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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
卒業式が終わると、春休み。
栄は試験休みと言っていました。

===一部引用===
栄 16年3月
今日は三月一七日、学校も卒業式のある頃だ。
一貫は卒業する事と思うが、旅順行きは確定か。
お前の学校の卒業式は何日か。
試験休みになるので、一弘も楽しみが増すことと思う。
五号の潮干狩りは未だ行って来ませんか。
試験休みに行って来たら良い。

====
【注】 一貫 栄の弟

そろそろ、潮見表が気になる季節。
五号は、二人で新婚時代を送った思い出の地(豊橋)ですが、
蒲郡にも、遠浅の浜で潮干狩りのできる海岸が沢山あります。
峯子も、一弘君を連れてたびたびアサリ採りに出かけています。



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当時、上流階級や会社役員、兵士の制服は洋服ですが
一般の女の人や子どもの普段着は、
着物姿が普通で
洋服は「お出かけ着」といった感じでしょうか。
家族や女工さんたちと撮った写真にも、
たいていは縞や伝統的な模様の地味な感じの和服です。

洋服も既製品は少なかったのでしょう。
峯子は洋裁も習ったのか、
コートも自分で作ったりしています。
峯子は、勤務先の学校には、
洋装で行っていたようですが、
改まった場所や式典には和装で行くと、
皆に褒められ、ちょっと自慢気な様子を
栄への手紙に書いています。
子どもも、普段は着物で裸足か草履。
洋服に靴は、少し裕福な層か
お誕生日の記念写真に身につけるものだったのでしょうか。
誕生日のプレセントに、
洋服を、という記述が時折見られます。

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当時の社会




太平洋戦争中の1945年1月13日、三河で大地震があり
多数の犠牲者が出ましたが、
戦争中のこととで、戦意を喪失することを恐れ
大きく報道されませんでした。
しかし、地震による断層は今でも残り
「深溝(ふこうづ)」という地名にも現れています。
ウィキペディア三河地震

昔からどこにでもあった地震ですが、
今のように耐震家屋のなかった時代ですので、
当時、かなりの被害が出たようです。
しかし、国民には、戦意を喪失するとの懸念で
報道は大きくされませんでした。
当時は、情報の開示は軍部に都合の悪い事はされていませんでした。















戦争中に落とされた不発弾が、
70年も眠っていたんですねぇ。
浜松で不発弾の処理ですって。
静岡新聞記事より一部転載
~~~
2月17日に不発弾処理 浜松・遠州灘海岸
(2013/2/ 7 17:50)
 浜松市は2月17日、中区南伊場町のJR東海浜松工場で見つかった
不発弾の処理作業を南区新橋町の遠州灘海岸で実施します。

17日の不発弾処理 3800世帯に避難指示 浜松
(2013年2月5日付静岡新聞朝刊)
 浜松市は4日、同市中区南伊場町のJR東海浜松工場で
昨年10月に見つかった不発弾の対策本部会議を市役所で開き、
17日に行う不発弾の移送と爆破処理の工程や避難計画を明らかにした。
約3800世帯、1万人が避難指示の対象になる。
 不発弾を移送しての爆破は同市内では14年ぶり。
信管が外せないことや発見場所が市街地であることを踏まえて処理方法を決めた。
~~~
戦争の後処理はまだ続いているのですね。

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当時の社会


今週末は、栄も峯子も楽しみにしていた三谷祭(みやまつり)。
祭り前は、毎晩のように祭囃子や踊りの音楽が聞こえてきて
なんだか気もそぞろで落ち着きません。
江戸時代から伝わると言う三谷祭、
町内ごとに装束も踊りも曲も違うので、
それぞれが我こそと誇りを持って競い合い、なかなか勇壮です。
三谷の山車は素晴らしく絢爛豪華ですが、
これが、海に入るので、(その時には金糸の刺繡部分は、外すらしい)
足回りなど普通の山車とは作りが違うのだそうです。
この山車が若宮神社から八剣神社まで練り、また帰ります。
峯子たちの時代も、300年の伝統を受け継いでいたのですが、
戦争で祭りの規模も縮小されたのでしょう。
お囃子など昼だけで夜は何も無いのでつまらない、
あなたが居ないので、祭りも昔ほど楽しみではございません
などと書かれてもいました。

峯子の町・三谷ウォーキングツアーでも、
重要ポイントとして、三谷祭りに関る神社は、ちゃんとチェックしておきました。
公式サイト「三谷祭」

7日の体育の日に書きましたが、
以前は10月10日だった体育の日。
選定された理由の一つに、
この日の快晴率が高いというのがあったらしいですが、
昭和12年は外れていたようですね
栄の元に届いた赤紙を受け取った日は
あとあとまで峯子が嫌いという雨の日でした。




10月の第2月曜日が体育の日になる以前は、
1964年東京オリンピック開会式の行われた10月10日
(晴れ率が多いのだそうです)が国民の祝日としてスポーツの親しむ日として制定されていましたが、
2000年よりハッピーマンデー制度の適応で、
第2月曜が「体育の日」となっています。
最近は、秋はイベントが多いので
春に運動会を実施する学校も多くなっていますが、
昭和の時代は運動会と言えば「秋」でしたね。

峯子が渡満の準備でソワソワしている17年、
出発前に三谷祭りや勤め先の運動会などもあり、
それを済ませてから、渡満の準備をしていたようで、
気ぜわしい秋だったことでしょう。
===一部引用===
峯子 17年10月20日
三谷祭も昨日、好天候に恵まれて終りました。
所謂子鹿踊りを、今年こそは
一弘ちゃんも充分見物出来ました事と存じます。
二十二日はまた校内運動会でございます。
十月半ばのお約束でございましたのが、
また急に運動会だけはすましてくれと(校長が)おっしゃいますので、
二十一日二十二日と出校する筈でございます。
出発準備に本当に心忙しく存じますけれど、
校長先生のお言葉も今更お断り出来兼ねて、
つい出る事にしてしまいました。

======

出発は、割引証を書き換えずに
10月中に出たようです。





昨夜遅く、フィリピン沖で発生した地震の影響で、
日本の太平洋沿岸に津波が、、、という注意報で
ビックリしましたね。

蒲郡は三河湾の奥にあるので、
外洋の波も、知多・渥美の半島が防波堤になって
穏やかなんですがね。
昭和19年12月、20年1月に、三河地方でも大地震がおきましたが
戦時中のため、大きく発表されなかったという話を聞きました。


9月1日は防災の日(1960年に制定)でもあるので、
訓練があったりしますが、実際に起きても慌てずに行動できるよう
日ごろからの心構えが必要ですね。







夏の思い出は、いかがでしたでしょう?
もう、ツクツクボーシが夏も終わりと鳴いています。
峯子は、15~17年頃、三谷小学校の先生をしていて
夏休みの間も日直や出かける事もあって忙しく、
長男の一弘くんとなかなかゆっくり遊べなかったらしいのですが、
乃木山近くの海に連れて行ったり、
お祭りに出かけたり、
夏を楽しんだようです。
栄といっしょの海水浴の思い出の大島にも
連れて行ったことでしょう。



昨年の8月15日にも書きましたが、
正午のラジオ放送のあった昭和20年8月15日は、
「国民に天皇が知らせた日」であって、
国際的な終戦は、9月になって
正式に降伏文書にサインした日が、終戦記念日だそうです。
もちろん、栄達は遠く南のサイパンにいて
軍の決定も、天皇のラジオ放送も知らず、
12月になってタッポーチョ山を下りる日まで
終戦」は無かったのですけれどね。

そのラジオ放送を東京に勉強にいっていた時に聞いたという
当時はまだ若かった方にきくと、
避難先で皆がラジオの前に集められ、
放送を聞いたそうです。
雑音が多くてよく聞き取れなかったが、
「戦争が終わった」という意味は
なんとなく分かったと言っていました。



あいにく1日の日曜は雨で
肌寒いお天気でしたので、
海開きと言っても海へはいる人は無かったと思いますが、
今年も大島への渡船が始まりましたね。
通常は無人島の三河大島ですが、
7・8月の夏の間だけ海水浴場としてオープンです。

峯子は、三河大島の海水浴
まぶしい思い出として書いています。

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思い出の場所など







潮干狩りシーズンです。
竹島海岸では、潮が引く大潮には
歩いて竹島まで渡れるほどで、
広がる浅瀬は、
貝より多いかと思われるほどの人出でにぎわいます。


竹島海岸は、当時から潮干狩りもしていたでしょう。
峯子と栄にとっては、
思い出の紀元節竹島海岸
恋人時代の始まりの記念日だったのですけれどね。


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4月になりました。
新学期が始まります。
栄は、御津(現豊川市内)や吉田方(豊橋市)で、
峯子も三谷(当時宝飯郡、現蒲郡市)で、
教師をしていましたから、
新学期の始まる4月は、
新入生を迎える準備や未来への希望で
身も引き締まる時期でしたでしょう。



すべての意識が、戦争に向かっている社会。
当時は、軍隊式に統制されていたとはいえ、
16年当時には
ささやかな市民の楽しみはあったようです。
でも、酒を飲む兄の事を峯子は愚痴をこぼしています。

======
峯子 16年4月27日
兄もこの頃は、益々酒好きになり、
日が暮れてから深夜まで家にいることは殆どございません。
こんなの典型的な非国民ね。


=====

まあ、冗談のような口ぶりですが、
少々のことは大目に見られていたのでしょう。
お酒については、
栄は帰ったら、
土曜の夜くらいは峯子のお酌で飲みたい
温かい家庭での暮らしを描き希望を語っています。













太平洋戦争の終戦直前
徴兵され家族と離れて出兵せざるを得ない状況下、
兵を送りだす家族の心情は、複雑です。
国の為にという大義名分で
自分の不安や寂しさは
覆い隠して過ごしていた方が多かったでしょう。
「国の為」が最優先で、
異を唱えれば、「非国民」と蔑視される世の中だったのですから。

そんな時代でも、
「大場栄と峯子の戦火のラブレター」に収録されたものを見ると、
峯子は、随分と率直です。
栄の手紙の中でも、
人間としてあたりまえな感情が
僅かですが吐露されている部分もあります。
手紙を通して
離れているからこそ、の
絆が生まれているようです。
このような絆は、
栄と峯子だけでなく
多くの若い兵士たちやその家族にも
見られたことと思います。




暦の上では春を迎える立春。
栄も峯子も、春が好きでした。
峯子は、
季節の春は巡ってきても、
我が家の春はいつ??と
会えない寂しさを何度も書いています。








節分には豆まきをしますね。
当時も、節分には、
年男が神社などで豆まきをしたようです。

===一部引用===
峯子 17年2月6日

寒も、もう明きました。
節分にはやはり豆をまきました。
「福は内 鬼は外」と、
年男の呼ぶ声が道を通りながら聞えて来ます。


=====

本来、節分とは季節の変わり目である
「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをいいますが、
春を迎えるということは新年を迎えるにも等しいぐらい
大切な節目だったため、
室町時代あたりから節分といえば
立春の前日だけをさすようになりました。

また、季節の変わり目には邪気が入りやすいと考えられており、
新しい年を迎える前に邪気を払って福を呼び込むために、
宮中行事として追儺(ついな)という行事が行われるようになり
(俗に鬼やらいや厄払いとも呼ばれます)、
その行事のひとつ 
豆打ちの名残りが 豆まきというわけです。










何度も確認のやり取りの出てくる栄の俸給。
兵士の俸給は、月ごとに郵便局で受け取ります。
この払出通知票には、
1月の俸給で、93円22銭とありますから
中尉のころでしょうか?
戦場に出ると、危険手当みたいなのも付くのかなぁ?
払渡局名は三谷局になっています。
峯子は、栄が体を張っての報酬に感謝しながら
毎月三谷の郵便局まで受け取りに行ったのでしょう。

=====
払出通知票

名古屋城廓内名古屋師団経理部

一金 九十三円二十二銭 現金払

通信文 従軍者に対する
      一月分俸給


======

俸給とは別に、
栄が送金したりすることもあったようです。








新暦の1月15日を小正月といい
大正月(1月1日)とは違った行事があったようです。
16年3月ですが、峯子の手紙に、
今日は、いわゆる「もちい」とか申しまして、
お祖母さまはお団子を丸めて
餅の花を指していらっしゃいます
。」
とありますので、
花餅のお飾りを作っていたようです。


栄は、郷里離れて迎える4回目の小正月に
「もちい」とは懐かしい、と言っています。








飛騨高山では
峯子の手紙に、
職場の三谷小学校の改築工事の話が出てきます。

===一部引用===
峯子 17年1月14日

三谷校の校舎の材料がやっと整い、
本日、棟上げでお餅投げがございました。
階上階下共で十四教室でございます。
出来上りましたら、さぞすばらしい事でございましょうと、
今から期待いたしております。


====

棟上げの餅投げは、
今でも蒲郡市内でよく見られます。




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2011年2月に出版。
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