日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。
栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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小笠原久雄の手紙の中でも、広島似島(にのしま)からのお便りは、何通も出されていて、
㋹マルレの訓練をした島としてに、特別な意味のある島です。
広島の原爆投下時、近くにあって医療行為のできた島で
暁部隊が負傷者の治療をしたと記録に残っています。
しかし、暁部隊のマルレのことは、
極秘任務でしかも終戦間際の短い期間の作戦ということで、
広く知れ渡ってはいません。
久雄は、8月6日当時は福山の任務地にいて、
きっときのこ雲を見ていたのかもしれませんが、
被爆を免れました。
今回のミニパネル展示では、25年3月に久雄の長女、編集者と共に
似島を尋ねた折の写真を、スライドショーにしています。
見所のひとつとしても揚げていますが、
マルレの資料(広島市少年自然の家ホームページから)も、ご覧ください。最後に「明日から百姓になります」も掲載されています。
㋹マルレの訓練をした島としてに、特別な意味のある島です。
広島の原爆投下時、近くにあって医療行為のできた島で
暁部隊が負傷者の治療をしたと記録に残っています。
しかし、暁部隊のマルレのことは、
極秘任務でしかも終戦間際の短い期間の作戦ということで、
広く知れ渡ってはいません。
久雄は、8月6日当時は福山の任務地にいて、
きっときのこ雲を見ていたのかもしれませんが、
被爆を免れました。
今回のミニパネル展示では、25年3月に久雄の長女、編集者と共に
似島を尋ねた折の写真を、スライドショーにしています。
見所のひとつとしても揚げていますが、
マルレの資料(広島市少年自然の家ホームページから)も、ご覧ください。最後に「明日から百姓になります」も掲載されています。
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手紙集「明日からは百姓になります」という本のタイトルですが、
なんだか、脱サラみたい?ww
説明しないと分かりませんね。
小笠原久雄さんの最後のお手紙を読むと、
その意味の重さが分かると思います。
わたしは、てっきり「いとしのテルノ」と思っていたんですけどね。
蒲郡勤労福祉会館内1階のかふぇビーンズ内ギャラリーで現在開催中の
「いとしのテルノ 兵士の熱愛ラブレターミニパネル展」展示品を見ると、
タイトルの変遷が分かります。
見どころもご参考までに。
なんだか、脱サラみたい?ww
説明しないと分かりませんね。
小笠原久雄さんの最後のお手紙を読むと、
その意味の重さが分かると思います。
わたしは、てっきり「いとしのテルノ」と思っていたんですけどね。
蒲郡勤労福祉会館内1階のかふぇビーンズ内ギャラリーで現在開催中の
「いとしのテルノ 兵士の熱愛ラブレターミニパネル展」展示品を見ると、
タイトルの変遷が分かります。
見どころもご参考までに。
蒲郡勤労福祉会館内かふぇビ~ンズギャラリーで開催中の
「いとしのテルノ」兵士の熱愛ラブレターミニパネル展」ですが、
小笠原久雄さんの13ヶ月にわたる手紙のなかで、
いくつかのドラマチィックな場面があるのですが、
その中でも一番のクライマックスのお手紙が、
父の面会時に渡された報告書の裏に書かれたものです。
こんな報告書は外に出してはいけない軍事機密だと思うのですが、
ペンのためし書きもした跡が見えて、
裏面にビッシリに久雄のほとばしるような心情が書かれています。
編集中の翻訳部分と見比べて見てくださいね。
「いとしのテルノ」兵士の熱愛ラブレターミニパネル展」ですが、
小笠原久雄さんの13ヶ月にわたる手紙のなかで、
いくつかのドラマチィックな場面があるのですが、
その中でも一番のクライマックスのお手紙が、
父の面会時に渡された報告書の裏に書かれたものです。
こんな報告書は外に出してはいけない軍事機密だと思うのですが、
ペンのためし書きもした跡が見えて、
裏面にビッシリに久雄のほとばしるような心情が書かれています。
編集中の翻訳部分と見比べて見てくださいね。
本日9月24日より、「いとしのテルノ 兵士の熱愛ラブレターミニパネル展」
(蒲郡勤労福祉会館内1階のかふぇビーンズ内ギャラリー)開催中です。
新城出身の小笠原久雄さん(海の特攻「マルレ」から生還)の
ミニパネル展の見どころを紹介します。
・手紙集「明日からは百姓になります」をまだお読みでない方には、
新聞に取り上げられた手紙の発見記事
妻への愛情たっぷりのお手紙文面
海の特攻:暁部隊のマルレ(ベニヤボートに中古エンジン)資料
・出版本をすでにお読みの方には、
本に収録していない展示物:
手紙のコピー(紙の両面にびっしり書かれた久雄の手紙)
鳳来町旧門谷小学校での展示会の模様
久雄の手紙の投函された広島県似島(にのしま)スナップ写真スライドショー
編集の経過の分かるサブタイトル変遷
当時の軍隊手帳(カラーコピー)など。
蒲郡北駅すぐの勤労福祉会館内「カフェビーンズ」
展示は10月18日(金)まで
カフェ営業時間 火~金
10:00~15:30 営業日・時間ご注意ください。
(蒲郡勤労福祉会館内1階のかふぇビーンズ内ギャラリー)開催中です。
新城出身の小笠原久雄さん(海の特攻「マルレ」から生還)の
ミニパネル展の見どころを紹介します。
・手紙集「明日からは百姓になります」をまだお読みでない方には、
新聞に取り上げられた手紙の発見記事
妻への愛情たっぷりのお手紙文面
海の特攻:暁部隊のマルレ(ベニヤボートに中古エンジン)資料
・出版本をすでにお読みの方には、
本に収録していない展示物:
手紙のコピー(紙の両面にびっしり書かれた久雄の手紙)
鳳来町旧門谷小学校での展示会の模様
久雄の手紙の投函された広島県似島(にのしま)スナップ写真スライドショー
編集の経過の分かるサブタイトル変遷
当時の軍隊手帳(カラーコピー)など。
蒲郡北駅すぐの勤労福祉会館内「カフェビーンズ」
展示は10月18日(金)まで
カフェ営業時間 火~金
10:00~15:30 営業日・時間ご注意ください。
昨年の夏は、蒲郡勤労福祉会館内1階のかふぇビーンズさんで
「大場栄と峯子の戦火のラブレター ミニパネル展」を開きましたが、
(蒲郡市民まちづくりセンターブログでも紹介)
今年の秋は、「いとしのテルノ 兵士の熱愛ラブレターミニパネル展」
新城出身の小笠原久雄さん(海の特攻「マルレ」から生還)のお手紙展です。
手紙集「明日からは百姓になります」からお手紙抜粋と
当時の軍隊手帳(コピー)、暁部隊「マルレ」の資料など。
蒲郡北駅すぐの勤労福祉会館内「カフェビーンズ」
9月24日(火)~10月18日(金)
カフェ営業時間 火~金
10:00~15:30 営業日・時間ご注意ください。
「大場栄と峯子の戦火のラブレター ミニパネル展」を開きましたが、
(蒲郡市民まちづくりセンターブログでも紹介)
今年の秋は、「いとしのテルノ 兵士の熱愛ラブレターミニパネル展」
新城出身の小笠原久雄さん(海の特攻「マルレ」から生還)のお手紙展です。
手紙集「明日からは百姓になります」からお手紙抜粋と
当時の軍隊手帳(コピー)、暁部隊「マルレ」の資料など。
蒲郡北駅すぐの勤労福祉会館内「カフェビーンズ」
9月24日(火)~10月18日(金)
カフェ営業時間 火~金
10:00~15:30 営業日・時間ご注意ください。
昨夜はいい月が出ていました。
と思ったら、今日が中秋の名月だそうです。
中国大陸と郷里の蒲郡に離れて暮らす二人は、
共通の話題として、空を見上げて月を見ています。
===一部引用===
峯子 14年 1月8日
月に祈っている峯子の姿が、支那では月の表に映っておりませんかしら。
=====
特に秋の手紙にはロマンチックな想い出の月の話題はちょくちょく出てきます。
月のウサギの話(栄)や、
===一部引用===
栄 14年10月ごろ
今夜も壕の片隅でコオロギが秋を物語っています。
晩月がほの白く戦場を含んで、淡い、
それでいて淋しい秋だなあ、という感じを深めます。
どうかすると秋の月が、コオロギの鳴く音が、
遥か峯子達の傍に帰してくれます。
===一部引用===
峯子 15年9月23日
お天白様の祭礼も、新の十六日にすみました。
事変下の事とて余興も夜迄はございませんでしたけれど、
丁度十五夜でございましたので、中空に輝いた月の美しかった事・・・・・
戦地でもきっと御覧下さいました事と存じます。
======
また、秋の思い出の三日月(栄)、
歌に出てくる離れてみる月も話題に上ります。
人妻椿の月の話(栄)、
人妻椿の歌詞(峯子)、
と、ロマンチストのお二人です。
と思ったら、今日が中秋の名月だそうです。
中国大陸と郷里の蒲郡に離れて暮らす二人は、
共通の話題として、空を見上げて月を見ています。
===一部引用===
峯子 14年 1月8日
月に祈っている峯子の姿が、支那では月の表に映っておりませんかしら。
=====
特に秋の手紙にはロマンチックな想い出の月の話題はちょくちょく出てきます。
月のウサギの話(栄)や、
===一部引用===
栄 14年10月ごろ
今夜も壕の片隅でコオロギが秋を物語っています。
晩月がほの白く戦場を含んで、淡い、
それでいて淋しい秋だなあ、という感じを深めます。
どうかすると秋の月が、コオロギの鳴く音が、
遥か峯子達の傍に帰してくれます。
===一部引用===
峯子 15年9月23日
お天白様の祭礼も、新の十六日にすみました。
事変下の事とて余興も夜迄はございませんでしたけれど、
丁度十五夜でございましたので、中空に輝いた月の美しかった事・・・・・
戦地でもきっと御覧下さいました事と存じます。
======
また、秋の思い出の三日月(栄)、
歌に出てくる離れてみる月も話題に上ります。
人妻椿の月の話(栄)、
人妻椿の歌詞(峯子)、
と、ロマンチストのお二人です。
明治5年9月12日(旧10月14日)は、新橋ー横浜間を初めて記者が走った日です。
(現在の鉄道の日は、10月14日です。)
昭和10年代の鉄道は、シュッポシュッポと蒸気を上げていたようです。
===一部引用===
峯子 14年9月28日
片言ながら大変色々な詞が語れますので可愛いくなり、
幼いながら色々な思いがけない名言をはいて皆を笑わせます。
「坊やの父ちゃんは?」って問いますと
「僕の父ちゃん兵隊さん シャポポ乗って漢口行っちゃった}と申します。
====
なお『汽車ポッポ』(きしゃポッポ)
富原薫作詞、草川信作曲の日本の童謡ですが
2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されています。
1937年(昭和12年)にレコード用の童謡『兵隊さんの汽車』として世に出たそうです。
歌詞も現在のものと一部異なり、
蒸気機関車(汽車)に乗って出征する兵士を見送る内容でした。
(ウィキペディア 汽車ポッポより)
一弘君も幼い口で歌ったのでしょうね。
(現在の鉄道の日は、10月14日です。)
昭和10年代の鉄道は、シュッポシュッポと蒸気を上げていたようです。
===一部引用===
峯子 14年9月28日
片言ながら大変色々な詞が語れますので可愛いくなり、
幼いながら色々な思いがけない名言をはいて皆を笑わせます。
「坊やの父ちゃんは?」って問いますと
「僕の父ちゃん兵隊さん シャポポ乗って漢口行っちゃった}と申します。
====
なお『汽車ポッポ』(きしゃポッポ)
富原薫作詞、草川信作曲の日本の童謡ですが
2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されています。
1937年(昭和12年)にレコード用の童謡『兵隊さんの汽車』として世に出たそうです。
歌詞も現在のものと一部異なり、
蒸気機関車(汽車)に乗って出征する兵士を見送る内容でした。
(ウィキペディア 汽車ポッポより)
一弘君も幼い口で歌ったのでしょうね。
名古屋の劇団「劇座」の朗読劇を見てきました。
「凛として」
戦争中のお手紙、特攻に行かれた方の遺書や家族の手紙です。
どのお手紙も、
自分を見つめ、残された愛する家族への優しさがあふれるお手紙ばかり。
「おかあさ~ん」
「泣ないで、誇りに思って」
「わたしに会いたければ、空を見なさい」
など、胸を打つフレーズが心に残ります。
その時代に生まれた人たちは、
受け入れがたい運命をも受け入れ、
精いっぱい生きた証拠として
特攻の兵士も前を向いて飛び立って行った・・・・・
前途ある若者に、悲しい決断を二度とさせないような
世の中にしなくては、との思いを強くしました。
「凛として」
戦争中のお手紙、特攻に行かれた方の遺書や家族の手紙です。
どのお手紙も、
自分を見つめ、残された愛する家族への優しさがあふれるお手紙ばかり。
「おかあさ~ん」
「泣ないで、誇りに思って」
「わたしに会いたければ、空を見なさい」
など、胸を打つフレーズが心に残ります。
その時代に生まれた人たちは、
受け入れがたい運命をも受け入れ、
精いっぱい生きた証拠として
特攻の兵士も前を向いて飛び立って行った・・・・・
前途ある若者に、悲しい決断を二度とさせないような
世の中にしなくては、との思いを強くしました。
蒲郡市内の市民団体の例会に呼ばれて
「大場栄と峯子のお手紙のお話」をしてきました。
30名ほどの会で、みなさん熱心に聞いていただきました。
お話は、お手紙の経緯や、手紙の価値、
コラムを軸に
日中戦争当時の蒲郡市民の暮らしぶりや、
映画「太平洋の奇跡」の大場大尉とは一味違う「人間大場栄」の人柄、
愛情で支えた峯子さんの手紙に見る共通の思い出話や、
地元の方になじみの地域の話題など。
平和ボケで感じられにくい「戦時中」の不自由さなども
感じとっていただけたらなぁと思いながら
約2時間お話してきました。
まだまだお話したいことは山のように残ってしまいましたが、
残った部分はまた、別の機会に・・・・
読み解く会ニュースバックナンバー、編集中の原稿なども展示して
皆さんに見ていただきました。
「大場栄と峯子のお手紙のお話」をしてきました。
30名ほどの会で、みなさん熱心に聞いていただきました。
お話は、お手紙の経緯や、手紙の価値、
コラムを軸に
日中戦争当時の蒲郡市民の暮らしぶりや、
映画「太平洋の奇跡」の大場大尉とは一味違う「人間大場栄」の人柄、
愛情で支えた峯子さんの手紙に見る共通の思い出話や、
地元の方になじみの地域の話題など。
平和ボケで感じられにくい「戦時中」の不自由さなども
感じとっていただけたらなぁと思いながら
約2時間お話してきました。
まだまだお話したいことは山のように残ってしまいましたが、
残った部分はまた、別の機会に・・・・
読み解く会ニュースバックナンバー、編集中の原稿なども展示して
皆さんに見ていただきました。
「ミニパネル展inカフェビーンズ」 のお知らせ
来月から約1ヶ月間、
蒲郡市内の喫茶店ギャラリーでのミニ展示会を開きます。
今回は、小笠原久雄さんの「明日からは百姓になります」から
終戦の1年前から、13ヵ月にわたって送られた手紙(一部)と、
極秘任務「マルレ」についてのミニ展示です。
展示スペースは少々ですが、
期間中、入れ替えもする予定ですので、
沢山の方に見ていただきたいと思います。
ティータイムのひと時に、どうぞ足をお運びください。
蒲郡北駅すぐの勤労福祉会館内「カフェビーンズ」
9月24日(火)~10月18日(金)
カフェ営業時間 火~金
10:00~15:30 営業日・時間ご注意ください。
小笠原久雄の所属した暁部隊について 参考
暁部隊
(記事の最後に、出版本が紹介されています)
来月から約1ヶ月間、
蒲郡市内の喫茶店ギャラリーでのミニ展示会を開きます。
今回は、小笠原久雄さんの「明日からは百姓になります」から
終戦の1年前から、13ヵ月にわたって送られた手紙(一部)と、
極秘任務「マルレ」についてのミニ展示です。
展示スペースは少々ですが、
期間中、入れ替えもする予定ですので、
沢山の方に見ていただきたいと思います。
ティータイムのひと時に、どうぞ足をお運びください。
蒲郡北駅すぐの勤労福祉会館内「カフェビーンズ」
9月24日(火)~10月18日(金)
カフェ営業時間 火~金
10:00~15:30 営業日・時間ご注意ください。
小笠原久雄の所属した暁部隊について 参考
暁部隊
(記事の最後に、出版本が紹介されています)
アニメ「風立ちぬ」 宮崎駿監督のジブリ最新作は、実在の人物がモデルということで異色と言われています。
予告編に
「かつて、日本で戦争があった。
大正から昭和へ、1920年代の日本は、
不景気と貧乏、病気、そして大震災と、
まことに生きるのに辛い時代だった。
そして日本は戦争へ突入していった。
当時の若者たちは、そんな時代を
どう生きたのか?
イタリアのカプローニへの
時空を超えた尊敬と友情、
後に神話と化した零戦の誕生、
薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ。
この映画は、実在の人物、
堀越二郎の半生を描く。」
とあります。
背景に戦争を描きつつも、
尊大なヒロイズムでも極端な糾弾でもない。
激動の時代を懸命に生きた若者の純粋な夢と愛をテーマにした作品。
監督は、「堀越は、軍の要求に対抗してきた人間。
戦争の時代を一生懸命に生きた人」
と表現しています。
!
予告編に
「かつて、日本で戦争があった。
大正から昭和へ、1920年代の日本は、
不景気と貧乏、病気、そして大震災と、
まことに生きるのに辛い時代だった。
そして日本は戦争へ突入していった。
当時の若者たちは、そんな時代を
どう生きたのか?
イタリアのカプローニへの
時空を超えた尊敬と友情、
後に神話と化した零戦の誕生、
薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ。
この映画は、実在の人物、
堀越二郎の半生を描く。」
とあります。
背景に戦争を描きつつも、
尊大なヒロイズムでも極端な糾弾でもない。
激動の時代を懸命に生きた若者の純粋な夢と愛をテーマにした作品。
監督は、「堀越は、軍の要求に対抗してきた人間。
戦争の時代を一生懸命に生きた人」
と表現しています。
!
同じ時代に生き、苦労を分かち合った思い出を共有する「戦友」は、
立場が違っても、成り立つものなんですね。
昨日の記事に、敵だった米兵が「戦友」と書きましたけれども、
日米の互いに「敵」として戦った相手を
畏敬の念をいだいて「敵ながら天晴!」と
タッポーチョでの戦いぶりを書いたドンジョーンズさんも
フェアな精神をお持ちだったと感心します。
(↑タッポーチョあとがきにその意が見て取れます。2011.8/4記事)
多くの兵隊は、上官の命令のままに従っただけで
個人としては憎しみをもっていたわけでなく、
その時代を一生懸命に生きてきたから、
お互いが理解しあえるのでしょう。
栄の誠実さももちろん、要因のひとつでしょうが。
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「栄の人柄・好み」
関連カテゴリー
「平和へのメッセージ」を読む
立場が違っても、成り立つものなんですね。
昨日の記事に、敵だった米兵が「戦友」と書きましたけれども、
日米の互いに「敵」として戦った相手を
畏敬の念をいだいて「敵ながら天晴!」と
タッポーチョでの戦いぶりを書いたドンジョーンズさんも
フェアな精神をお持ちだったと感心します。
(↑タッポーチョあとがきにその意が見て取れます。2011.8/4記事)
多くの兵隊は、上官の命令のままに従っただけで
個人としては憎しみをもっていたわけでなく、
その時代を一生懸命に生きてきたから、
お互いが理解しあえるのでしょう。
栄の誠実さももちろん、要因のひとつでしょうが。
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映画「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」の原作となった
「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」の冒頭に
アメリカ海軍将校が来訪する記述があります。
本文中はルイスになっていますが、
著者のドン・ジョーンズを投影したものです。
ドンだけでなく、敵として戦った当時米将校たちは、
戦後何度か大場栄宅を訪れ
「戦友」として友好関係を築いています。
サイパンでの闘いで「敵ながら天晴」と
ヒーローだった栄の姿が浮かび上がります。
大場家を訪れた米将校の新聞記事(朝日昭和48年10/22)
峯子はこうした時のことを俳句にも詠んでいます。
「サイパンでの 敵将来訪 終戦忌 (米友人)」
「再開の 握手に涙 遠がすみ (米友人)」
「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」の冒頭に
アメリカ海軍将校が来訪する記述があります。
本文中はルイスになっていますが、
著者のドン・ジョーンズを投影したものです。
ドンだけでなく、敵として戦った当時米将校たちは、
戦後何度か大場栄宅を訪れ
「戦友」として友好関係を築いています。
サイパンでの闘いで「敵ながら天晴」と
ヒーローだった栄の姿が浮かび上がります。
大場家を訪れた米将校の新聞記事(朝日昭和48年10/22)
峯子はこうした時のことを俳句にも詠んでいます。
「サイパンでの 敵将来訪 終戦忌 (米友人)」
「再開の 握手に涙 遠がすみ (米友人)」
広島と長崎の狭間にある豊川空襲(とよかわくうしゅう)は、
1945年8月7日。
第二次世界大戦中
豊川海軍工廠へ行われた大規模な空襲で、
この空襲で豊川海軍工廠は壊滅し、
勤労動員されていた中学生・女学生・国民学校児童が多く亡くなられました。
豊川稲荷駐車場に、「海軍工廠戦没者供養塔」があります。
【 豊川海軍工廠 】
豊川海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、
昭和13年に旧宝飯郡豊川町・牛久保町・八幡村にまたがって建設することが決定され、
昭和14年12月15日に開庁しました。
機銃及び弾丸や艦船で使用する測距儀、双眼鏡、射撃装置などを生産し、
機銃の生産に関しては日本最大の規模で、東洋一の兵器工場といわれました。
工廠の発展は、人口の増加や各町村の結びつきを強めることとなり、
豊川市の誕生・発展に大きな影響を与えました。
しかし、昭和20年8月7日の米軍B29爆撃機などによる空襲で
壊滅的な被害を受け、2,500名以上の人が犠牲となりました。(豊川海軍工廠展より)
1945年8月7日。
第二次世界大戦中
豊川海軍工廠へ行われた大規模な空襲で、
この空襲で豊川海軍工廠は壊滅し、
勤労動員されていた中学生・女学生・国民学校児童が多く亡くなられました。
豊川稲荷駐車場に、「海軍工廠戦没者供養塔」があります。
【 豊川海軍工廠 】
豊川海軍工廠は、海軍兵器の生産を目的として、
昭和13年に旧宝飯郡豊川町・牛久保町・八幡村にまたがって建設することが決定され、
昭和14年12月15日に開庁しました。
機銃及び弾丸や艦船で使用する測距儀、双眼鏡、射撃装置などを生産し、
機銃の生産に関しては日本最大の規模で、東洋一の兵器工場といわれました。
工廠の発展は、人口の増加や各町村の結びつきを強めることとなり、
豊川市の誕生・発展に大きな影響を与えました。
しかし、昭和20年8月7日の米軍B29爆撃機などによる空襲で
壊滅的な被害を受け、2,500名以上の人が犠牲となりました。(豊川海軍工廠展より)
海の特攻・マルレ 小笠原久雄の手紙集
「明日からは百姓になります」から
久雄は、太平洋戦争終戦間際の昭和20年8月10日に、
福山から静岡の友人に託して郷里の最愛の妻へ手紙を出しています。
====一部引用====
取急ぎ失礼致します。
また、もう新聞等にてご承知の事と思いますが、
一昨日(八日)ここで空襲を受けました。
被害に就いては申されませんが、豊橋あたりと同様です。
お蔭様にて私も災禍から幸にして無事免れました。
何卒御安心下さい。自分の所持品も、大方焼失せず済みました。
身体も相変わらず頑健にて微傷一つ受けず、
自己の職場も敢闘しております。
これも神佛の加護、いとしの君等の祈念の賜に存じます。
===
久雄は、大変な状況の中、一刻も早く自身の無事を知らせたく
「取り急ぎ」筆をとっています。
郵便も、届くか分からないと思いながらも、
郷里の事も心配で居ても立ってもいられない
彼の心境が手に取るように分かります。
豊橋の空襲と言うのは、6月19~20日の時のことでしょうか?
「明日からは百姓になります」から
久雄は、太平洋戦争終戦間際の昭和20年8月10日に、
福山から静岡の友人に託して郷里の最愛の妻へ手紙を出しています。
====一部引用====
取急ぎ失礼致します。
また、もう新聞等にてご承知の事と思いますが、
一昨日(八日)ここで空襲を受けました。
被害に就いては申されませんが、豊橋あたりと同様です。
お蔭様にて私も災禍から幸にして無事免れました。
何卒御安心下さい。自分の所持品も、大方焼失せず済みました。
身体も相変わらず頑健にて微傷一つ受けず、
自己の職場も敢闘しております。
これも神佛の加護、いとしの君等の祈念の賜に存じます。
===
久雄は、大変な状況の中、一刻も早く自身の無事を知らせたく
「取り急ぎ」筆をとっています。
郵便も、届くか分からないと思いながらも、
郷里の事も心配で居ても立ってもいられない
彼の心境が手に取るように分かります。
豊橋の空襲と言うのは、6月19~20日の時のことでしょうか?
午前中はチョット静かでしたが、
午後はサブイベントのラブソングを目当てにいらした方も多く
会場がにぎわいました。
また、ホテル内の掲示を見ていらした方や、
映画館の帰りにも立ち寄りくださる方、
お父様が戦争に行かれて、展示会に興味をもたれた方
スタッフに話しかけてくださる方などもいらっしゃいました。
素敵なハーモニーとピアノの調べのラブソング。
最終日も、サブイベントお楽しみに。
このブログの読み方も参考までに。
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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。
「大場書簡を読み解く会」
senkanoloveletter@live.jp
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。
「大場書簡を読み解く会」
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