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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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今年は、1月23日が旧正月。
小正月:旧暦の行事として祝うこともあるようです。
峯子の実家でも、おばあさまが「もちい」飾りを作っていました。

新暦が一般的な日本でも
季節行事などは旧暦で行う方がしっくりする感じですね。
中国では、旧暦のお正月を盛大にお祝いするようですが。

お手紙の中で、15年~17年は、
旧暦と新暦と入り混じっているようで、
どちらの日付なのか、迷うことがままありました。





















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クリスマスのプレゼントという習慣が
(特にクリスチャンではなくても)当時もあったようで、
栄は戦地から1カ月も前に
峯子にもプレゼントの事を託しています。

===一部引用===
栄 16年11月24日

家に居たら、
一弘のクリスマスの贈り物をするんだが、
何か良いものを見つけて、
僕からと言ってやっておいてくれないか。
君にも何か僕から贈り物をしよう。


======

このとき、栄は何をプレゼントしたのでしょうね?













現在の天皇誕生日は12月23日ですが、
栄達:昭和の時代の天皇誕生日は
4月29日で、天長節と言っていました。
(現昭和の日
国民の祝日は、
呼び名が変わったり、日が変わったりしていますね。

【天長節】
1927(昭和2)年から1948(昭和23)年までは
4月29日は「天長節」という祝日で、
四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。

峯子と栄の思い出の
紀元節
恋人時代の2月11日です。






栄の手紙は、おおむね
短い時間で書かれています。

===一部引用===
栄 16年11月

乱筆で沢山書きなぐった。失敬する。
最近字が乱暴になっていけない。
手が無茶無茶に早く動いて他人に読めない字ばかり書いている。
読み難い事と思うが、判読せられたし。
一つ書類を記事にするのに
頭に浮かんだ事をすぐに書き現わさないと、
文章が出来ないので自然こうなってしまった。
ゆっくり読んで味って貰いたい。


======

癖字を読み取り
判読するのに時間がかかりました。


出版本カバーの後ろ側に、
栄の文字が入っています。










昨年の今頃は、
大場栄と峯子の戦火のラブレター」出版に向け
ハードな編集作業の真っ最中でしたね。
2010年12月の記事を読み返してみると、
たった1年前が、もう、遠い昔のようです。ww
峯子さんたちは、
離れ離れで9年間!
お手紙だけで結ばれていたなんて、
考えるだけで気が遠くなります。










峯子の本当に最後の手紙には、
栄のサイパン島タッポーチョからの生還の新聞記事のことが書かれていました。
(映画「太平洋の奇跡」の感動的なあのシーンが目に浮かびます。)
峯子の文面には「『大場榮』の活字を
涙でうるんだ瞼をぬぐいぬぐい、
何度見直しました事でございましょう

という19年12月3日付のAP通信とあったのですが、
中日新聞には、同年翌日のバックナンバーコピーに
「サイパン島生き残りの隊長 大場大尉は三河出身」という
大場栄の記事がありました。


この記事を見つけた時には、嬉しかったですね。
峯子の気持ちが分かるような気がしました。











12月になり、11月のカレンダーをめくり
我が家のカレンダーは最後の1枚となりました。

栄の手紙には、
何枚か日めくりが同封されていました。
一日1枚ずつめくっていく、あの1枚です。
なぜ、破られた1枚が手紙に入っているのか
最初は意味が分からず、不思議でした。

栄は「赤い数字は何だか解るかい?
と謎をかけます。

栄は、赤い色で
大晦日まであと何日・・・と
ゲームのように数字を書き記し送ります。
二人だけに分かるやり取りがあったのでしょう。


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作業の裏話













昨日の記事に、
お声が聞きたい峯子の手紙に触れましたが、
栄のマナの声については、
「タッポーチョ 敵ながら天晴」の著者と
昭和57~58年ごろの、
本の出版やサイパンへ日米合同慰霊祭の報道ニュースビデオを、
「読み解く会のつどい」
聞いたことがあります。
低くてやや太めのハッキリした声という感じでした。
もう60代の頃ですから、
若いころとは違っていたかもしれませんが、
峯子の聞きたかった声はどんなだったのでしょう・・・・














10月23日は、電信電話の日です。
これは明治2年9月19日(新暦換算して10月23 日)に
東京ー横浜間の電信線の設置工事が
始まったのを記念するものです。
今では当たり前に携帯電話がありますが、
そういう通信手段がなかった時代は、
外出先で連絡したい時には困った事でしょう。

峯子の手紙に(16年暮れごろ)
妹と、もう一人の妹婿の赴任先の浜松に出かけた折、
知り合いと思われる兵隊がホームで呼んでいたと
電車の中で隣の人から聞かされ、
電車はもう発車していて、
次の駅で降りて戻ろうかどうしようと迷う場面があります。

===一部引用===
峯子 16年12月

(文作氏:峯子の義理の弟)「いくら呼んでもお姉ちゃんは、すましていて、
こちらを見ないから
万策尽きて飛び乗ってしまった」ですって。
でも危ない所で、(すれ違ってしまわず)
お目にかかれて本当に良かったと嬉しく存じました。

======

こういったエピソードも当時ならでは。
こんなときでも、携帯電話があれば、
ヒヤヒヤ心配しないですんだことでしょうが。
便利な機器のある時代はありがたいですね。

このブログは、アトランダムな手紙の解読と同じように
気ままに綴っておりますが、
読んでいらっしゃる方に
興味を持っていただけるよう、
季節や栄や峯子の手紙に出てくる日に合わせて書いています。

10月は、その意味で記念すべき日が沢山あって、
なかなかに充実しています。
10月10日の雨の日の出来事
峯子の本当に最後の手紙
栄の一度目の葬式
思い出の秋祭り
などなど、
二人の「秋」のエピソードはたくさんあります。


「大場栄と峯子の戦火のラブレター」書籍の方は、
順序立ててお読みいただけますので
分かりよいと思います。


このブログの読み方















===一部引用===
峯子 21年10月15日

何から先に申し上げましたら、
この峯子の嬉しい気持ちがお解りくださいますかしら。
本当に、
ようこそお元気でおいで下さいましたわね・・・・・。
満復の感謝の意を捧げます。


======

この喜びに文字も踊る手紙は、
「大場栄と峯子の戦火のラブレター」出版後になってから
他の手紙の束の中にまぎれ、見つかったものです。
いつものお手紙の倍近く
8枚の便箋にびっしりと書かれています。
きっと、栄が「帰る」と知らせた返事で
書かれたものが、
宛先が不明だったか、
間に合わなかったか、
何らかの理由で出されなかったものなのでしょう。

この手紙で、いろいろな事が分かりました。
手紙で言及されていた新聞記事もあり、
裏付けがされています。

よくぞ書いていただきました。
峯子さんの筆まめに感謝です。






満洲へは、門司から海路で朝鮮半島へ、
釜山から満州鉄道で海城につきます。
大連周りもあるようですが、
峯子と一弘は、
栄の用意した割引証
10月の内に出発しています。
割引証の日付が違うと、
もう一度満洲の事務所で発行手続きをしなくてはならないので
11月に出発するようなら、どうしたらよいだの
渡満の準備について
いろいろ指示しています。

===一部引用===
栄 17年秋

峯子達の招致は色々都合もある事と存じますが、
先ず十一月頃と予定し願いを出しておきました。
(中略)許可あり次第、
家族証明書、運賃割引証その他、必要書類を送ります。
朝鮮の釜山経由にしておきました。
割引証も釜山からこちらまでの満鉄の割引証です。
大連廻りもありますが朝鮮の方が良い様
です。
荷物はチッキにする事が楽な様です。

====

栄は満洲の様子が分かるよう、
住まうことになる家族官舎の間取り
長男が通うことになる学校の事も
書き記して送っています。
この経路は一般的だったようで、
16年の7月7日から約1ヶ月間
栄は一時帰国をします。
その間は、もちろんお手紙を出していませんから、
濃密に過ごしたであろう一カ月の出来事は、
その後の手紙の中から想像することしかできません。
分かっている事は、
峯子が「あなた」と呼べるまでにしばらく時間がかかった事、
念願だった「ふきぬき」観光ホテルに泊まった事、
栄が留守をしていた3年9カ月の間の世の中の変わりようにビックリした事、
子どもが最初は恥じらっていたが、とても父親の存在が大きくなった事など。
その後の文面でこの一時帰国のエピソードが
しばしば出てくることで
二人にとっても忘れ難い日々だった事が分かります。
およそ栄の手紙は文面は簡潔です。
(長文を書いている場合は、
何度も負った戦傷で入院中か、
兵隊の教導(指導)で本部にいる時代です。)
ほとんど日付も書いてない場合が多いので、
所属の隊名や位がヒントになって
年号別に類推することができます。

15年ごろの栄の手紙
====

進発以来○○は、目下敵陣深く○○を目前に控えている。
こんな奥地で便りが書けるのが不思議だ。
毎日暑さと南京虫とノミに悩まされているが、
御蔭で元気。
酷暑の折柄、御自重 御奮闘を祈る

        於○○   栄


中支派遣山脇部隊
   本部 サ
            大場中尉


=====

文面に伏せ字があっては、
どこにいるのか分かりません。
作戦など漏れないよう軍事機密というのは分かりますが・・
峯子の手紙は、子どもの成長とか
地域の話題とか、
親戚筋の話とか話題が豊富で
結構年代が推定される事も多かったのですが・・・・
栄の手紙には、こちらが悩まされましたよ。


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作業の裏話
峯子の三谷の父・平野伊助は
14年6月、満洲に慰問に行っています。
===一部引用===
峯子 14年6月15日
三谷の父は六月二十六日、
宝飯郡代表で満州へ三河村(三河出身の移民ばかり居る部落)
へ移民の研究に行かれます


======

この、満洲への3週間ほどの
旅のお土産に黒ダイヤを買って帰るのですが、
平野家一族の中に、
まだ大事に持っている方がおられ、
編集者の間で、ちょっと話題でした。
何しろ、たくさんのお手紙ですから、
データに打ち込んだり、
読みやすい日本語にしたり
という作業を2010年5月から秋・年末にかけて
「大場書簡を読み解く会」の
何人かで作業を分担して
したわけですね。
同時に、誰に何番(5桁の通し番号)の手紙を渡して
いつ戻ってきて次の校正は誰に回したか、
いつチェックしたか、
という管理もしていました。
大変な量で、パソコンも嫌がるぐらいww
これが、結構大変で、
エクセルの表にしていたのですが、
一度に仕事が溜って忙しいと
きちんと確認を取れずに
次の人に渡したりした事もありました。
後半は、アトランダムに書かれたお手紙
年代順のジグソーパズルを解くように
編集長とアーダコーダ協議していましたが。
1冊の本に納まるよう、削って削ったのもなかなか大変でした。
今でこそ、内緒で告白しますが・・
年を越えてから、
データが抜け落ちている事に気づいたものもありました。
Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
ということで、
ドタバタの編集ぶりでございました。

内緒だからね!


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作業の裏話
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
このブログも、毎日更新継続中です。
アクセス数も、一時は1,000超えもございましたが
このところ落ち着いております。
サンキュウ~・・・通算39でございます。
栄さんと峯子さんの
お手紙を読むことになった時、
最初に面食らったのは、
旧漢字で画数の多い文字が
いっぱい書かれている事。
普段、パソコンなんて使ってますと、
変換間違いとか、
手書きで文字が直ぐに思い出せずに書けないなんてことは
しょっちゅうあるのですが、
あの当時は、
常時難しい漢字を書いていたんですよね・・・
旧漢字ってかなり今の漢字と比べて画数が多いですから。
とかとかとかとか。


栄は、戦場で辞書も手元に無かったでしょうから
本当に感心します。
一通だけでしたが、
便箋の番号に、英語表記で記したものがあったり
ハガキの年賀状で、英語で書かれたものがありました。
「英語のつづりも忘れた」と
言っていますし、多少の間違いもありましたが、
なかなかたいしたものです。

なお、この当時は、「敵」は支那で
アメリカではなかったのですから、
英語は「敵国語」ではありませんでした。



以前お知らせした「最後の手紙」の大発見ですが、
そのお手紙の中に記載されている
「新聞記事に大場栄という文字が・・・」というくだり、
終戦の年の古い当時の新聞のバックナンバーを調べていて
見つけました。
でも手紙に書いてあったのと発行日が違っていたので、
きっと峯子の読んだ新聞と発行新聞社が違うと思うのですけれども。

でも、記事は記事。
なんだか、とても朗らかです(久々の栄調www)
大場書簡を読み解く会ニュース11号のトップ記事にしますね。(^0^)♪
先月(2011.3月)、大発見!とお知らせしましたが、
実は、整理されていない手紙の中から
栄がサイパンで活躍をしていた事や
生きていたと分かった峯子の
夢のようだという
喜びを綴った手紙があったのです。
「南方で戦死」と通知されて
葬式まで出し、
望みを失っていた峯子にとって
栄の生存の報は
どんなに驚き、嬉しかったことでしょう。

第2刷には、このお手紙にも触れる予定です。

あれ?
三河三谷でお別れって?
でも、それまで仮定していた設定と
違ってるジャン?
またまたが・・・(><)
順不同のお手紙から解き明かされるパーツは
埋まらないジグソーパズルです・・・・
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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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