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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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昨日分の記事更新を御休みしたので、
連続更新記録が飛んでしまいましたが、
5万アクセスという大きな目標も達成いたしまして、
今後もブログ更新は
マイペースで続けていきますので
ご了承ください。
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お世話になった出版社から新刊本がでました。
Hi! みのり
ニューヨークマラソンとその後

著者 中王子みのり
関連マスコミ記事
 中日新聞
 東日新聞

バリアフリーの世の中なら当たり前ですが、
なかなか考えさせられる世の中です。

彼女は、視覚障害でさらに車いすというハンデがありながら
凄く前向きなチャレンジャー。
学ぶ所が多いと思います。
暦の上では春を迎える立春。
栄も峯子も、春が好きでした。
峯子は、
季節の春は巡ってきても、
我が家の春はいつ??と
会えない寂しさを何度も書いています。








節分には豆まきをしますね。
当時も、節分には、
年男が神社などで豆まきをしたようです。

===一部引用===
峯子 17年2月6日

寒も、もう明きました。
節分にはやはり豆をまきました。
「福は内 鬼は外」と、
年男の呼ぶ声が道を通りながら聞えて来ます。


=====

本来、節分とは季節の変わり目である
「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをいいますが、
春を迎えるということは新年を迎えるにも等しいぐらい
大切な節目だったため、
室町時代あたりから節分といえば
立春の前日だけをさすようになりました。

また、季節の変わり目には邪気が入りやすいと考えられており、
新しい年を迎える前に邪気を払って福を呼び込むために、
宮中行事として追儺(ついな)という行事が行われるようになり
(俗に鬼やらいや厄払いとも呼ばれます)、
その行事のひとつ 
豆打ちの名残りが 豆まきというわけです。










===一部引用===
栄 17年2月ごろ

二伸 
次の様になった場合、
どういう具合にするか君の意見を聞きたいのだが、
次の便で返事してもらいたい。
もし家族同伴が出来る様になった場合、
君は如何にせくるや。


=====
17年の1月に、栄は足を怪我して入院していますので
やっと歩けるようになったかどうかという頃の手紙です。
入院中、今後の事を考えたのでしょうか。
12年8月から始まった日中戦争(栄は12年秋から参戦)が長引き、
奥地まで進軍した17年1月の長沙作戦で区切りがついたのでしょうか。
栄は、任地での家族同伴を許されたらどうするか、
追伸で返事を求めています。







まだまだ厳しい寒さが続きます。
日本列島は、冷蔵庫・冷凍庫の寒さです。

そんな冬の日も、春を待つのです。

===一部引用===
峯子 15年1月31日

「冬来りなば春遠からじ」
木枯の吹き荒ぶ荒野の草も山の木も、
芽ぐむ春を無言で待っております。
あれから二年有余、
ジッと我が世の春を待ち続けております坊やを、
峯子を、
春の女神はまだ見出して下さらないのかしら。


======

春の女神が峯子たちに微笑むのは、
まだまだ先になります。















1月31日は、愛妻感謝の日だそうです。
1(愛)と31(妻)の語呂合わせから。

【 愛妻感謝の日 】

神奈川県相模原市の浦上裕生氏が代表(隊長)を務める
「愛妻感謝ひろめ隊」が制定。
愛妻に感謝の気持ちを表し、愛妻感謝を世界に広める日に。










このブログは携帯からもアクセスできるようになっています。
少し見づらい部分がありましたので、
修整しました。
QRコードの読み取りが便利です。















昭和17年の1月、
栄は足をやられて、病院のベッドの上です。
峯子の編んだセーターの温かさに身を包みながらも、
戦闘に出られない焦りが文面に表れています。

===一部引用===
栄 17年1月29日

心配するな。
こんな事で心配していたら神経衰弱になってしまう。
戦死者に対して相済まん。
俺が、上陸以来
俺の身代変りになって貰った者より、
今度の方が多いが、戦闘ならやむを得ん。
殊に対英来戦が開始せられた以上、
その一翼たる我が隊も一層猛烈に敵をやっつけねばならん。


======

と、もどかしい気持ちを
戦傷位で騒いでいては東亜戦争は片付かん。」と、
平癒祈願はうるさくてかなわんから、
郷里でも騒がないように、クギをさしています。








このブログも、日々更新し、
アクセス数50,000達成(^0^)/


ありがとうございます。
大陸で新年を何度も迎えた栄ですが、
17年の正月以外に、14年の暮れにも戦傷をしているので、
何時のお手紙なのか特定するのに苦労しました。
手掛かりがあればまだ見当もつきますが、
ヒントがつかめず、順番がよく分からないお手紙も
実はまだいくつかあります。

===一部引用===
峯子 1月
今日もまた、灰色の空から冷たい粉雪がチラチラ降っております。
寒に入ってからめっきり寒さが厳しくなりました。
戦線のお寒さはひとしお肌をさす事と存じ、
ご労苦の程ご察し申し上げます。
ご戦傷のご経過は如何でいらっしゃいますか。
お寒い折故、ご快癒も手間取れます事とお案じ申し上げます。


======





大寒の17年1月、
入院中の栄は、を夢見ます。

===一部引用===
栄 17年1月25日

傷口付近が「バンソコー」で毛を抜かれ痛いので、
思い切って毛をそったら、
ちょうど峯子の腕の様になった。
去年夏頃ノーストッキングでいた峯子の脚を思い出した。
春を夢見た。


======

文中「去年の夏頃」とあるのは、
16年7月に約1ヶ月間の一時帰国の際に
家族と過ごした時期です。
この一時帰国の栄を、名古屋まで出迎えた7月7日は、
峯子の中でいくつかある記念日の中でも、
殊更大きな記念日になっています。













さすがに大寒。
日本列島上空は、雪雲が陣取り、あちこち大雪のニュース。
ほとんど雪の降らない蒲郡でも、
今日は日中小雪がちらつく寒さです。

15年の冬も寒かったようです。
雪もよく降っていたと書かれています。

===一部引用===
峯子 15年1月31日

毎日お厳しいお寒さでございます。
大寒に入ってからめっきりお寒く、
雪の降る日も今年は殊更多うございます。
でも、夜分は閉じ込めた部屋で
暖かい夜具に休める身は幸せでございます。
戦地の冬は不足がちの夜具で、
寒さに夜通し寝られないでいらっしゃるのではございませんかと、
将士の方々のご労苦に唯々感謝の言葉もございません。


====

峯子は、何かにつけ栄の苦労を思い遣ります。

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お手紙内容チョットだけよ








子煩悩な栄は、
たびたび息子への手紙を書いていますが、
入院中はたっぷり時間もあったようで
幼稚園に行くまでに成長した子ども宛の手紙を
続けて書いています。
以下は峯子宛の手紙に同封されたもの。

===一部引用===
栄 17年1月

一弘チャン
明けましておめでとう。
一弘君は今度六つですね。
今年から幼稚園ですね。
四月から元気で幼稚園にかよいなさい。
この間お母さんの送って下さった慰間袋の中に入っていた
「航空図鑑より飛行機の飛出す」絵は
大変上手に書いています。


======

当時の男の子らしく、
航空母艦や飛行機といった題材で描く絵が多かったのでしょう。
一弘君の絵は、時折送られてくるらしく、
以前より随分上手く書けるようになったと褒めています。
前の年の7月に一時帰国をしていますから、
その頃に見ていた絵と比べていたのかもしれません。

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子どものエピソード







野戦中は食事にも事欠くこともあったようですが、
少なくとも病院では
栄養のある食事が支給されたようです。
17年1月に入院中の栄の手紙
しかし病院はスープや牛乳等、
栄養物も支給されるので
目方は増加している
。」

戦闘中は不規則で量も不足がちなためか、
あれもこれも食べたいと、菓子など食べ過ぎるせいか
体重も増えているとあります。









今年は、1月23日が旧正月。
小正月:旧暦の行事として祝うこともあるようです。
峯子の実家でも、おばあさまが「もちい」飾りを作っていました。

新暦が一般的な日本でも
季節行事などは旧暦で行う方がしっくりする感じですね。
中国では、旧暦のお正月を盛大にお祝いするようですが。

お手紙の中で、15年~17年は、
旧暦と新暦と入り混じっているようで、
どちらの日付なのか、迷うことがままありました。





















17年の1月の激しい戦いで
栄は足を負傷し、5(4?)度目の入院します。
入院中の栄の手紙は、普段簡潔な文面と違い長文で
1月中に出されたものだけでも25、29、30
日時不明のものも合わせて5~6通はあります。
戦線に出ていて受け取れなかった
12月中に出された峯子の手紙の話題それぞれに
丁寧に返事が書かれています。
長男一弘君宛ての手紙もありました。
激しい戦闘で負傷した兵士も多かったようで、
早く隊に帰りたいとの思いと
傷で思うように体が動かないのとで
何をするでもなく、
たいくつでたまらん」とも。




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戦地の状況















17年の1月はドラマが続きます。
峯子が恥ずかしい初夢を見た年です。
1月18日の新聞記事誤報で、
栄の負傷が判明しました。
しかし、戦地からの便りは届かず、
傷の具合も重傷なのかはっきりしません。
峯子の心は不安でいっぱいです。

===一部引用===
峯子 17年1月21日

静かな夜半、ふと目覚めて、
明け方までまどろみも出来ず、思いを遠く、
貴方様の上に通わせて思い案じて、
もう三日ばかり落着かない日のみを過しています。
でも、峯子は覚悟はもうとっくに出来ておりますから、
決して驚かない筈でございます。

=====

知人が戦傷や戦死の報を聞くたび、
峯子も心痛み
覚悟をしていたのでしょう。



この時の手紙に、
峯子の心を詠んだ俳句が書かれています。



















長沙作戦で日本軍の目覚ましい活躍が載った記事です。


小さくてなおかつ不鮮明で判読不明(@0@);
本編p343をご覧頂いた方がよろしいかも。



17年1月18日新愛知新聞
目覚ましい功績を立てた日本軍の記事の末尾に
同姓同名の「大場栄」が負傷したと掲載されます。
二人の祖父は、住所が静岡県浜名郡芳川村になっているから、
榮ではなかろうと言います。
峯子の兄は、仕事で大阪へ行く折り、
名古屋で記事を見て下車し、
静岡の大場の間違いなり安心せよ
電報を打ちます。
でも、
峯子は住所は違っていても、胸がさわぎます。
何度も戦傷した栄ですが、もしやと
不安でまんじりともせず夜明けを迎えたことでしょう。
そのときのことを読んだ俳句も残っています。




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2011年2月に出版。
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