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日中戦争(昭和12年)前から太平洋戦争サイパン島に渡る前までの七年間にわたって交された数百通の大場榮と峯子の往復書簡。戦地と故郷とを行き来するラブレターから当時の様子を垣間見る。 栄のサイパン島での活躍は「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」「タッポーチョ 敵ながら天晴 大場隊の勇戦512日」をご覧ください。
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蒲郡駅・コンコースにある観光交流センター:ナビテラス
入り口に掲示板がありますが、

ご案内した「戦火のラブレターお手紙展」のチラシが貼ってありますよ。

今回のお手紙展は、手紙に中に出てくる蒲郡の街の記述を中心に、
昭和十年代の蒲郡の街や暮らしの様子を垣間見てみたいと思います。
観光蒲郡の初期の動きや、庶民の文化的楽しみである映画館、鉄道や
水道、港、学校など町のインフラ整備など
あれこれ大きな動きがあったんですね。

~当時、蒲郡は輝いていた~

展示会は、8月4日(月)午後12時~午後8時,
8月5日(火)から 8月17日(日)の開催時間は
午前10時~午後8時
入場無料 
なお、編集者のお話会を
8月9日(土)、10日(日)、17日(日)
各日とも 午前11時~、午後2時~ 1時間程度
予定していますので、
興味のある方はお越しください。

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蒲郡駅前の観光交流センターナビテラスにて
8月4日(月)午後12時~午後8時,
8月5日(火)から 8月17日(日)の開催時間は
午前10時~午後8時
連日 大場栄と峯子の戦火のラブレターより
お手紙に見る当時の「輝いていた蒲郡」
社会生活・街の暮らしなどの切り口で、お手紙の一部を紹介します。
入場無料 観光案内の奥の展示スペース
どなたでもご覧いただけます。

なお、編集者のお話会
8月9日(土)、10日(日)、17日(日)
各日とも 午前11時~、午後2時~
 1時間程度
予定していますので、
興味のある方はお越しください。

ナビテラスの図書コーナーにも
「大場栄と峯子の戦火のラブレター」置いてありますので、
ぜひお手にとって見てくださいね。
もちろん、蒲郡図書館で借りられます。
あ、じっくり返却期限気にせず読みたいという方は、
これから出版にお問い合わせください。
オンラインサイトはこちらTEL(0532)47-0509
FAX(0532)48-0112
 〒441-8052 愛知県豊橋市柱3番町79
ブログアクセスカウンターを設置していますが、
とうとう7万に達します。

このブログも、2010年から4年・・・・
長く続けてきましたが、
今年は大場栄生誕100年になります。
8月にちょっとした企画を計画しています。
お楽しみに。
蒲郡駅コンコースの観光交流センターナビテラスに、
蒲郡市内観光や歴史関係図書コーナーがありますが、
その書棚に、「大場栄と峯子の 戦火のラブレター」も置いていただいてます。

パラパラでなく、じっくりお読みいただくには、
図書館で借りるか、
期限を気にせずに 読みたいかたには、
これから出版にご注文ください。

お手紙の中に、蒲郡市内や近隣の地名もあちこちでてきます。
8月には、そのナビテラスの展示スペースを借りて、
お手紙にでてくる蒲郡のあれこれを中心に、展示会をする予定です。
詳細はまたこちらでお知らせしますね。

山の日ができるそうですね。

昔から、信仰対象として「山」は神様に近い?ところのようで、
戦時中もお祭りの神事は縮小しても途絶えることなく続けられていました。
峯子や家族も、栄の武運長久と無事帰還の祈願に
本宮山へ登っています。
富士山へも行きたいとか弟の富士登山についての手紙もありました。

ニュースより
2016年から8月11日を「山の日」と定める改正祝日法が23日、
参院本会議で自民、民主両党など与野党の賛成多数で可決、成立した。
改正案は9党の共同提出で、山の日の意義を「山に親しむ機会を得て、
山の恩恵に感謝する」とした。

大場栄は、運命の崎戸丸で昭和18年2月グアム(撃沈されて結局サイパンに上陸)に向かうのですが、
栄の所属した陸軍歩兵隊18連隊の本部があった豊橋。
軍都だった「豊橋の戦争遺跡」の調査結果がパンフになりました。
東日(2014/05/09)
戦争遺跡 調査結果まとめる
正しい理解次世代へ/豊橋市パンフとマップ作成/歴史知る一助に

 歩兵第18聯隊や第15師団が置かれ、
明治から太平洋戦争の終結まで軍都として栄えた豊橋。
それらの面影は今も市内のあちらこちらに残っている。
豊橋市はこのほど「戦争遺跡」を調査した結果をパンフレットにまとめた。
合わせてマップも作成。これを片手に現地を散策し、
歴史を理解する一助にしてもらいたい考えだ。

 「戦争を正しく理解し、次世代に引き継いでいく」ために
市は昨年度、市内にある散兵壕(ごう)や建造物、記念碑など
計959カ所の戦争遺跡を調査した。

 名古屋から歩兵第18聯隊が、
今は豊橋公園になっている吉田城址(し)に移って来たのは1886(明治19)年のこと。
1907(明治40)年には第15師団が現在の愛知大豊橋校舎の場所に置かれ、
昭和に入ると兵隊を養成する学校が開設された。
戦後、師団司令部庁舎は同大記念館となり、国の登録文化財。

 太平洋戦争末期の44(昭和19)年ごろには、
本土決戦を想定し市東部の山地や表浜海岸一帯に陣地が構築された。
アメリカ軍の上陸に備え、丘陵地に砲台や銃座を配置。
上陸した敵を背後から攻撃するため身を隠す交通壕という溝は、
西赤沢町の貴船神社に残っている。

 調査結果をもとにA5判、オールカラー16ページのパンフレット
「豊橋の戦争遺跡」を市が作成。戦争遺跡の解説文のそばに、
現在の写真はもちろん古地図や昔の絵はがきを掲載し、見て分かりやすいよう工夫してある。
 「豊橋の戦争遺跡マップ」はA2判の4つ折りでオールカラー。
広げると表面には、歩兵第18聯隊の遺構と第15師団の建物跡、
東田町の豊橋陸軍墓地を掲載。戦争遺跡の場所を地図上にしるし、
どこに何があるのか一目で分かる仕組み。
裏面は市全域の地図で、遺構などの位置を示している。

 パンフレットとマップは各2万5000部を発行。
市内の小・中・高校や大学に配布。
希望者は市役所や美術博物館、二川宿本陣資料館などで手に入れることができる。
 市美術博物館のホームページには「豊橋の戦争遺跡」コーナーを開設。
市内に残る軍事施設の跡や豊橋空襲による代表的な遺構の写真を掲載し、
軍都として歩んだ豊橋の歴史を紹介している。
東京アイスクリーム協会(日本アイスクリーム協会の前身)では、
アイスクリームの一層の消費拡大を願って、
東京オリンピック開催年の昭和39年(1964年)に、
アイスクリームのシーズンインとなる連休明けの5月9日に記念事業を開催し、
あわせて諸施設へのアイスクリームのプレゼントをしました。

以降、毎年5月9日を「アイスクリームの日」として、
この日を中心に各地区で各種イべントと
施設へのアイスクリームのプレゼントを実施しています。

アイスで思い出されるのは、
峯子が子どもにせがまれるままアイスキャンデーを
溺愛から2本も食べさせてしまったというエピソード。
兄からもきつく叱られたようですが、、、
子どもはアイスが好きですね~~。

====部引用===
峯子 13年6月15日

先日、一弘にアイスキャンデーを二本食べさせてお腹をこわし、
38度8分も高熱を出した時には、本当に心配いたしました。
両手で頭ばかりかかえて、痛い痛いって泣き呼ぶのを見ていて、
脳膜炎にでもなったら、何て申し訳をいたしましょうと存じましたけれど、
三日ばかりで熱も降り、今は元通り元気で遊ぶようになりました。
まだ少し痩せていますけれど、子どもの事ですから、
もう二三日したらクルクル太る事と存じます。
誰にも原因は申しませんが、兄にだけ解って、目の出る程叱られました。


======

栄の返信にも、甘やかすなと書いていますが、
冷たいものの食べすぎにはご注意ください。

このカテゴリーの記事を読む
手紙内容チョットだけよ
関連カテゴリー
子どものエピソード






1932年の4月24日、
目黒競馬場で日本初のダービー(東京優駿競争)が開催されたのを記念して
日本ダービー記念日となりました。

イギリスのダービーステイクスに傚って企画されたそうです。
出走は19頭で、優勝したのは1番人気のワカタカでした。

ダービーは元々、第12代ダービー卿が始めたロンドン郊外で開催される
サラブレット3歳馬ナンバーワンを決めるレースの事で、
イギリス競馬界最高の行事でした。
後に、日本を始め世界各国でそれに傚った
「ダービー」という名前を附けたレースが開催されるようになったということです。
「今日は何の日」4月24日より)

栄の馬は、白星という名で、可愛がっていたようですが、
どうも性格は主に似るようで、せっかちだったとか?



栄の好み・人柄カテゴリーを読む
このブログのアクセス数が69500となりました。

あと500で7万件ですね。
今年は貝毒が発生した蒲郡のアサリですが、
もう、大丈夫ということで、潮干狩りも再開されました。

三谷の港辺りは、栄も釣りをしたという事ですが、
峯子の手紙には三谷漁港竣工の事も書かれています。
工事は緊縮財政時代?で大幅に予定より遅れたとか?
昭和4年の西宝新聞に関連記事が載っていました。



昔からの新聞とってあるんですねぇ。


春といえば
桜の開花宣言や予想がニュースにもなる国ですので、
咲いた・散ったと花見に出かける人も多いですね。

栄も春が好きでした。
峯子は花の咲く春以上に、「我が家の春」を待ち望んでいました。
五号(二人で暮らしたスイートホーム)の桜には嫌われて
一度も見られなかった峯子ですが、人一倍春を待ち侘びていました。
桜にまつわる二人のエピソードは数々あって、
このブログにも桜の話題は何度か書いています。
左のフレーム「ブログ内検索」にキーワードを入れていただくと、
あれこれ記事が出てくると思います。

このブログの読み方
大場栄さんは1914年生まれですので、
今年2014年3月21日は、生誕100年に当たります。
激動の時代、数奇な人生を送られた大場栄さんですが、
サイパンでの活躍が米兵の目にとまり
タッポ-チョ~敵ながら天晴~大場隊の勇戦512日」という本になったり、
また、それを題材に
映画「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」ができ無ければ
手紙の存在も知られず、ひっそりとしたお彼岸になったことでしょう。

日本では、約70年間、平和が続き、世界の中では珍しく治安のよい国になっていますが、
現在でも戦闘状態にある国や地域が存在し
銃弾の飛び交う中で暮らしている人々、怪我で苦しむ人々、
家族と離れ離れになって悲しい想いをしている人たちがいます。
一人でも、戦争で辛い思いをすることがない世の中にするために
いろんな努力をしている方々に敬意をもっています。
また、こうした活動を通して、平和を大切にしたいと思います。

参考
ウィキペディア 「大場栄
大場栄の人柄・好みカテゴリー


昭和12年3月16日生まれの栄の長男 一弘君は
やんちゃお茶目だったようですね。
峯子や家族に囲まれ愛情いっぱいに育ちました。
でも、戦時中で物が不足したり不自由な生活の中、
峯子の母として育児は苦労が多かったことでしょう。

同じ3月生まれの栄は、
手紙と一緒に、子どもへのプレゼントについて書いたり、
僕にも慰問袋を送ってくれ等と言っていました。
子どもが生まれた年の秋、
まだ歩きもしないうちに戦場に召集された栄にとって、
子どもの成長のニュースやそれが書かれた峯子からの手紙が、
戦地での大きな楽しみだったのです。
峯子の手紙には、本に掲載されなかった部分も含め
子どもについてかかれた記事が多く見られます。





3月7日 は 消防記念日 だそうですね。

1948(昭和23)年、「消防組織法」が施行された日です。
明治憲法下では、警察の管轄とされていた消防業務が、
この日から市町村長が管理する「自治体消防制度」となりました。
これを記念し、1950(昭和25)年に、国家消防庁(総務省)がこの日を制定しました。

峯子の手紙に、町内の火事のことを書いているところがあります。
それも、日ごろの消火訓練が役にたったと得意げです。
銃後を守る暮らしの時代でした。


3月4日は「バウムクーヘンの日」です。
結婚式の引き出物にも縁起の良いお菓子として使われる
お馴染みのバウムクーヘンは、
もともとドイツのお菓子なのです。
そもそも、似島(広島市)に捕虜として在日していた
カール・ユーハイムさんが、
菓子職人としてバウムクーヘンを作ったのが始まりです。
日本で広まったのは、その腕前を披露して人気を博した
1919年、広島物産陳列館(現在の原爆ドーム)で開かれた
似島収容所浮虜製作品展覧会です。
その後、解放されて後にユーハイムという洋風菓子の店を開き広まったものです。
当時の捕虜は、思いの外自由があったとみえ、
サッカーも盛んで、ドイツチームと広島高等師範学校との試合が
広島初の国際試合となったという事です。

似島は、「明日からは百姓になります」の小笠原久雄さんが
太平洋戦争も終わり近い昭和19年~20年に
陸軍船舶練習部(暁部隊)でマルレの訓練をしていた所です。



二十四節季では今年2月19日は雨水に当たります。
雨水(ウィキペディアより)
空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころ。
『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。
実際は積雪のピークであり、それゆえ、この時節から寒さも峠を越え、
衰退し始めると見ることもできる。
春一番が吹き、鶯の鳴き声が聞こえ始める地域もある。

実際、今年は大雪の被害で大変な地域が多いですね。
まだまだ春は遠し・・・・・



2月は、チョコレートの一番売れる時期ですね。
本来は、女性から愛の告白のできる日とか?
いえ、2月14日でなくても、いつでもできる現代ですが、
昭和の10年代には、珍らしかったでしょう。
(どちらかというと?)峯子の方が積極的だったかもしれませんが、
栄が結婚を決意したのは、昭和11年の初夏のころ。

===一部引用====
栄  昭和11年
峯子さんのこと、
年上なる上に従弟同士だから、誰が考えても不釣り合いの事と思うが、
(中略)
俺さえ峯子さんと結婚する気になれば、
それも一番円満な解決法かと思い、
(中略)
年上位なんでも無いと、あえて躊躇することはない。
で、俺もこう心に決めた以上、なるべく早く結婚した方が良策かと思い(中略)。
家も今、蚕で一杯だから、
もちろん結婚式何か挙げられやしない。
両方納得さえ行けば、
ついでにこちらに来て貰ってもさしつかえないと思うが
よく相談してみてください。

======

とあり、結婚式も挙げず・届けも後々にして、
峯子がタクシーで五号に行くことになったという訳。
物の無い時代でも、嫁入り道具を支度していた妹の結婚を横目で羨ましく思っていた事情も
理解できると思います。




(おっと、通り過ぎてしまいましたけど)
2月11日は峯子と栄にとって、大事な記念日でしたね。
今は建国記念日という祝日ですが、当時は紀元節と言っていました。
お稽古にいく峯子を誘って、竹島海岸で沖ゆく船の白帆を数えたという
恋人時代のデートの日に、何があったのか
お手紙を読み進むうちに、その記念日の意味が分かってきます。

お手紙の中に、いくつも『記念日』があることが書かれています。
初めてのデートも
タクシーに乗って五号へ行った日、
栄の一時帰国名古屋まで出迎えた日、
そして辛い思い出のある雨の記念日も。


このカテゴリーの記事を読む
思い出の場所など
左のフレームで、キーワード検索すると、
関連記事も見つけることができます。



早春賦という歌に、
♪ 春は名のみの風の寒さや ♪
という歌詞がありますが、
そんな立春の朝。
栄も峯子も、我が人生の冬の時期をじっと耐え
冬来たりなば春遠からじ
大好きな春を待ちかねていました。

庭の紅梅が咲きはじめました。
春は確実に近づいてきていますね。
日本国憲法は、「戦争放棄」を明言した世界でも珍しいものです。
平和の基本となる戦争をしない国という憲法を
世界遺産に登録しようという本があるようですね。
憲法九条を世界遺産に
太田 光  中沢新一 集英社新書

また、その憲法を持つ私達日本国民を世界遺産に登録しようという動きもあるとか。
政府で無く、日本国民というところに主権在民の意志が反映されていますね。
実際の登録は難しいとは思いますが、しかし
そのくらいの価値はあるのではないかと思う今日この頃です。
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プロフィール
HN:
大場書簡を読み解く会
性別:
非公開
自己紹介:
2011年2月に出版。
引用文の無断コピーはご遠慮下さい。

「大場書簡を読み解く会」
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