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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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終戦を知らずにルバング島に30年間「任務」を続けていた
小野田寛郎さんが死去。91歳の生涯を閉じられました。
 大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、
昭和19年に諜報員などを養成する陸軍中野学校を卒業後、
情報将校としてフィリピンへ派遣されました。
20年の終戦後も任務解除の命令が届かず、
ルバング島の密林にこもって30年間も戦闘を続け、
49年3月に任務解除命令を受けて帰国しました。

帰国の折、軍人らしく「恥ずかしながら帰ってまいりました」という
ニュースで見た姿が、今も印象に残っています。

ご冥福を祈ります。





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2014年 めでたく御正月を迎えました。
皆様のお宅では、御雑煮・おせちなど召しあがられたでしょうか。
みな、長寿や健康を願うご馳走ですね。
初詣は、のどかな日和に竹島さんへ。
峯子と栄の恋人としてデートした思い出の竹島海岸には、
かもめが沢山飛んでいました。

お手紙の、正月に関しての話題では、
栄の手紙に、中国でも餅をついて配給があったなどと書かれています。
また、峯子の実家では、もちい飾りを飾ったとの文面を読んで
栄が正月の風習を懐かしがっています。
それほど長く、故郷を離れているのですね。
今夜は、嬉しい縁起の良い初夢が見えるかしら?
峯子の初夢は何と言っても「恥ずかしい初夢」ですね!
皆様も、よいお正月をお過ごしください。


このカテゴリーの記事を読む
思い出の場所など






「永遠のゼロ」観てきました。
過酷な運命を選択する青年の葛藤。
宮部久蔵が、指導する部下に
「どんなにつらくても、生き延びる努力をせよ」というセリフが
大場栄のサイパン戦場で遭遇した赤子に「生きろ!」
と言うシーンと重なって思えました。
命が物のように扱われた悲しい時代の反省を
私達はしなくてはいけません。
希望の薄れた現代でも、
未来の時代を作っていく若者たちのために。
新しい年が、平和で美しい自然とともにありますように。

2013年 大晦日
なぜか?
ブログアクセス急上昇があったようです。
どこかで映画とか本とか紹介していました?

はてな?

前回の記事に書いた話題です。
ゼロ戦乗りの祖父の素性がだんだん明らかになっていく・・・
特攻で死んだおじいちゃんの取材で、
明らかになっていく宮部久蔵という人物
百田尚樹氏の小説を原作とした映画が
2013年12月21日より全国東宝系にて公開
永遠のゼロ

大場栄小笠原久雄同時代を生きた当時の若者宮部久蔵という人物にも、
共通部分がありそうです。
ちょうど書店店頭で、動画のコマーシャルを見かけました。
太平洋戦争末期、
特攻隊の兵士の生きざまを描いた、話題の小説の映画化です。
永遠のゼロ
21日から一斉公開。観たい映画の一つです。













戦争の悲惨さは、
戦場でも、残された家族にもありますが、
その中にあって感じられる優しさや一途さが
涙を誘います。






12月3日はカレンダーの日
全国団扇扇子カレンダー協議会が1987(昭和62)年に制定したもので、
明治5年12月3日(旧暦)が太陽暦の採用によって明治6(1873)年1月1日となりました。

でも、日常生活では、旧暦がよく使われていたようで、
峯子の手紙にも、旧暦・新暦どちらも書かれています。
また、栄が送った手紙に同封されたカレンダー(日めくり)の1枚で
二人が、会える日までを楽しみに数えてもいました。
でも、数が減っていくのに、12月になって、またもう一年ゼロからやり直し・・・
という失望感も、何度も味わっていました。




昭和20年12月1日は、
サイパン島タッポーチョでゲリラ戦を戦い続けた日本兵達の「終戦」の日です。
山を降りる様子・大場家の家宝となる軍刀のシーンは、
映画「太平洋の奇跡」でもクライマックスシーンですね。
軍部では、7月7日の総攻撃で玉砕した事と思われ,
戦死の報を受け、葬式まで出していたのですが、
峯子は、戦後南方からの帰還兵の話で、
栄がサイパンで生きているという話を噂に聞いて
夢か誠かと「わが身をつねって」いたようです。
(峯子本当の最後の手紙より)
峯子は、この時のことを報道した日本の新聞に「大場大尉は三河出身」の文字を見て、
涙に目がうるんだことでしょう。
「ほんたうに夢のやうです」と取材に答えています。






昭和20年の11月、日本では戦後の混乱の頃だったでしょうか?
大場栄達、サイパンで生き残った日本兵たちは、
立てこもってゲリラ戦を続けてきたタッポーチョ山を、
アメリカ軍の呼びかけに応えて山を下りるかどうか、
議論沸騰だった事でしょう。
ドンジョーンズ著「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」には、
栄は、上官の命令に従うのが、兵隊であると
米軍に停戦の道を示した事が書かれています。
捕虜ではなく、誇りある日本兵として山を下りる決意をした11月の下旬。
最後の11月末日には、
それまでの艱難辛苦の日々、共に戦ってきた戦友を偲び、
残った食料を平らげ、「山での最後の晩さん会」だったようです。
様々な意見があったであろう兵たちの気持ちを一つにまとめて
自分たちの生きざまを肯定した結論に導いた
栄のトップとしての素質がとても素晴らしいと思います。
私は、その辺りのシーンがとても好きなのですが、
残念な事に、映画「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」では、
割愛されてあっという間に12月1日の朝が来てしまったので、
ちょっと残念に思っています。
明けて12月1日には、映画でも描かれる
軍歌を歌いながらの隊列で山を下り、
米軍の長官に軍刀を渡すシーンは、感動的ですね。


「大場栄と峯子の戦火のラブレター」のブログは
2010年8月1日の「大場書簡プロジェクト」から始まり、
同年10月から2012年1月11日まで毎日の更新を続け、
その後はマイペースの更新にしましたが、
最初に書き出して、3年半近くになり記事数約760になります。
お二人のお手紙の数ほど、それ以上書きつづったことになります。

アトランダムに書いていますので、
大変に雑多取り混ざっていますが、
カテゴリーごとにお読みいただいたり、
ブログ内検索(左フレームにあります)を
利用して
キーワードで探していただくことで、
読みたい記事を選択できます。

本ブログの主なカテゴリー

思い出の場所など
当時の社会
戦地の状況
栄の人柄・好み
峯子の寂しさ
手紙内容チョットだけよ
子どものエピソード
映画「太平洋の奇跡」
作業の裏話
読み解く会活動
平和へのメッセージ
等に分けています。




明日(11月10日)】 、東海道本線(豊橋~米原)
明日8時30分頃より浜松市内で不発弾の移送作業が行われるため、
規制区域が設定されている間、浜松駅~舞阪駅間の運転を見合わせると
アナウンスがありました。
一部の列車を浜松駅~舞阪駅間で部分運休とのこと。

いまでも、戦争の残骸が残っているんですね。

17年の秋、満洲の北方警備に就く栄の元へ、
峯子は長男一弘を連れて、
家族宿舎のある海城へ旅発ちます。
割引証は、10月のものだったようですが、
17年の11月からは、新しい生活が始まった事でしょう。
待ち焦がれた、親子水入らずの生活・・・・・
と思っていたのですが、そういう訳ではなかったようで、
栄達将校は軍の施設に居て、家族官舎とは別に暮らしていたようです。
当番兵が、手紙や身の回りの品など伝令として行き来もしていたようです。
が、演習で不在をしたり、風呂の修理も間に合わなかったりと
不便を感じた暮らしぶりです。
時折、数日間の旅行のように鉄道を利用して、
警備(?)で遠方にいる栄の元に会いに行ったようです。

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峯子 18年5月か6月

四日間も楽しく御一緒に暮らしながら・・・・・
お別れいたして参る迄のこの淋しさは!
鉄路にきしむわだちの響の一つ一つに
胸の思いの恋しさは募るばかりでございました。
まだ海城へ着きまして三日ばかりにしかなりませんのに、
もうとても長い間お別れしている

以下続き不明
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18年になっても書かれた手紙があることで、
陸続きの近くにありながらも、
時には1カ月以上も会えない事もあったようです。


みかんの日というのは、
全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が制定しています。
「いいみっか(3日)ん」の語呂合せで、
11月3日と12月3日を「みかんの日」としているんですが・・・・。

蒲郡の名産品のみかんは、
これから年末にかけて収穫で大忙しの時期なのです。
栄の実家のあたりから北の丘陵地は、
現在もそうですが、当時もみかん畑だったようですね。
栄と峯子にとっても、みかんの木には思い出深いものがあるようです。
甘酸っぱいみかんを食べながら、
熱く湧き上がるようなと、峯子は言ってますけれど、
どんな思い出なのか想像するのもよろしいかと。
大場栄と峯子の戦火のラブレター」表紙にも
みかんの木が・・・・









急に朝晩冷えるようになりました。
菊の花をいただいて飾っていますが、
やっぱり、秋を代表する花ですね。

峯子の手紙にも、何度か菊の花について述べています。
菊花展などでみる菊と違い、
思い出の五号の菊は、きっと小ぶりのものだったと思います。
栄の好みか、
峯子には派手な艶やかものより、落ち着いたものが似合うと、
栄も言っていますから。


東三河地方は花火が盛んで、祭りには花火が付き物です。
特に手筒花火という、火薬を詰めた花火の筒を持ってあげるものがあり
蒲郡の町内のそれぞれの祭りに手筒花火が上がります。
サイズは片手で持てるものから抱え込むものまで
まちまちですが、広く浸透しています。

右の花火の火柱のシルエットに浮かび上がった人の姿で
その大きさを感じてください。

峯子の町の祭りでも手筒を上げています。

===一部引用====

峯子 16年10月24日

牧山のお祭りも、一昨日すみました。
忙しさに取り紛れ、八柱神社へお詣りに行きましたのは、九時頃でございました。
お母様と御一緒に、お詣りいたしました。
幼い頃こんな歌を唄った事を思い起しながら、暗い田舎道を黙々と歩きました。
   笛や太鼓に誘われて
     山の祭に来て見れば
   日暮れはいや    里恋し
     風吹きや木の葉の音ばかり
でも、峯子には里恋しではなく、君恋しでございました。
久し振りで手筒花火を見ました。
御神前御奉納に、数本ではございましたが、本当に見事に存じました。
「手筒花火は度胸だめし」何処かの音頭にこんな歌詞があったかと存じます。


中略
秋の夕暮れは、また峯子を感傷に浸らせてしまいました。
ごめんなさいね 淋しいわ!


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19・20と三谷祭でしたが、
雨のためクライマックス海中渡御は、中止だったそうです。
栄と峯子の思い出の三谷祭りですが、
絢爛豪華な山車が出ずに、残念です。

接近中の台風の影響でしょうか?
16年17年と、8月末の峯子のお手紙に、
台風について書かれている部分があります。

雨の日は、峯子は嫌いと言っています。
約1カ月にわたり開催してきました
いとしのテルノ 兵士の熱愛ラブレター ミニパネル展」ですが、
本日で最終日。
展示の見どころもご参考までに。
当時の兵士の家族愛、ドラマチックな東三河出身の兵士の従軍13か月の手紙に込められた心、
人の命を弾として使うような非情な戦争の悲惨さなど
感じとっていただけるものと思います。

展示は3時過ぎに片付けますので、
来場はお早めにお願いします。

秋10月は、栄と峯子の中でも話題の豊富な月です。

12年の10月10日は、二人の別離の日として峯子の記念日になっています。
また、手紙の中に何度も繰り返し書かれている
秋祭り三谷祭の思い出や、小学校の運動会
月の夜空を見上げて互いを懐かしむ話題など、数々あります。
17年の10月は、渡満の準備で、忙しく過ごした峯子の手紙から、
満洲で一緒に過ごせる嬉しさにソワソワして落ち着かぬ峯子の様子が分かります。
二人の思い出の祭り、峯子のまち三谷の三谷祭
2013年は来週19日(土)20日(日)の開催です。
三谷祭り公式ページ







10月14日は鉄道の日、
新橋から始まる東海道線の沿線各地の読みこまれた
鉄道唱歌東海道編」は、地理教育の一面もあるとか。
その30番に、豊橋・豊川と蒲郡が登場し
「♪東海道にてすぐれたる 海の眺めは蒲郡♪」と歌われています。
この歌詞は、蒲郡南駅前の碑に刻まれています。
まだ東海道線も電化される前は、
蒸気機関車の汽車が走り、
力強く煙を吐く姿は、当時も子どもたちに人気だったことでしょう。
童謡「汽車ポッポ」なども流行ったようです。
大場栄の長男、一弘君も「シャポッポ」と歌ったと思いますよ。

峯子は、蒲郡駅や三河三谷駅で、また豊橋駅でも
多くの兵士を見送ったり出迎えたりしています。
また、南方に発つ栄をそれとも知らず見送ったのも、三河三谷の駅だったと
峯子最後の手紙にも書かれています。
また、16年夏に一カ月の一時帰国から戦地に戻る栄と別れがたく、
東海道線。山陽線を乗りついで、下関までも見送りについて行っています。
人や物資の移動にも、東海道線は、大きな役割を果たしていました。








小笠原久雄の手紙集のミニパネル展示ですが、
今週から開催半期を過ぎて、後半になります。
展示品の一つとして、
軍隊手帳(カラーコピー)を置いています。
ミニパネル展の見どころにも紹介しましたが、これは
兵士の身分証明書に当たるもので、
出身地、所属の隊や身体検査の結果なども書かれています。
内容も手にとってご覧いただけるようにコピーですが
展示してあります。


いとしのテルノ」兵士の熱愛ラブレターミニパネル展inかふぇビーンズ
蒲郡北駅すぐの勤労福祉会館内「かふぇビーンズ」
開催中~10月18日(金)まで
カフェ営業時間 火~金
  10:00~15:30  営業日・時間ご注意ください



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HN:
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性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

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