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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
第二次世界大戦で行われた暁部隊の特殊任務「マルレ」について
明日から百姓になります」の手紙を書いた
小笠原久雄さんの任務地だった
広島へ行ってきたいと思います。
報告は、また、帰ってからのお楽しみに。




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「永遠のゼロ」太平洋戦争時の特攻を描く
百田尚樹氏の同名小説が原作で
同名のマンガも出版されていますが、
映画化され、2013年12月に封切予定とか。

ゼロ戦パイロットだった祖父・宮部久蔵はどう生きたのか?
同じ時代を生きた大場栄小笠原久雄とも
共通する部分がありそうです。

戦争を知る世代がどんどんいなくなる中、
風化を食い止める、話題作になると期待しています。
若い世代に人気の俳優さんらが演じるので、
「生きる」とは?「戦争」とは何だったのか、
それぞれの命を考えるきっかけになることでしょう。








先日、ファミリーヒストリーというテレビ番組を見ていて、
ビックリした事があります。
毎回、現在各方面で活躍していらっしゃる方の祖先・親族の
知られざる歴史を紹介するという番組です。
船越栄一郎さんを取り上げた回でしたが、
お父上の船越英二さんは、戦時中、香川県の陸軍船舶学校にいらしたそうです。
そこで、マルレ作戦に関わっていたというのです。

このブログでも紹介しましたが、
小笠原久雄さんの特殊任務マルレといっしょです。
マルレについては、小笠原さんの書簡集「明日からは百姓になります」に、
特殊任務についての説明があります。

私の見たテレビ画面では、一人乗りではなく、
もう少し大きな船でしたが、やはり木造のようでした。
終戦間際で、船の材料も何もなくなってきた頃でしょう。
しかし、出撃すれば、生きて帰って来れない任務ですから
本当に、終戦で命拾いをされたのですね。

多くの人々の犠牲を出す戦争は
もうしません。
合掌
日本は、太平洋戦争に負けて、戦争をしないと
国の決まりを作りました。
でも、この選挙で、平和憲法を変えて
戦争のできる国にしようという動きがあります。
戦争は、まちを壊し、田畑を潰し、
人の心も破壊するだけで、何も生み出しません。
力で優位に立とうとせず、
意見の違いも、歩み寄りの努力で解決し、
緑と海の自然を大切にしていくこと、
今生きているわたしたちが
次の世代に残していくべき事だと思います。


どうぞ、戦争のできる国にはならないよう、
国の方向を決める選挙の一票を
お願いします。






1972年9月28日、
日本と中華人民共和国と国交を結んでから
今年で40周年。
しかし、日中国交正常化記念式典は、
このところの反日デモなど暴動騒ぎで
中止となってしまいました。
襲撃された日本料理店など、
再開してもお客が寄り付かない始末。
日本料理が悪いわけでもないのに。
作られた反日感情等のネットニュースもあり
どこまで真実か良く分かりませんが
常識の通用しない中国民衆の行動が、
コツコツと積み上げてきた和平を
一度に崩してしまったようで、
大変残念です。


島をめぐっての日中関係がおもわしくないですが、
1931年9月18日は、
満州事変の発端となった柳条湖事件から81年。
満州事変はその後
1.満州事変(1931年9月18日 ~ )
      ↓
2.日中戦争(支那事変)(1937年7月7日 ~ )
      ↓
3.太平洋戦争(1941年12月8日 ~ )
と、15年戦争へつながっていきます。

いずれにせよ、私たちの過去を反省し、
いがみ合い罵るのでなく、
冷静な対応で、
隣国とのお付き合いを正常化したいものです。



名古屋市にある戦争と平和資料館「ピースあいち」
行ってきました。

平和をテーマとする作品展(特別展:3階)もやっていました。
2階は歴史と人々の暮らしの展示、
1階の資料コーナーに、戦争関連の書庫があり、
戦争用語辞典とか、陸軍特別部隊とかあまり
お目にかからない本もありました。
で、小笠原さんのお手紙に出てくる
暁部隊とか「レ」の特殊任務についての記述がないか聞いてみたのですが
まとまったものはないようです。
また、豊橋18連隊について記述のある本も見たのですが、
サイパン・グアムで玉砕とされており、
大場隊のことには触れられていませんでした(残念!)
でも、戦争を語り継ぐ活動は、県内各地で行っており、
語り部の方のお話のDVDもあるようなので、
また出かけて閲覧してきたいと思います。
先日、新城市の旧門谷小学校で開催された
海の特攻(マルレ)部隊から生還した小笠原久雄さんの手紙集
「明日からは百姓になります」出版記念特別展示会
行ってきました。

会場の鳳来町旧門谷小学校は、昭和45年廃校以来
村の施設として利用されていたようで、
特別教室以外は畳敷きで宿泊のできるようになっていました。
初日の模様が、中日新聞に掲載(2012 8/21)されたので、
地元の方や所縁ある方々、興味を持っていらした方、
当時の事を知る方々に会場でお会いすることができました。

会場には、手紙の他、北満ノモンハン時代の写真、従軍証など
貴重な展示品もありました。
午後からは
これから出版の水谷さんや、小笠原さんの娘さんから
古い資料やアルバム、背景となった戦争時代、
久雄さんの任務暁部隊マルレ等の説明がありました。

展示会場では、
終戦直前に徴兵され大陸に行って1カ月で終戦を迎えた方の
お元気な姿に驚きましたし、
また久雄さんと同じように戦争に関わった方のご家族から
消息が明らかになったり、
貴重な出会いがありました。

また、展示終了間際には、
徴用されてマルレのボートを運んだという戦争体験者もいらして、
数少ない体験記をうかがうこともできました。

ここでしかというか
だからこそというか
切れた糸がつながったような
出会いのある展示会でした。


「明日からは百姓になります」出版サイト
先日お知らせしたCBCのイッポウの特集番組
ご覧になれましたでしょうか?
私めは、1日遅れで拝見いたしました。
出ましたね~!
例の軍刀
ドンジョーンズさん(タッポーチョ 敵ながら天晴~大場隊の勇戦512日著者)が、
大場栄さんの元に返したという、
サイパンのタッポーチョ山を下り、
米軍の司令官に手渡した写真に残されている
例の軍刀です。

私も初めて拝見しました。
歴史の重みを感じます。
大場家の家宝と言っておられましたが、
戦いの時を超え、
日米の友好の架け橋とも言えると思います。





サイパン・テニアンで亡くなられた方々の
鎮魂の慰霊祭が、
現地で毎年開かれています。
北マリアナ諸島サイパン島北部のマッピ岬には
沢山の慰霊碑が並んでいます。

日本の慰霊碑。「太平洋の奇跡」出演者も
サイパン試写会の折り、慰霊碑に折りヅルを捧げ祈りました。

敵味方に分かれて戦った
大場栄と、ドンジョーンズですが、
戦後、同じ時を過ごした者同士としての友情が生まれ、
日米共同のサイパンの慰霊祭に参加しています。
上記映画の原作となったドンジョーンズ氏の著書
「タッポーチョ」冒頭に、
タッポーチョ山頂や、サイパンメモリアル記念館にも大きな写真のある
例の軍刀を栄の手に返すという印象的なシーンがあります。






この8月で、
「大庭栄と峯子の戦火のラブレター」ブログも3年目になります。
初心忘れるべからず・・・ということで
最初の記事を見ると
「大場書簡を読み解く会」発足の経緯が書かれ
私と大庭栄・峯子の出会いが紹介されています。
今でも、驚きをもってこの出会いのエピソードを
思い出すことができます。
郷土に、映画の主人公にもなる人がいたという驚きです。
そして、
ドンジョーンズ氏の日本兵に対する畏敬と
戦争を忌まわしい思い出として葬り去るのではなく、
国のために立派に生きた人たちがいたことを
後世に伝えたいとの平和な世界への想いが
とても重みをもっている
タッポーチョ 敵ながら天晴れ 大場隊の勇戦512日」の
あとがき(追記)が
いつも原点です。



以前、栄の勤めていた思い出深い豊川の御津南小に
米国から送られた青い目の人形の話題
描きましたが、
今回、新城と幸田に保存されている人形が
海を渡ってアメリカの展示会に出品されるそうです。
東日新聞2012.2/21より

昭和初期のころに送られてきた12,000体もの人形ですが、
現存するのは、愛知県でも9体しかないそうです。








お正月三が日も終わりました。
お雑煮やおせち料理をいただきましたか。
伝統行事が続きますね。
1月は、ちょっと思いつくだけでも
お正月に松飾り、七草がゆ、鏡開き、成人式、どんど焼き、
寒の入り、大寒、小正月、など
列記できます。
それぞれ、独特の料理などで
季節の節目を祝いますね。

歴史文化の多様な島国、ニッポンです。
その時々に合わせてアレンジされたものもあるでしょうが、
由来など知ると、
なるほど、と納得することもよくあります。
生活様式もさまざまに選べる現代ですが、
お正月だけは、新たな気持ちになります。
文化の多様さ、伝統を、つづく平和の時代、
日本の誇りにしたいと思います。

栄達、国を背負って最後まで闘った日本兵の、
不利な立場になっても
日本人としての誇りを捨てずに生きた人々が
大切にした国ですから。
今、「大場栄と峯子の戦火のラブレター」を読み返してみて
崇高な精神を感じますね。

11月3日は文化の日です。

国民の祝日と決められた1948年(昭和23年)には、
「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」として国が制定しています。
文化が享受できるよう
いつの時代にも、世界のどこでも
自由と平和がいつまでも続くようにしたいですね。



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平和へのメッセージ







●国連デー
1945年10月24日、
国際連合の発足を定めた国際憲章が発効したのを
記念したのがこの日。
ニューヨークに本部を置く
国際連合ことThe United Nationsは、
アメリカのルーズベルト大統領が考えた名称だそうです。
日本は1953年に加盟が認められました。

国連デーの1年前、1944年のこの日には
日本軍は、神風特攻隊のレイテ沖で
太平洋戦争のまっさかりでした。
栄たちサイパンの残存兵も
タッポーチョ山中でゲリラ戦をしていた頃でしょうか。







蒲郡市は、昭和43年10月5日に
世界連邦平和宣言都市宣言をしています。
(愛知県では幡豆町(現西尾市)とふたつだけ)
竹島の八百富神社遙拝所に記念碑が建っています。

石碑には「世界は一つ」と刻まれていますが、
この題字は世界連邦第5代会長のノーベル賞受賞した湯川秀樹博士の筆です。
また、近くには、世界連邦設立に寄与した賀川豊彦氏の
蒲郡での療養地という記念碑もあります。
(この体験をもとに書かれたのがベストセラー「死線を越えて」)

蒲郡市では、
2009年には、香川豊彦100年事業も開催されています。
こんなにも、蒲郡は「平和運動」と近かったんですね・・・

記念碑の裏面の宣言文

「     宣 言


  人類の最大不幸は戦争にある。戦略兵器の驚異的に発達した今日、

 戦争を防止し、人類を破滅から護る世界永遠の平和を実現することは、

 全人類の切実な願いである。

  蒲郡市は、世界の恒久平和を実現して人類の福祉を増進しようとする

 世界連邦建設の趣旨に賛同し、人類永遠の平和確立に努力する平和

 都市であることを宣言する。

      昭和四十三年十月五日

           蒲郡市 」










参考:ウィキペディアより抜粋

1951年9月8日は、サンフランシスコ平和条のむすばれた日です。
第二次世界大戦における
アメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本国との間の
戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約。

本条約はアメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名され
サンフランシスコ条約・サンフランシスコ講和条約
・対日平和条約・対日講和条約などともいう。

条約によって正式に、連合国は
日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認した(第1条(b))。
なお、第1条(a)にあるように国際法上ではこの条約の発効により、
正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結したものとされ、
ポツダム宣言の受諾を表明した1945年8月14日や
国民向けラジオ放送を実施した8月15日
降伏文書に署名した1945年9月2日以降にも
戦争状態は継続していたものとして扱われている。

~~~

ソウナンダー 


国際的な終戦記念日です。
参考:ウィキペディア「終戦の日」

ということで、1945年8月15日は、
玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、
日本の降伏が国民に公表された日です。

この日、
大場栄たちサイパン島タッポーチョ山中に潜伏し
ゲリラ戦を続けていた日本兵たちは、
何も知らずにいたのですね。
栄たちの「終戦記念日」は
1945年12月1日。
タッポーチョ山を下り、
戦意の無い事を示すように
自身の軍刀を米軍司令官に差し出すのです。
映画「太平洋の奇跡」でも、
規律正しい日本軍の感動的シーンがありましたね。
DVDでもご覧になれます
あのショットは、サイパン島タッポーチョ山にも掲示があるそうです。
栄の1934年・昭和9年の満洲徴兵から始まる長い軍隊生活も
やっと終わりになります。
栄と峯子の思い出にある御津(みと:現在の豊川市)南。
手紙文中では、約されて「御南(みなん)」とも書かれています。
正月のおでんの味が忘れられないという思い出の学校です。

調べてみると、
昭和2年にアメリカから全国の小学校に送られた1万2千体もの青い目の人形のひとつ「ヘレン」も、御津南部小学校に来ているんですって。
ここでもアメリカとのつながりがあったんですね。
残念ながら多くは、太平洋戦争の時に処分され残ってはいないようですが。
東三河圏内では、
田峯小グレース豊橋市西郷小コネタなど、
愛知県内では9体が現存しているのみです。


地方の電力会社の職員が、
福島第一原発の事故で
応援派遣の志願に応じたという
ニュースを見ました。

彼は、定年を目前にしていましたが、
志願に至った「使命感」は、
「戦場」に向かう兵士も同様だったでしょう。
家族は、父を誇りに思い涙が出そうだったといいます。

【追記】
その後の報道記事ですが、
災害救助のスペシャリスト「ハイパーレスキュー」の
出動に
任務を終えてのインタビュー。

 冨岡隊長は、(声をつまらせながらも)
「隊員は非常に士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。(中略)」と言った。

 高山隊長は18日、職場から直接現地に向かった。
妻に「安心して待っていて」とメールで伝えると、
「信じて待っています」と返信があったという。

 佐藤総隊長も妻にメールで出動を伝えた。
「日本の救世主になってください」が返事だった。

なんだか、「銃後」が
オーバーラップして浮かんできます。



現地では、精いっぱいの努力で
被害を最小限に食い止める努力が続けられています。
被災地が
一日でも早く復興できるよう
望みます。
遠隔地でも
できることで協力したいと思います。
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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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senkanoloveletter@live.jp
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