたようです。
子ども服にも、気を遣い
峯子の要求レベルが高いかしらと
言ってます。
でも、お洒落しても
最愛の栄に見ていただけないのは、
つまらないわ、と思っていたでしょうね。
峯子の妹の結婚に次ぐ出産・義理の姉の出産で
まわりには結構女の赤ちゃんがいっぱい。
一粒種のご長男も、赤ちゃんがほしくなります
峯子も遊びにいったおり
きれいな着物を着た赤ちゃんを抱っこなどして
次は女の子が欲しゅうございます
と栄に書き送っています。

栄の手紙には、
女の子だったら「栄子」はどう?
なんて手紙を昔に書いていたようですね。
何が一番辛いかといって
子どもの病気の時ほど、
父親不在の責任の重さを感じたことはなかったでしょう。
口内炎、腹痛・下痢、湿疹、目の病気、など
子どもの病気はあれこれ多いですから。
また、いろんな場面で、ひとりで心配するだけで
親身になって相談する人もいなくて
困ったこともあったでしょう。
峯子は、
しみじみ淋しく思います。
坊やが病気をするたびに峯子も痩せそう

といいながらも、
戦地の夫に心配をかけまいと、
悪い事は終わってからの報告だけにしている
と決めています。
私どもの事はお気にかけずに
軍務にお励みください
]」と、
健気にも留守宅を守っているのです。

峯子は、17年11月ごろから19年春ごろ
日本に戻って来るまでの間
満洲の海城という町で暮らしています。
家族官舎は、水道も電気もひけて
文化的な生活ができていたようです。

17年9~10月、
渡満が決まり、嬉しくて落ち着かず
引っ越し準備もソワソワと、何を持っていくのか、
出発の日まで、あれこれ迷っている頃の手紙も
なかなかに興味深いものがあります。
峯子の心配は
家財道具のことばかりでなく、
学校に上がる年齢になる長男の教育のこと、
窮屈な生活になるのでは、と
知らない土地で暮らすこれからの生活に
あれこれ不安はいっぱいでしたでしょう。
しかし、栄のお側に行ける喜びは
待ち焦がれていただけに、
ひとしおだったことだと思います。








お勤めを終えて、
知り合いの兵士が無事帰還してきますと、
最寄りの駅まで出迎えたり、
戦地の様子はどうだったか
話を聞きに家まで行ったりしたようです。
そういった情報は、
役場でアルバイトをしていたり
父が役場勤めだったりしていますから
結構早くから知っていたでしょう。

でも、
いそいそ嬉しそうに出迎える兵の家族と裏腹に
峯子は
帰っていらっしゃるのがあなただったら・・・
と、つい軍人の妻らしからぬ思いを抱いてしまいます。
もちろん、
口には出さなかったでしょうが、
お手紙では、ポロリと本音を吐いてしまうのです。

峯子には、二人の妹があります。
峯子が栄の出征を見送って、
数年のうちに二人とも、良縁があり嫁ぎます。
特に末の妹には、時節柄華美を慎む時代だったにも拘らず
両親はかなり豪華に嫁入り支度をしています。
峯子は自分の時と比べ、傍目で羨ましくもあったことでしょう。
栄への手紙の中で、
何度か、「恋人時代の蒲郡海岸からやり直しましょう」と
書いています。
栄も、その心を察して、
「なんなら結婚式も盛大にやりましょうか」
と応えています。
優しい一言だと思います。



手紙の中で、ときどき出てくる
「・・・」
よく使われているんです。
原文では、「--------」とか、長いんです。
「○○○○ですもの----- だって、----」
などと書かれているんですが、
本には、「・・・」と簡単にしてしまったので、
峯子の余韻を感じてくださいね。

また、時折
オホホホホ……」 という笑い声もあって
結構印象的だったので記憶しているのですが、
本に入ったんだったかなぁ・・・
栄の好きな春
春が巡ってくると、桜は毎年咲きますが、
桜の花を見るたび、峯子は
「我が世の春は、いつ巡ってくるのでしょう・・・・」と淋しげです。
二人で暮らした思い出のスイートホームにも
桜の木があったのですが、
峯子が初めて自動車で五号に行ったのが、6月ですでに新緑。
翌年は、長男を産むので実家にいたので見えず、
その年の秋には栄が出征してしまい、
結局五号では「よほど桜に嫌われていたとみえ」
花は見ずに終わっています。
しかし、郷里の香りを、、
と峯子は、戦地への手紙に桜の押し花を挟んで送ります。
栄は戦場で怪我をしたり、戦地で病気になったり
五度も入院しています。
そのたび、峯子は心配もし、もどかしさも感じているのです。
お側にいたら看病もできるのに・・・・と。
知り合いの夫婦で、
帰還後もあれこれ病気になった夫を看病する妻を
気の毒に思うより、仲睦まじさを羨ましがっています。
栄の戦傷に、
峯子に翼があったなら、
野超え山越え海越えて飛んで行って介抱したいと、
表現しています。

愛は海も山も越えるのですね。
まだ幼児の長男は、「トウチャン」が「写真の人」の頃
新聞や町などで軍服姿の人を見かけると
「トウチャン」と呼んでしまいます。
無理もありませんね。
それとは違うかもしれませんが、
駅などで兵隊の姿を見かけると
栄ではないかしらとドキッとしたり
「あなたのお帰り」という
あり得ない期待を抱いている峯子です。
そのたび、
振りかえって「全然知らない人でガッカリ」するのです。

お互いの愛情を測る温度計があったら
峯子の方の水銀がずっと上がると
峯子は書いています。
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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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