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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
今でも地域の自治組織はありますが、
当時は、結びつきは深く、
いろいろな活動をしていたみたいですね。
お手紙に時折出てくるのですが、「女青」というのは、
妹が加盟していた「女子青年団」のことでしょう。
戦地の栄宛に慰問品や雑誌や週刊誌を送ったり、
懇親会でしょうか新年会でしょうか、
出し物で芝居や踊りを踊ったりしたようです。
写真は、当時の絵葉書になっていましたが
「三谷町女子青年團」の文字が見えます。






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栄は中尉に昇進した16年12月、
隊員に訓示をしています。

===一部引用===
栄 16年12月

いよいよ日英米戦も開始せられ、
十分銃後の人々も緊張している事かと存じまず。
吾々軍人もいよいよ以て粉骨砕身
大いに努力せねばならぬと思う。
本日も兵に対し訓示したる事なり。


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戦地の状況














月食は太陽と地球、月が一直線に並んだ時に起きる現象です。
太陽光は地球の大気で屈折して月に届くため、
真っ暗にならずにオレンジ色や赤銅色に見えます。
12月10日深夜には、皆既月食の天体ショーが見えるそうです。
(欠け始めは21時46分~)

栄も峯子も、
遠くに離れても同じ月を眺めてロマンチックな思い出に浸っています。

日食も同様、
共通して心を通わせる話題の一つになっています。












崎戸丸(日本郵船)は、
 昭和14年(1939)に建造された貨物船(在来型)で、
その要目は長さ147m、幅19m、主機ディーゼル10989馬力、最高速力19.7ノット、総トン数7126トン。


北方警備にいた栄達歩兵十八連隊は、
この崎戸丸で19年2月22日~24頃に釜山を出、
(峯子は、日本に里帰りしていて23日早朝に海城に着いているが、
見送りできなかった:最後の手紙に記述)
翌25日、宇品で武器等積み込み、
師団司令部と師団直轄部隊、歩三八聯(連)隊、歩五〇聯(連)隊とともに
南方に向かったのです。

その後も・・・
ドラマチックな半生が続きます。








日本時間1941年12月8日未明(ハワイ時間12月7日)、
日本海軍は、休日である日曜日を狙って、
ハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に、
攻撃しました。

当時の日本側呼称は、ハワイ海戦(布哇海戦)。
太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦の一環として計画された作戦で、
マレー作戦に次いで開始された作戦。
戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を喪失しました。
世界史的には、マレー作戦と本攻撃によって
第二次世界大戦はヨーロッパ・北アフリカのみならず
アジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大しました。

当時は、大東亜戦争と呼称していましたが、
戦後太平洋戦争というようになりました。

当時、大場栄はまだ中国大陸の戦地にてこのニュースを聞き、
17年秋から崎戸丸昭和19年2月の運命の南方への出立までは
満洲海城にいました。


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戦地の状況







昨年の今頃は、
大場栄と峯子の戦火のラブレター」出版に向け
ハードな編集作業の真っ最中でしたね。
2010年12月の記事を読み返してみると、
たった1年前が、もう、遠い昔のようです。ww
峯子さんたちは、
離れ離れで9年間!
お手紙だけで結ばれていたなんて、
考えるだけで気が遠くなります。










大場書簡を読み解く会では、
不定期に「読み解く会ニュース」を発行しています。
13号が出来上がりまして、
ちろる庵でのミニパネル展示会場に置いています。


実は、12号までは、
昨年初夏から毎月のように続けて発行できていたのですが、
少しブランクが空いてしまいました。
今後も不定期発行の予定ですが、
また、動きがあれば随時記事にしていきたいと思います。
マイペースでwwww



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読み解く会活動


11月まで温かく、冬が来るかしら?と
思って言いましたが、流石に12月の声を聞いて
朝晩冷え込むようになりました。
栄のいる中国大陸の冬は厳しいですが、
冷たい布団でも
朝寝坊の栄は
新婚時代の温かさを思い出して懐かしがっています。

===一部引用===
栄 16年12月

大変夜冷える様になりました。
そちらはいかがですか。
僕等の所は本日から煖爐をたいているから、
内地と温度は大差ない事と思っている。
(中略)
五号の愛の巣ではフトンも軟く温かだったが、
ここではそうもいかないです。
床に入ってから30分程経ちましたが、
まだ足の方が冷たいです。冷たい襦袢に冷たい腰で、
もう馴れたからよい様なものの、やはり寝つき難いです。
 五号の古巣の温み(?)が恋しいです。


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五号は、新婚時代にくらした豊橋市内の地名です。
二人の思い出には、
五号=愛の巣という意味で何度もお手紙に出てきます。
左フレームの検索枠で
「五号」をキーワードに検索してみてください。





豊橋市内のお洒落な喫茶店ギャラリーにて
ミニパネル展示の開催です。
どうぞ珈琲の香る中で、
栄と峯子の世界をお楽しみください。

日時 2011年12月5日(月)~18日(日)
場所 ちろる庵(豊橋市三ノ輪町)

読み解く会ニュース13号も
印刷しましたので、どうぞお持ちください。











峯子の本当に最後の手紙には、
栄のサイパン島タッポーチョからの生還の新聞記事のことが書かれていました。
(映画「太平洋の奇跡」の感動的なあのシーンが目に浮かびます。)
峯子の文面には「『大場榮』の活字を
涙でうるんだ瞼をぬぐいぬぐい、
何度見直しました事でございましょう

という19年12月3日付のAP通信とあったのですが、
中日新聞には、同年翌日のバックナンバーコピーに
「サイパン島生き残りの隊長 大場大尉は三河出身」という
大場栄の記事がありました。


この記事を見つけた時には、嬉しかったですね。
峯子の気持ちが分かるような気がしました。











12月になり、11月のカレンダーをめくり
我が家のカレンダーは最後の1枚となりました。

栄の手紙には、
何枚か日めくりが同封されていました。
一日1枚ずつめくっていく、あの1枚です。
なぜ、破られた1枚が手紙に入っているのか
最初は意味が分からず、不思議でした。

栄は「赤い数字は何だか解るかい?
と謎をかけます。

栄は、赤い色で
大晦日まであと何日・・・と
ゲームのように数字を書き記し送ります。
二人だけに分かるやり取りがあったのでしょう。


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作業の裏話













昭和20年12月1日の朝は、
栄たちサイパン島のタッポーチョ山から下りてきた日、
栄達の「終戦」です。
映画「太平洋の奇跡」にも描かれた
感動的なシーンのひとつですね。
そして米軍の司令官に、栄が軍刀を渡すシーンは、
当時の米軍の新聞にも、写真付きで報道されています。
また、現在でもサイパンの
タッポーチョ山頂やアメリカンメモリアル記念館にも
掲示してあるそうです。

栄は、戦闘中に軍刀を何度か失くしていて、
14年にも支那大陸で55円で求めてますが、
峯子の手紙からすると
16年12月に、日本でも調達しています。
栄が最後まで闘いに携行し
米国に渡ってオークションにかけられ転々とし、
その後何十年も経ち
ドン・ジョーンズ氏が栄に返したという
例の刀は、手紙に出てくるこの峯子が買ったものでしょうか?
それとも?

===一部引用===
峯子 16年12月28日

軍刀がやっと手に入りました。
金百八拾円でございますとか。
値が高いようですが、
非常時も物資騰貴の為、
仕方ないそうでございます。


====









今月4日から豊橋市内喫茶店でのミニパネル展
ご案内しましたが、
4日の夕方から設置しますので、
5日(月)よりご来場ください。
会場は、ちろる庵(豊橋市三ノ輪町)
12月18日(日)までの予定です。

どうぞ、珈琲の香る中で
峯子と栄の世界へ。









先だって「二宮尊徳」像に関しての記事を書きましたが、
蒲郡市内にもまだ残っている学校がありました。
それも大場家の近くの小学校です。

勤勉の象徴とされる二宮尊徳さんですが、
農民から努力して民衆の為に働き、
認められて帯刀武士に出世したという方なので、
幼少の頃は「金次郎」だったはずですが、
「二宮尊徳先生之像」と記されています。
像の形には時代の変遷や地域により
バリエーションがいくつもあるんだそうですが、
左足前のもんぺに芝を担ぐ石像は、
愛知県の基本的な形ですね。
ちょっと建立時期は確認できませんでしたけど
昭和7年以降かと思われます。
また、近くに行ける機会がありましたら
確認してきたいと思います。

研究している方のサイトを見ると
いろいろな事が分かって結構面白かったです。
参考 まとめサイト











峯子は、妹の影響か、
手作りで子どもの服など作っています。
現在では既成品が豊富ですので
家庭で服を作るのは趣味の方ぐらいですが、
当時は、材料も不足の上、注文服は高価なので、
家でミシンを踏んでいたようです。
普段は着物を着ていた当時、
洋裁のできる女性は、
そんなに多くなかったかもしれませんね。
姪っ子さんにコートも作ってもいますが、
峯子はおしゃれでしたから、
子どもにもいい服を着せたいと
思っていたことでしょう。

本日11月29日は、
いいふくの日だそうです。



 









栄は、とても心遣いのできる男性だったと思います。
13年の5~6月でしょうか、
一弘と峯子に送金しています。

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栄 13年

過日、君宛に十円送金いたしました。少ないですが、
内五円は一弘の誕生のプレゼントです。
大分遅くなりましたが、せめて誕生祝い、父からの贈物です。
何なりと一弘の為に有効に使用して下さい。
残りの五円は峯子に送ります。
六月九日の記念として愛妻に送ります。


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13年当時は、軍の俸給を本人が受け取っていたのでしょうが、
戦地でも現金が使いようのない場所だったり
家族に仕送りする兵士が利用する
野戦郵便局の開設が難しい
というような理由があったのでしょうか、
俸給は15年12月から留守宅の受け取りとなります。
この時、受取人を栄の父にするか
峯子にするかでやりとりがありますが、
結局三谷の峯子にしています。

文中の、6月9日記念日についてはこちら
その理由










新婚時代の五号
海につながる河口近くに居たせいか、
海苔で生計を立てる住民が身近にいたようで、
栄は
時折、慰問袋で海苔を貰ったとも書いています。
また、寒くなる折、
子どもの健康も気遣っています。

===一部引用===
栄 年不明

すでに今日は十一月二十七日、
間も無く師走に入る。
寒さいよいよ加わると思う。
新聞紙上で見ると、海苔が豊作と予想されるとの事。
こんな事は必ず寒気が予想さるべきであるから、
一弘君の健康に御注意相成りたく。


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26日は風呂の日。

風呂にまつわるお話。
峯子と長男一弘は、17年11月ごろから
満洲海城の家族官舎に住んでいました。
栄の住まいの状況を知らせる手紙では、
1戸建て?らしく風呂も付いていたようですが、
時折不具合で、風呂に入れず
修理を願っても、担当兵は演習で不在だったり、
現地の修理屋に頼もうと思っても
切符がないからダメダと断られたりして困っています。
栄の同僚(?)のお宅に貰い湯に行くのですが、
奥さまは身重の体で申し訳ないと恐縮して
湯加減も言えずゆっくり入れないと愚痴っていたりします。


18年になってもこういう手紙が残っているのも、
栄と峯子は一緒に暮らしていたのではなく、
兵舎と家族官舎とはやや離れて建っていて
休みの日にだけしか栄が帰って来られずに
定期的に当番兵が行き来してやりとりしていたようです。
1カ月くらい演習などがあって遠方にいると、
峯子に会えずにイライラしてる栄の手紙なども
残っています。



















峯子は15~17年
三谷小学校の教師をしていますが
15年11月その折、研究事業の事に触れています。

===一部引用===
峯子 15年11月29日


今月は色々な行事のみ多くて、
日曜日に恵まれないで暮れてしまいました。
一番最後の日曜日のみは、
出校しないでもようございましたけれど、
木曜日に峯子の算術の研究授業がございましたので、
色々その準備の為、
忙しい思いをいたして一日暮れてしまいました。
研究授業は、夏休前からの峯子の心配の種でございましたけれど、
諺にも「安ずるよりも生むが易い」とか申す事も有る如く、
心配した種の事も無く、
案外良い批評を頂きました事を嬉しく存じます。


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峯子の教師としての一面も垣間見えます。
学校での話題は、日直の時のお手紙や、
職員室での一コマのエピソードなども
時折書かれています。

現在でも、この時期、
秋の学校行事に、年度末の評価や保護者への対応、
毎日の授業の準備に先生は大変だと思います。
でも、子どもたちの明るい未来を作る
大事なお仕事ですね。


余談ですが、
栄も峯子も教師をしていたので、








栄が12年の秋に出征した頃、
まだ峯子は8カ月の長男に乳をやっていました。
心労で乳の出も細り、
子どもにかまれて痛い思いもしたことでしょう。

===一部引用===

峯子 12年11月24日

この一ヶ月ばかりの精神的打撃で
お乳が細って難儀いたしております。
御主人の出征なされた乳飲児のある方は、
よくお乳が細くなるとおっしゃいます。
やっぱり女は弱い者ですね。
女々しさがペンに現れそうで、
思っている事が綴れません。


====

峯子は、つい弱気になりがちな気持ちを
押さえながら、栄に手紙を書き綴っています。

この手紙には

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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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